昭和47年秋、高城駅で下り寝台急行“日南2号”と上り貨物列車の交換を撮っていた。写った列車のことを趣味誌や時刻表、WEBページで調べてみると当時は何も思わなかった、知らなかった事柄があぶり出されてアルバムの整理・編集は楽しいものだ。
D5146〔延〕の牽く門司(操)行貨物列車は寝台急行宮崎行“日南2号”の通過待ちで高城でしばらく待機する。D5146は前年の昭和46年9月早岐機関区から転属してきた南延岡の新メンバーで、なめくじ79・93なきあと3台めのなめくじとなる。翌年昭和48年4月で廃車になっているので日豊本線ではわずか1年半の活躍であった。
高城は大分からひとつめの駅で、側線はいつも大分や下郡のヤードに収容しきれない客車が留置されていた。いつ頃かは定かでないが本屋側の側線に見たことのない屋根の深い寝台車が置かれていたのを憶えている。当時は蒸気機関車を追うばかりで客車にカメラを向けることはなかった。 1592レ 日豊本線高城 S47(1972)/10/9
DF50544〔大〕が颯爽と青い寝台車群を従えて姿を現す。分岐器を渡る軽快なジョイント音を響かせて通り過ぎる。DF50544は昭和34年の新製配置から昭和49年の南宮崎電化まで大分に君臨した罐である。 1207レ“日南2号” 日豊本線高城 S47(1972)/10/9
急行“日南”は下り2号・上り3号が大阪~宮崎間の寝台列車、下り3号・上り1号が京都~都城間の寝台座席編成で定期列車、下り1号・上り2号が大阪~宮崎(南延岡)間の季節列車で設定されていた。時刻表の編成案内では大分以南はA寝台1輌となっているが写真ではオロネ10が2輌連結されて何とも豪華な編成である。
鉄道ピクトリアルNo.271(昭和47年11月号)の88ページ「客車の廃車」に掲載されたマロネ4121のことが気になっていた。大分にマロネ41が配属されていたことが驚きであった。
鉄道ジャーナルNo.40(昭和45年9月号)に掲載された「寝台専用急行列車のすべて」に日南1号(下り)・2号(上り)の編成表を発見する。何と大分回転車にマロネ41が組み込まれているではないか。手持ちの昭和43年の配置表を開くと関西のマロネ41は向日町運転所の配置であった。
時刻表昭和47年8月号から
時は経過して平成中期、鉄道ピクトリアルNo.718(平成14年6月号)にスハ43系客車車歴表が掲載され、大分にマロネ41が3輌配置されていたことを知る。廃車年月日はマロネ412-S47.5.25、マロネ4121-S47.7.11、マロネ4122-S48.2.24であった。ここにきて高城での疎開留置の不思議な車はマロネ41であったとの確信を抱くようになった。急行“日南”大分落しのマロネ41は時期は定かではないが受持ちが大分に変更されたものと思われる。
急行“日南2号”は大分8:53発。約6分で高城を通過する。急行の走行音が聞こえなくなった頃、1592レ9:04発車。南西の風にあおられて煙が市街地の方へなびく。規則正しいドラフト音と激しいドレンが構内に響きわたる。 日豊本線高城 S47(1972)/10/9
迫力ある牽き出し。黒く長い編成にひときわ眩しい白い冷蔵車がところどころに連結されている。黒煙はひときわ進行右側にたなびいている。耳を覆いたくなるようなシュー、シューの排気音が聞こえてきそうだ。
門鉄の罐はタブレットキャッチャーを避けてナンバープレートがキャブからはみ出ているタイプが多い。長崎本線、佐世保線、大村線もこのスタイルで活躍したのであろう。日立の銘板の横は「延」が眩しい砲金製の区名札が付けられている。
貨車は青帯の入ったレム5000とトム60000が見える。角ばったスタイルのレム5000は白い車体に煤の適度なウエザリングが施されているみたい。保冷性能が向上したレム5000は冷蔵車の標準形となり後の高速ボギー冷蔵車レサ10000系の礎となったようだ。妻板の低いトムの側板は木製のように見える。 1592レ 日豊本線大分~高城 S47(1972)/10/9