転轍器

古き良き時代の鉄道情景

2016-01-01から1年間の記事一覧

荷1043レ

構内時計は14時35分を指している。東小倉発宮崎行荷1043レは大分13:55着14:30発のダイヤで、1番線から発車したところである。撮影時は大分以南の旅客列車は全てDF50牽引であったが、DF50が検査入場の時は数が足りなくなり、宮崎・鹿児島区のC57が遠路応援…

津久見市セメント町

津久見はみかんとセメントの町。南向き斜面では柑橘が栽培され、石灰石の水晶山は白く輝き、津久見湾のセメント工場は活況を呈していた。津久見トンネルを出たこの辺りはセメント町の地名で、その名の通りセメント工場が林立する。D51が力行する上り貨物列…

宮崎機関区

宮崎駅に停車した列車から構内を望む。駅構内の留置線が収束する先が機関区の入口となる。手前から続く乗越し線のようなハンプは給炭台へ石炭を運ぶ線で、まるで鉄道模型のレイアウトセクションのようだ。その向う、客車編成が見えるところは都城客貨車区宮…

キハ1067

ネガスキャンした画像データを何気に見ていたら、同じ車輛を時期を隔てて撮っていたことに気づく。昭和47年に南延岡で撮った写りの悪いキハ10は、4年後に日田で撮ったキハ10と同一ナンバーであった。 日ノ影線のキハ1067は南延岡機関区の扇形庫に収まってい…

EF6225

信越本線のEF62は高崎第二・篠ノ井区に配置され上野・高崎〜直江津・長岡間で運用されていた。車軸配置は独特のC−C、いわゆる3軸台車で新形直流電機では唯一ということを知る。前面スタイルやサイドのフィルター等、東海道山陽筋の機関車とは一線を画す…

オロ802008

引退したお座敷客車を撮っていた。冷房車ではないので屋根が高く見える。この車の事を調べてみて驚いたのは種車はオハ35ということで、なるほど窓の数は同じ、妻面は独特の折妻で納得できる。昭和45年10月、オハ351192改造でオハ802008に、昭和47年2月、オロ…

直方機関区

昭和44年3月現在、直方機関区はD60-11、D51-10、9600-19、C11-5、DD13-3の計48輛が配置されていた。D60とD51は筑豊本線の客貨、9600は筑豊本線・伊田線・糸田線・後藤寺線・宮田線・漆生線の貨物列車、C11は伊田線・宮田線・上山田線の旅客列車にそ…

D51485

大分駅東部構内の跨線橋から下り貨物の発車を見る。幸崎までの平坦区間では駅の牽き出し以外、煙は期待できなかった。D51485〔延〕は給水温め器と給水ポンプに磨き出しの装飾帯を巻いていた。南延岡までの行路に備え、テンダの石炭が山盛りなのがわかる。眼…

山手貨物線

代々木付近の山手貨物線は電車線の築堤より低い位置を通る。茶色い機関車の牽く貨物列車が来ないかと踏切で待っていたら、やって来たのは新形のEF651000番台のタンカー編成だった。この先中央本線をアンダークロスして新宿構内へ入る。 EF651048〔宇〕 …

19680

19680〔熊〕は直方からの転属機で、継足しの深い化粧煙突とデフ無しの構えは筑豊スタイルといえる。ランボード一直線の右サイドは意外にもパイピングが少なく、すっきりとした印象を受ける。従前の熊本区の罐とはディテールが異なってよく目立つ存在と思えた…

シーサスクロス

博多と宮崎・大分を結ぶL特急“にちりん”と急行“ゆのか”は小倉でスイッチバックし、進行方向を変える。鹿児島本線と日豊本線の渡りは6・7番線の間に設けられたシーサスクロスが役目を果たしている。4面8線の小倉構内は複雑な線路配線で、下り方の引上げ線も…

715系

あの名車581・583系が信じられない姿に変わりはてていた。下り方の先頭車は種車のままであるが、反対側は「食パン」の異名通りの切妻スタイルで、とても好きにはなれなかった。 長崎本線鳥栖 H5(1993)/3

50系客車

昭和54年4月、大分運転所に50系客車が配属され、豊肥本線は豊後竹田運用に投入された。日豊本線は門司港運転区の受持ちで門司港〜柳ヶ浦・大分・佐伯間で運用が開始された。門モコ車はひと足早く、筑豊本線や上山田線へ入っていて、行橋で分割する田川線運用…

由布4号

日没前、夕日で赤く染まる別府湾の岬をキハ58系6輛編成が回り込む。カーブを曲がる際に発する独特な車輪のきしむ音が手前の崖に反射する。列車は別府発博多行急行604D“由布4号”。停車駅は別府ー大分ー湯平ー由布院ー豊後中村ー豊後森ー天ヶ瀬ー日田ー筑後吉…

第6玖珠川橋梁

第6玖珠川橋梁は天ヶ瀬を出て2つめのトンネルの出口、国道210号線をアンダークロスした所に架かっている。2706D博多行“ひこさん”3輛編成が下り勾配を軽やかに進む。久大本線の急行列車は、博多〜別府“ゆふ”、長崎〜別府“西九州”、江津〜天ヶ瀬“あきよし”、…

山本

唐津線と筑肥線の接続する山本は、かつては唐津線は西唐津へ、筑肥線は東唐津へと進路が分かれるジャンクションで広大な構内を有していた。唐津興業鉄道時代の明治中期からの歴史ある駅は、訪れた時はすっかりさびれていた。駅前に立って脳裏をよぎるのはも…

千歳線

千歳線は函館と札幌を結ぶ幹線の一翼を担い、山線と比べてより多くの優等列車が設定されていた。札幌〜苫小牧間のローカルは完全気動車化されていてこのような編成が走っていた。キハ21はキハ20の北海道版であるが、客車タイプで窓の小さいキハ22と比べると…

D514

昭和50年は蒸気機関車最後の年で、撮影時は北海道だけの稼働であった。夕張線で会ったD514は追分機関区所属機で、前年は深川機関区の罐であった。前照燈回りのつらら切りがやけに迫力があって、同じなめくじとはまた違った印象を受ける。セキに積まれた石炭…

遠軽

遠軽は道央と道東を結ぶ結節点、石北本線と名寄本線が分岐する鉄道の要衝である。遠軽機関区はD51・9600・DE10・DD15・キハ22が配置され、石北本線、名寄本線、渚滑線、湧網線で活躍していた。新旭川からの石北本線は北見山地を越えて湧別川沿いを走り…

八幡浜

アンパンマンのキャラクターがデザインされたキハ32とキハ54が佇む八幡浜駅2番ホームから伊予大洲寄りを見る。海産物と柑橘の一大産地の駅とあって構内は広く貨物中線が設けられている。国鉄時代の四国の情報は稀有であるがこの構図からつい貨物輸送全盛期に…

石炭列車仕分線

直方駅のホームから駅裏口へ通じる跨線橋が当時直方構内を見渡せる撮影ポイントであった。何気なく構内を撮ったスナップに石炭輸送全盛期に賑わったであろう石炭列車仕分線が写っていた。写真左の群線がそれで、なるほどセフやワフがぽつんと置かれているの…

D6034

逆向D6034〔直〕の牽く長い長い石炭車の列が新飯塚駅2番ホームを高速で通過する。ホームの白線付近では機関車と石炭車の風圧で飛ばされそうになるくらいの勢いを感じた。直方から上山田線運用の機関車は旅客も貨物も上山田行は逆向、直方行は正位となってい…

伊田発吉塚行

キハ17+キハ30+キハ30の吉塚行2232Dは伊田線を北上し直方でスイッチバック、筑豊本線を下り桂川から篠栗線に入る複雑なコースを走る。時刻は以下の通り。伊田13:20発ー直方13:45着13:55発ー飯塚14:19発ー桂川14:31発ー篠栗14:57発ー吉塚15:10着。 …

D5146

D5146は長く鳥栖機関区にあって長崎本線・佐世保線・大村線で使用されていた。新鋭DD51の増備が進むにつれて鳥栖・早岐の蒸機は動きが活発となり、D5146は昭和43年以降早岐機関区に変わり、46年9月に南延岡機関区に転属してきた。以後日豊本線の罐となり…

6000番台の不定期貨物列車

久大本線の貨物列車は豊後森、日田以西では混合列車を含めて数往復、大分口では2往復が設定されていた。その2往復のうち1往復は列車番号6000番台の不定期列車で、来るか、来ないか運だめしの貨物列車でもあった。不定期貨物は豊後森〜大分間の設定で九州の西…

小月

小月は下関市の北東、周防灘が大きくくぼんだ位置で、海側から国道2号、山陽本線、山陽新幹線、中国自動車道が通る町である。山陽本線西端は列車密度も高くどの駅も2面3線以上の規模を有している。上り本線から側線が分岐し、手動の転轍転換器が見える。まる…

9輛編成

久大本線の客車列車はDL化以後も本数は減らしながら健在であった。623レは豊後森5:49発、由布院6:28着、6:42発の大分行通勤通学列車である。由布院は客車の増結作業があるので停車時間が長い。前日の大分発豊後森行642レが残して行った4輛をつないで堂…

由布院

由布院上り方から構内を望む。蒸機時代、この位置でD60牽引の発車風景の写真をよく目にしてきた。その当時は2本の背の高い腕木式出発信号機が建っていた。時は平成時代、キハ58は新たな急行色の衣装を纏い、信号機も自動化されているが、あの蒸機時代のまま…

チムニーキャップ

ハチロクやキュウロクの煙突は化粧煙突やパイプ煙突の形状があってその長短、大小、継足しの有無等さまざまな組合せで種類豊富であった。展示されたハチロクのトップナンバーに目を奪われたのはチムニーキャップと呼ばれる独特の煙突スタイルであった。遠い…

オユ101004

普通列車で見かける郵便・荷物車はスユニやマニが多く、冷房付きのオユ10が西鹿児島行長距離鈍行に付いているのに遭遇し驚いてカメラを向ける。機関車が連結される前だったので10系郵便車の妻面を観察することができた。ユニットクーラーが載る屋根は低屋根…