転轍器

古き良き時代の鉄道情景

D51と出会った日々 日豊本線のD51/昭和44年~49年

 汽車の写真を撮り始めた昭和44年は、日豊本線はC57とD51が、豊肥本線はC58と9600が、久大本線D60と8620が本線上を闊歩していた。この年に初めて見るDE10と出会って以来、動力近代化の波はあっという間に押し寄せ、昭和46年にD60が、47年にC57・C58・9600・8620が残念ながら消えてしまった。大分~宮崎間に運用された南延岡のD51は幸いにも昭和49年春までその姿を見ることができ、私の蒸気機
関車との出会いの中で一番長くスナップできた形式であった。

 南延岡のD51と初めて会ったのは485と1032で、この2台とは以後たびたび会うことになる。機留線で息づくD51485〔延〕に近づいて見ると機体の大きさに圧倒された。今改めて見ると、左右の標識灯の高さが揃っていないのに気づく。 大分運転所 S44(1969)/3/15

 大分~下郡(信)間の客車回送は大分運転所のC58と8620の仕事であったが、臨時列車の設定がある時は南延岡機関区のD51が本線運用の間合いに客車回送の応援に駆り出されたものと思われる。 D51485〔延〕 大分電車区 S44(1969)/8/11

 巨大なガントリークレーンと給炭槽の下に来ると、さすがのD51も小さく見える。 D519〔延〕 大分運転所 S44(1969)/10/4

 海の埋立てが進む津久見湾沿いをD5193〔延〕の牽く上り貨物列車が行く。 1578レ 日豊本線津久見~日代 S45(1970)/8/15

 ドームの形状が独特なD511032〔延〕が長い編成を牽いて大分構内に入る。日豊本線貨物列車の列車種別は普通貨物、輸送力貨物、小口貨物、地域間急行貨物列車があった。 1578レ 大分 S46(1969)/8

 D511032〔延〕の牽く1578レが138キロポストを行く。高城目前の仲西踏切を力行で迫って来たので高城は通過であろう。遠く新産業都市の鶴崎臨海工業地帯のコンビナートが見える。 日豊本線高城~鶴崎 S46(1971)/9/19

 D511141〔延〕とはこの時一度会っただけで本線上で見る機会はなかった。この年の8月に廃車になっている。 南延岡機関区 S47(1972)/1/5

 扇形庫に並ぶD51群。ナンバーは1036・1032・12番が見える。庫に収まる機関車の向きは基本テンダが外を向くが、6・7番線は手前にも排煙口が設けられているように見える。 南延岡機関区 S47(1972)/1/5

 南延岡~宮崎間の貨物列車は宮崎機関区のC57受持ちで、わずかに1往復D51が入るスジがあった。D519〔延〕が18輛の貨車を従えて宮崎を後にする。編成の中に車掌車と緩急車が3輛入り、前寄りはヨ、最後尾ワフ、中ほどにボギーのワムフ100が連結されている。日豊本線南部はワムフ100が多く運用されていた。 98レ 宮崎 S47(1972)/1/5

 下郡信号場付近から豊肥本線日豊本線の合流地点を見る。ここは豊肥本線から大分電車区の入出区線が分岐する場所で、D51貨物が行くのが日豊本線、その手前2線が大分電車区入出区線、一番手前が豊肥本線である。 下郡(信) S47(1972)/4/3

 D5112〔延〕が鶴崎の長い停車時間で入換を行う。入換作業の引上げは本線を塞がずに臨海工業地帯へ続く専用線が使われていた。 鶴崎 S47(1972)/6/25

 朝日が上がる頃、大野川橋梁を長い貨物列車が渡る。 561レ 日豊本線鶴崎~大在 S47(1972)/6/25

 大分川橋梁まで16‰の上り勾配をD51361〔延〕は力行で進む。左の道床は旧橋梁へのアプローチで、大分川橋梁の架け替えで線形が変わっているのがわかる。 1593レ 日豊本線大分~高城 S47(1972)/8/31

 鶴崎を発車したD519〔延〕率いる上り貨物列車は波静かな乙津川の川面を鏡にして煉瓦の橋脚の鉄橋を渡る。 1596レ 日豊本線高城~鶴崎 S47(1972)/10/28

 D511032〔延〕の上り貨物が交換待ち。そこへD511036〔延〕の牽く下り貨物が外側副本線に入って来た。591レ 津久見 S47(1972)/12/29

 下り貨物の到着を待ってD511032〔延〕の上り貨物が発車。駅を出てすぐ津久見トンネルに向かう。 1596レ 津久見 S47(1972)/12/29

 人吉から来たD511151〔延〕は集煙装置こそ外しているがドーム後方の重油タンクがかつての重装備ぶりを物語っている。砂撒き管はドームサイドの庇の付いた箱から出て威圧感さえ感じ、これも人吉装備と思われる。 大分運転所 S47(1972)/12/30

 D51541〔延〕とはこの時が初対面、昭和45年10月に出水から南延岡に来ているのでかなりの年月が経過してのことだった。南宮崎電化まで残った最終メンバーのうちの1輛である。 1596レ 日豊本線大分~高城 S48(1973)/3/21

 大分駅3番ホームで発車待ちの下り貨物列車を見る。編成が長くD5112〔延〕はホームからはみ出して待機、ブロアの音が聞こえてきそうだ。給水塔とテルハの構図は良き時代の鉄道情景といえる。 1593レ 大分 S48(1973)/3

 下郡信号場のシーサスクロッシング付近から左カーブを行くD51485〔延〕牽引の591レを撮る。 日豊本線大分~高城 S48(1973)/4/8

 ここは日豊本線豊肥本線が寄り添う単線並列区間で、あたかも複線区間を走っているような図となる。日豊本線は上り、豊肥本線は下りのそれぞれ中継信号機と場内信号機が建っている。お盆の早朝、D511151〔延〕は黄色い前照灯を煌々と光らせて迫って来た。 日豊本線大分~高城 S48(1973)/8/13

 蒸機最終年の年明けを迎える。臨海工業地帯の製鉄所をバックにいつもの時間にD51貨物は現れてくれた。 1593レ 日豊本線大分~高城 S49(1974)/1/1

 前年の年末年始の臨時急行の運用は大分運転所最後の蒸気機関車となったC57115が花道を飾ったが、電化直前の今年は下り“日南51号”と上り“高千穂51号”のスジを南延岡機関区のD51が受け持つこととなった。南延岡のD51は従前のナンバーが検査切れで姿を消しつつあり、各地から来た罐とメンバーチェンジが進んでいた。夕日を受けてナンバープレートを輝かせる機関車はシールドビーム副灯が付いた奥羽・羽越本線筋から来たものとわかる。6輛の身軽な編成は猛スピードで高城を通過して行った。 8512レ“高千穂51号” 高城 S49(1974)/1

 なめくじがいなくなって久しい日豊本線で見慣れぬなめくじと会う。電化前、最後の運用を受持つ南延岡のD51群はひっ迫し、若松から42、門司から45・250・382が転じていた。昭和49年3月、D5145は私が最後に会った南延岡のD51となった。 日豊本線高城~鶴崎 S49(1974)/3