転轍器

古き良き時代の鉄道情景

豊州路の汽車電車

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 新緑まぶしい由布岳を背景に別府発博多行“由布4号”が紫煙をあげて通り過ぎる。久大本線伝統の急行“由布”も撮影時は4輌編成に短縮されていた。 604D 久大本線野矢~由布院 S61(1986)/

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 DE10の牽く豊後森発大分行50系客車は、由布院盆地の谷間から大分川に沿って続く下り勾配を駆け下りて来る。線路沿いの美しい棚田や火の見やぐらの見えるのどかな農村風景はD60の時代と何も変わっていないように見える。 2633レ 久大本線湯平~庄内 S61(1986)/5

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 博多発別府行“火の山1号”が大野川沿いの山間を行く。豊肥本線内は熊本を出ると、水前寺ー肥後大津ー立野ー赤水ー阿蘇ー宮地ー豊後竹田ー緒方ー三重町に停車して大分に至る。波野と犬飼に停車する列車もあった。 1701D 豊肥本線犬飼~竹中 S56(1981)/1/15

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 大野川の深い谷に沿ってアップダウンを繰り返しながら、キハ58+キハ65+キロ28+キハ58の4輌編成“火の山4号”別府発三角行が通り過ぎる。 704D 豊肥本線犬飼~竹中 S56(1981)/1/15

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 24系25形になった“富士”7輌編成を下垂交差のパンタを装備したED76が牽いてやって来た。後方は佐賀関半島に連なる山なみの稜線が続いている。 8レ 日豊本線大在~坂ノ市 S53 (1978)/9

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 日豊本線上りは幸崎から大分平野の平坦区間を進む。進行方向右手は新産業都市の埋立工業地帯が広がり、左手山側は大在の台地が迫って坂ノ市から大在にかけて平野らしくない風景が続く。ED76の牽く上り貨物列車はヨだけの寂しい編成であるが、たぶん鶴崎からはタンカーが連結されるであろう。 ED76+ヨ5000 日豊本線大在~坂ノ市 S53(1978)/9

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 大分から佐伯に至る国道217号線はリアス式海岸に沿った風光明媚なシーサイドコースを走る。険しい半島は山越えとなり、半島をショートカットするトンネルは建設前で急勾配、急曲線の悪路であった。峠道から豊後水道を見渡すと、入江の漁港を西鹿児島発小倉行“にちりん16号”が通るところであった。 3026M 日豊本線日代~浅海井 S61(1986)/10

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 “富士”の変遷を顧みると、昭和39年10月東京~大分間20系で誕生、翌40年10月東京~西鹿児島間に区間延長、43年10月付属編成は下関から大分落しに延長され15連で大分まで走る。50年3月24系化、51年10月24系25形化され14連となる。55年10月運転区間が東京~宮崎間に短縮され特急最長距離走行は“はやぶさ”となった。ED7665〔大〕が宮崎行となった“富士”を牽引し快走する。 7レ 日豊本線西大分~大分 S56(1981)/2

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 大分以南の“彗星は”カニ24+オハネフ25+オハネ25×4+オハネフ25のモノクラス7輌編成で運転されていた。大分電化で投入されたED7620〔大〕がまだ頑張っていた。 3001レ 日豊本線大分~高城 S60(1985)/4

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 昭和59年2月改正で“彗星”は583系が撤退し客車1往復となっていた。この時の編成はカニ24+都城行6+大分落し7の14輌編成で(2・12号車は季節減車あり)、向日町運転所の24系25形で“なは”と共通運用されていた。 宗太郎峠を行く3001レ“彗星” 日豊本線宗太郎~市棚 S61(1986)/10