転轍器

古き良き時代の鉄道情景

西唐津機関区

 平成時代、「唐津くんち」見物に訪れた際、唐津駅に隣接する物産館に唐津の街並みを撮った本が閲覧できるようになっていた。「唐津鉄工所」を撮った写真は、私には後方のたくさんの冷蔵車が並ぶヤードに目が奪われた。「二タ子」というカタカナ混じりの地名とまるで幹線のようなヤードがとても気になっていた。
 今になって「二タ子」の地名は西唐津駅の所在地と知り、写真をよく見ると画面左上は片面ホームの西唐津駅、右上は西唐津機関区の煉瓦造りの矩形庫と石炭台が、駅本屋と機関区の間に建つ鉄道官舎、広大な西唐津構内が捉えられていた。この魅惑の鉄道地帯の構図は当時の様子を知りたくなる契機となった。 「松浦大艦」(唐津新聞社/昭和54年3月刊)から

 「わが国鉄時代Vol.11」(ネコ・パブリッシング/平成25年11月刊)に掲載された『明治のクラ、大正のカマ』のタイトルの機関区風景がとても印象に残っていた。幸いにも大森工場の工場長さんからお借りした昭和48年夏に記録された西唐津機関区の写真から往時の情景を知ることができた。

 明治の時代に建てられた煉瓦造りの矩形庫は風格がある。正面の意匠は同時期の熊本・鹿児島・行橋・柳ヶ浦の庫とよく似ている。450立方呎タイプの古いテンダを持つ39659〔唐〕はこの庫にとてもよく似合う。テンダのプレートは格調高い形式入ローマン書体が付いている。 西唐津機関区 S48(1973)/8 写真提供:大森工場

 給炭線には門鉄デフ装備の美しい69665〔熊〕が待機している。69665は豊肥本線でよく会った熊本機関区のナンバーで愛着ある1輛だ。「熊」の区名札のまま西唐津に来ているのは貸出しの最中だったのかもしれない。豊肥本線熊本口と唐津線無煙化はいずれも昭和48年の春と秋に実施されている。 西唐津機関区 S48(1973)/8 写真提供:大森工場

 機関車後方の建屋は冒頭の唐津鉄工所の写真から、矩形庫横、給水塔のとなりに建つ機関区本屋と思われる。39659〔唐〕のキャブに蒸気の様子を確認する乗務員の姿が見える。区名札差しとATS標記、積・空標記がやけに高い位置にあると感じる。 西唐津機関区 S48(1973)/8 写真提供:大森工場

 39659は手持ちの配置表を見ると、昭和25年直方、昭和32年直方、昭和36年直方、昭和43年鳥栖、昭和48年西唐津と記載されていた。煙突こそパイプだが紛れもない北九州筑豊スタイルだ。キャブ裾の点検窓が開いているのは門鉄局のキュウロクの特ちょうであった。
 西唐津機関区の配置機関車を年代ごとに追っていくと、昭和初期3400・8500(8550から加熱式改造)、昭和10年代3400・C12、8500・8620、蒸気動車、昭和20年代C11・C12、8620・9600、キハ41000、昭和30年代8620・9600、昭和40年代9600と変遷している。年度によってC11とC12、8620と9600の数の多少があった。昭和40年代になって9600で統一されたようで8620は伊万里までの筑肥線に入っていたのではないだろうか。 西唐津 S48(1973)/8 写真提供:大森工場

 デフ無し、パイプ煙突、ランボード一直線の59681〔後〕は後藤寺機関区の機関車だ。唐津線無煙化まであとわずかな時、自区だけでの機関車運用はひっ迫していたのかもしれない。西唐津構内に西唐津・後藤寺・熊本の機関車が揃っているのは貴重な記録ではないだろうか。 西唐津 S48(1973)/8 写真提供:大森工場

 上の写真は海側から、左サイドは山側から撮っている。西唐津構内は南北に長く、冒頭の写真の冷蔵車が並ぶヤードから唐津港魚市場の岸壁までおよそ2Kmはあるようだ。画面右が駅寄り、左が漁港寄りで、入換仕業の機関車は頭を港に向け冷蔵車を押込む、引出す作業をしていたようだ。その際構内掛は冷蔵車の屋根に乗って入換指示を行っていたと聞いた。 西唐津 S48(1973)/8 写真提供:大森工場

 「九州鉄道の記憶Ⅳ蒸気機関車の雄姿」(加地一雄編/西日本新聞社)から。
機関区を間に挟む西唐津構内はまるで幹線の操車場を見るようだ。港に続く専用線は図面から荒荷1~2番、県営1~4番と読め、貨物輸送全盛の複数の機関車で入換に当たる光景が浮かぶ。

 59681〔後〕が入換を始める。広大な西唐津構内の仕業は列車の組成と専用線での運用があったと思われる。後方は埋立で建設された発電所の煙突が写っている。 西唐津 S48(1973)/8 写真提供:大森工場

 あの時代の唐津線の鉄道模様が少しずつ見えてきて心弾んでいる。貴重な記録をお借りした工場長さんへお礼申しあげます。