転轍器

古き良き時代の鉄道情景

機関区

駐泊所

高森線の終端駅高森は駐泊所が置かれ、小規模ながら車庫や給炭、給水の設備があり、C12が配置されていた時期があったのは驚きであった。列車の終点や折返し駅は機関車や乗務員の駐泊設備や転車台があったり、給水設備だけ備えた駅などさまざまな駐泊所・給水…

文通の写真から 鹿児島機関区

鹿児島本線のC61は全機(12・13・14・31・32・33)鹿児島機関区に配置され、熊本~鹿児島間で活躍していた。この時奥羽本線のC61は6輛(2・18・19・20・24・28)が秋田~青森間で運用されていた。鹿児島電化が成った昭和45年10月は鹿児島の6輛は廃止されてしまっ…

文通の写真から 各地の機関区で

48635〔奈〕 奈良運転所 S45(1970)/2/15 撮影:MURAさん 所蔵:転轍手 形式入プレートがひときわ目を引く48635〔奈〕はゼブラ模様の警戒色が施されているので入換機だろうか。給炭設備は容量の大きい石炭槽とガントリークレーンの組合せで威容を誇る。後方に…

門司機関区

日田彦山線撮影の帰り、日没まで少し時間があったので門司機関区へ立寄った。門司駅から機関区までは職員通路を辿るとヤード下の地下道となり、頭上は幾筋もの線路が並ぶ、まるで要塞の迷路を進むようであった。扇形庫から見た構内は下り本線と仕分線が広が…

西唐津機関区

平成時代、「唐津くんち」見物に訪れた際、唐津駅に隣接する物産館に唐津の街並みを撮った本が閲覧できるようになっていた。「唐津鉄工所」を撮った写真は、私には後方のたくさんの冷蔵車が並ぶヤードに目が奪われた。「二タ子」というカタカナ混じりの地名…

大分運転所 昭和47年6月11日

給炭線から転車台にかけてのSLゾーンは昭和47年5月31日をもって豊肥本線と下郡回送列車の無煙化が完了しC58と8620は姿を消してしまった。日豊本線佐伯往復の旅客列車もDL化され、蒸機で残るは日豊本線貨物運用だけで南延岡のD51が姿を見せるだけとなっていた…

下関9番線23時07分から5分間の記憶

門司から潜った海底トンネルを抜けだして下関に着いたブルートレインは停車時間たったの5分で機関車交替が行われる。EF81303〔門〕のステンレスの車体は構内の照明が反射して鈍く光っていた。スタンバイする機関車連結開放のスタッフが写っていた。 下関 S58…

2棟の扇形庫 大分運転所

転車台から美しく放射状に広がる線路が俯瞰できるこの位置は電気機関車検修庫の外階段である。電気機関車検修庫が建つ位置は大正元年竣工のコンクリート製扇形庫が鎮座していた。大分電化の際に取り壊されて残念ながら転車台をはさんで2棟の扇形庫が建つ光景…

大分運転所 昭和47年2月20日

無煙化計画が進捗する昭和47年3月ダイヤ改正前は幾度か大分運転所を訪れている。いつも蒸気機関車で埋まっていた給炭線はこの日の朝はDE101015〔大〕とC58105〔大〕、D51567〔延〕の3輌が手をつないで佇んでいた。 新鋭DE10が出揃うなか、日豊・豊肥・久大の…

構内立ち入りができなかった若松機関区

昭和45年の夏休みは初めて筑豊に足を踏み入れる。心踊らせて若松機関区の門をたたくも、事故防止のため構内の立入は曜日と時間を定めて制限しているとのこと、遠路から申し訳ないが出直してほしいと告げられ、構内に駐機する機関車を指をくわえて見るだけで…

若松機関区

筑豊本線の旅客列車は門ワカの客車と共に若松機関区所属機が担当してきた。時代とともに8620・C51・D50・C55・C57と変遷を重ね蒸機末期はD60・D51へと移り変わっていた。独特なスタイルのデフレクタを装備したC5552〔若〕は鳥栖・大分・宮崎を経て昭和43年に…

大分運転所 昭和47年2月11日

昭和47年3月ダイヤ改正の概要は新幹線と在来線接続の変更、特急列車増発、無煙化用DL新製等が列挙されていた。無煙化計画はDE10の投入で青森地区・盛岡・大舘・秋田操・新津・坂町・福井・敦賀・大垣・木津・亀山・舞鶴地区・和田山・大分の入換および小運転…

大分運転所一般公開 昭和47年

昭和47年は春の「ひかりは西へ」のキャッチフレーズも懐かしい新幹線岡山開業と、秋の鉄道開通100年のエポックメイキングな年であった。SLブームが盛り上がったこの時代は「鉄道」が一般社会からも注目を集め始めた時かもしれない。動力車の現場に一般人が立…

柳ヶ浦機関区跡

柳ヶ浦駅は周防灘に面した広大な宇佐平野を流れる駅館川の左岸に位置する。どこまでも続く穀倉地帯の先に駅の跨線橋や建物が見える。「キネマ旬報増刊蒸気機関車2号」(キネマ旬報社/昭和42年10月刊)に掲載された電化前の柳ヶ浦機関区のレポートから右端の…

北海道鉄道記念館

手宮貨物駅の山側にひっそりと3線の扇形庫が建っていた。当時、歴史的価値のあるものとの認識はあまり持ち合せていなかったように思う。庫の中の古典機にも興味は湧かず儀礼的に撮ったネガだけが残っていた。 北海道鉄道記念館 S50(1975)/9/14 旧手宮機関庫…

北見客貨車区網走支区

国鉄車輛配置表に掲載された運転関係業務機関の中にある客貨車区の欄を見ると、北見客貨車区の支区は遠軽と網走があることがわかる。網走駅裏の山手側のヤードに「支区」という名にふさわしい小さな庫があった。そこにはC58やDE10、キハ22が佇んでいた。模型…

第2転車台

かつての鉄道事情を知っている方から「大分に転車台がふたつあったのを知っていましたか?」と聞き、愕然とする。私の認識は扇形庫は2、転車台は1と思い込んでいたからである。写真は扇形庫の転車台で、後方は電気機関車検修庫が建っている。撮影時(昭和44…

砂乾燥小屋

昭和40年代に撮った蒸気機関車の写真は下回りが隠れたり、電柱が手前にあったりする見られないものばかりである。手前に砂が写っている写真が多く、この砂は今になって思うと機関車にはなくてはならないものであった。機関区の施設に給砂設備というものがあ…

熊本機関区

撮影時はJR化以降なので現業機関の名称は変わってしまっているが、私の呼称は熊本機関区でないとしっくりこない。蒸機時代の訪問は機関車だけでねぐらは撮らずじまいであった。九州西側の鉄道の開通は早く、九州鉄道時代の明治24年には門司〜熊本間が開通…

宮崎機関区

宮崎駅に停車した列車から構内を望む。駅構内の留置線が収束する先が機関区の入口となる。手前から続く乗越し線のようなハンプは給炭台へ石炭を運ぶ線で、まるで鉄道模型のレイアウトセクションのようだ。その向う、客車編成が見えるところは都城客貨車区宮…

直方機関区

昭和44年3月現在、直方機関区はD60-11、D51-10、9600-19、C11-5、DD13-3の計48輛が配置されていた。D60とD51は筑豊本線の客貨、9600は筑豊本線・伊田線・糸田線・後藤寺線・宮田線・漆生線の貨物列車、C11は伊田線・宮田線・上山田線の旅客列車にそ…

蒸気機関車配置区

「国鉄動力車配置表昭和32年11月1日現在」(鉄道図書刊行会)を開くと蒸気機関車全盛期の機関区とその支区、駐泊所の一覧が記載されている。昭和40年代では廃止された基地名が目にとまりノスタルジーに浸ってしまう。九州管内を転記する。(カッコ内は支区・…

茅ヶ崎機関区

手元に昭和43年と48年の配置表がある。昭和43年を見ると茅ヶ崎機関区はキハ30・20・16・10が計23輛と掲載されているが、昭和48年では茅ヶ崎機関区は配給車2輛だけで気動車の掲載はない。上記キハ4形式は八王子機関区に27輛配置とあり、ほぼ同ナンバーなので…