転轍器

古き良き時代の鉄道情景

下ノ江

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 下ノ江駅駅前広場の一角に赤い鳥居が並び、お稲荷さんが祭られている。開業は臼杵まで開通した時の大正4年8月で、開通後たびたび発生する鉄道事故を防いでもらおうと交通安全を祈願しお稲荷さんを祭ることになったと伝えられている。瓦葺き板張りの素朴な木造駅舎は忘れかけた味のある鉄道情景といえる。 日豊本線下ノ江 S59(1984)/4/13

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 亜幹線の小駅の佇まいを垣間見る。桜の咲く駅構内と整然とした玉砂利のプラットホーム。下ノ江駅の趣きのある雰囲気の中、宮崎発大分行普通475系6連が静かに入って来た。サロ455のグリーンマーク、屋根上のヘッドライトとクーラーの様子が良くわかる。 日豊本線下ノ江 S59(1984)/4/13 

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 ED7624〔大〕の牽く上り貨物列車。この時期貨車はどれもとび色のワム80000ばかりで車種のバラエティは過去のものとなっていた。 日豊本線下ノ江 S59(1984)/4/13

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 春爛漫、桜満開の構内にステンレス帯を巻いたニューブルートレイン24系25形100番台が通過する。

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 牽引機ED7666〔大〕は昭和49年4月南宮崎電化の際に新製配備されたED7655~80まで26輌のグループの一員である。上り線分岐の手前は安全側線が敷設されている。 日豊本線下ノ江起点方 S59(1984)/4/13

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 下ノ江駅は島式ホーム1面3線で上り本線外側に副本線があり、1列車退避中に追越し、上下列車の交換ができる配線となっている。ED7626〔大〕牽引の下り貨物列車が退避中に上り“にちりん12号”、下り“にちりん9号”が通過、南延岡行普通列車を見送った後本線に出る。 日豊本線下ノ江 S55(1980)/7/6

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 貫通扉の付いたクハ481-200番台は精悍なマスクでとても格好良い。イラストヘッドマークは昭和53年10月改正から始まり特急列車黄金時代を迎える。

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 ED7621〔大〕牽引の南延岡行2527レが退避する貨物列車を横目に下ノ江を発車する。客車列車健在のこの時期、時刻表から日豊本線の下りを開いてみると19本が運転されていた。列車番号日豊本線は5が割振られほとんど500番台であるが2500番台が7本確認できた。4桁の客車列車は他の3桁番号とどこが違うのか把握できないでいる。
(2523レ佐伯→南延岡/2525レ別府→南延岡/2527レ大分→南延岡/2529レ柳ヶ浦→大分/2531レ大分→佐伯/2541レ都城西鹿児島/2543レ宮崎→西鹿児島) 日豊本線下ノ江終点方 S55(1980)/7/6 

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 列車が下ノ江に停車した際、機関車次位の客車の窓から顔を出して後方をスナップしていた。急カーブを描いたホームは中継信号機が設置され、構内は既に電化用のポールが建っていた。客車は8輌を数え、DF50のうなり声は当分続きそうだ。 大分発南延岡行1531レ車内から 日豊本線下ノ江 S46(1971)/8

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 D51456〔延〕の牽く1593レとDF50553〔大〕の牽く1525レの並び。電化前最後の夏、貨物列車を牽く南延岡のD51はオリジナルナンバーから北国からの使者にメンバーチェンジが進んでいた。大分のDF50は21輌でも数が足りず、この年の10月米子からDF50502を迎え22輌体制で南宮崎電化まで頑張った。 日豊本線下ノ江 S48(1973)/8/20 撮影:大分市渡邊孝司さん