転轍器

古き良き時代の鉄道情景

気動車

高千穂橋梁

神話の里、高千穂に鉄道が到達したのは昭和47年7月のことであった。それまでは延岡~日ノ影間を日ノ影線と呼ばれ、その名前を親しんでいたが、高千穂延伸を機に線名は高千穂線と改められた。新線は旅客営業だけ、5往復の気動車で運転された。この時南延岡機…

小海線

小海線は中央本線小淵沢と信越本線小諸を結ぶ78.9Kmの高原鉄道で、C56が牽く通風車や白い冷蔵コンテナが入った短い編成の貨物列車がイメージとして浮かぶ。小海線を訪れた昭和50年はハイカー達で満員になる新宿発EF64牽引の客車列車も健在の時代であった。「…

唐津線

国道203号線を走っている。国道203号は佐賀~唐津間の一般国道でそのルートはJR唐津線とほぼ一致する。道路と線路の併走は鬼塚駅から厳木駅の先、笹原峠まで続いている。多久方面へ向かう車の助手席で早春の唐津線沿線の車窓を楽しんでいた。今はJR唐津線だ…

キハユニ1515

キハユニ15は昭和27年に登場した電気式気動車キハ44000(昭和32年形式称号改正でキハ09)を運転台側半室を郵便荷物室に改造して誕生した形式である。キハ44000は3扉車でその名残りが残っているのがわかる。熊本機関区で遭遇したキハユニ1515は肥薩線からの乗…

あきよし

美祢線を訪れてから4年、偶然にも久大本線で急行“あきよし”と遭遇する。昭和47年時点では久大本線・日田彦山線は2輛編成で走っていたが、昭和51年では3輛編成に増強されていた。“あきよし”の列車体系はダイヤ改正と共に変遷し、昭和50年3月の改正で山口線編…

美祢線の急行列車

美祢線は2本の急行列車が設定されていた。ひとつは鳥取と熊本を結ぶ“さんべ1・2号”で、もう1本は浜田と博多・天ヶ瀬を結ぶ“あきよし”である。気動車急行全盛時代はこのようないくつもの線をまたがる長距離急行が多く運転されていた。“あきよし”の運転経路は…

美祢線

美祢線ローカルは厚狭~長門市間全線通し運用(下り1本のみ渋木~長門市)で厚狭機関区の気動車が運用されていた。仙崎までの直通運用が数往復あり、益田まで足を延ばすのもあった。宇部新川発先崎行2735Dはキハ26+キハ30+キハ20+キハユニ15の4連で急行…

キユニ16

キユニ16は昭和28年に登場した正面湘南スタイルの電気式気動車キハ44100を改造してキハユニ16となり、さらにキハユニ16の客室部分を改造してキユニ16となった複雑な経緯を辿っている。キユニ161と162はそれぞれキハユニ161、165から昭和40年3月の改造で広島…

由布1号

40年前に撮った急行列車のネガがある。撮影場所と列車名は記録がなく、国道が線路をオーバークロスした位置からたまたま接近して来た列車にカメラを向けた記憶が残っている。当時の地図を見ると、水分峠から玖珠盆地までは交差箇所は少なく、駅間は引治〜豊…

日南5号

高城駅の改札口から構内を見る。6輛編成の急行列車が運転停車している。車掌が対向列車の接近を待っているように見える。撮影時、日豊本線の列車体系はL特急の“にちりん”を始めとして、急行は475系の大分系統“ゆのか”、宮崎系統“日南”、そして気動車の鹿児…

キハユニ2641

会津若松発小出行3輛編成に組まれたキハユニ26を撮る。当時は意識もしない朱色とクリームのきれいな車体が写っている。キハ25200番台を基本とした郵便荷物合造車で、形の良いDT22台車を履いている。サイドは「荷物」、「郵〒便」の筆字調のレタリングに目…

犬吠5号・水郷5号

銚子駅で撮った3葉の写真をアルバムに貼るのに当り、少し総武本線の事をひも解いてみた。総武本線の区間は以前、御茶ノ水〜銚子であったが、昭和47年の東京地下駅開業時から東京〜銚子間120.5㎞となる。電化は御茶ノ水〜千葉昭和10年、千葉〜佐倉(同時に成…

キハ6520

キハ65は急行気動車の冷房化による冷房電源確保の為に開発された大出力の新系列気動車である。これまで見なれたキハ58とは違う精悍なマスクで物々しいジャンパ連結器とホース類が印象的であった。キハ6520〜6523の4輛は昭和45年2月、大分運転所に新製配置さ…

キユニ2610

再びキユニ26と遭遇する。今度はオレンジ色ではない、懐かしいクリームと朱色の気動車色であった。種車によって窓配置は異なるようで、乗務員扉横のカバーも2619には無い外観であった。編成位置もキハ40の次に組まれ同一列車と思われる。 キユニ2610〔分オイ…

キユニ2619

中間に組込まれたキユニ2619〔分オイ〕。キユニ26はキハ26からの改造車で前寄りが郵便室、後位が荷物室のようだ。撮影時、久大本線は大分運転所のキユニ26が、豊肥本線は熊本機関区のキハユニ26が郵便荷物輸送に活躍していた。 大分 S55(1980)/9/23 キユニ26…

火の山2号

豊肥本線の急行列車は昭和47年3月改正で、博多〜別府1(火の山1・4号)、三角〜別府・宮地2(火の山2・3号)、大分〜小倉〜博多〜別府1(ひまわり1・2号)、計4往復が設定されていた。エンジンを唸らせて登ってきたのは三角発別府行701D“火の山2号”で、三角…

キハ58JR九州色

クリームと朱色のキハ58はJR化以降多彩なカラーリングですっかりイメージが変わってしまった。国鉄時代から慣れ親しんできた急行“由布”と“火の山”はこの後、四国から来た185系特急気動車に置換えられてその名も久大本線は特急“ゆふ”、豊肥本線は特急“あそ”…

キハユニ163

キハユニ16は電気式気動車キハ44100から昭和30年代初めに改造された形式である。正面2枚窓の湘南形がオリジナルであるが、大分運転所の163はさらに貫通形に改造された異色の存在である。昭和51年3月現在4両が在籍し、53年に全車廃車され形式消滅している。 …

能登路キハ58790

金沢駅で急行“能登路”のヘッドマークを撮っていた。駅構内がどうなっていたか思い出せないでいたところこちらのブログ→金沢駅0番線でその様子がわかってきた。ホームの番線表示は「0A」で本屋寄りの頭端式ホームで撮っていたことになる。AとBの2線あったこと…

能登路3号

金沢と珠洲・穴水・七尾を結ぶヘッドマーク付の急行“能登路”は季節列車も含めて10往復が運転されていた。大阪発着の“ゆのくに”併結列車もあって、能登半島は長大編成の気動車列車が行き交う観光路線ということを知る。 306D“能登路3号” 七尾線羽咋〜千路 S5…

吉四六-きっちょむ-

ジョイフルトレイン華やかりし頃、昭和の時代もあと少しという時、見たことのないキハ28を撮っていた。大分県の花と鳥である「豊後梅」と「めじろ」をデザインしたキハ28+キハ58はジョイフルトレイン“吉四六”として団体列車等に使われていた。その後塗色も…

キハ26408

大分駅の東西には市街地を縦断する踏切があって、東は貨車入換で、西は運転所に出入りする機関車や気動車・客車入換で、いずれも名だたる開かずの踏切であった。西側の大道踏切は気動車列車の転線で遮断機が降りていた。待っている時間に通過する列車をスナ…

開かずの踏切

14年後の大道踏切。相変わらずの開かずの踏切であった。変わったのは踏切が自動化されたこと。遮断機が降りる有人の踏切から、いわゆる第一種と呼ばれる自動遮断機の踏切になっていた。道を塞ぐ列車はグレードアップされた寝台特急“富士”で12号車が通るとこ…

快速祖母

豊肥本線乗入れ、別府発豊後竹田行快速“祖母”が軽快なエンジン音で駆けて行った。最後尾はバス窓スタイルがうれしい熊本機関区のキハ559で、前後の55系と中間2輛の58系と車体幅の違いがよくわかる。キロ28のグリーン帯も確認できる。当時、カラーフィルムは…

キハ1067

ネガスキャンした画像データを何気に見ていたら、同じ車輛を時期を隔てて撮っていたことに気づく。昭和47年に南延岡で撮った写りの悪いキハ10は、4年後に日田で撮ったキハ10と同一ナンバーであった。 日ノ影線のキハ1067は南延岡機関区の扇形庫に収まってい…

由布4号

日没前、夕日で赤く染まる別府湾の岬をキハ58系6輛編成が回り込む。カーブを曲がる際に発する独特な車輪のきしむ音が手前の崖に反射する。列車は別府発博多行急行604D“由布4号”。停車駅は別府─大分─湯平─由布院─豊後中村─豊後森─天ヶ瀬─日田─筑後吉井─久留…

第6玖珠川橋梁

第6玖珠川橋梁は天ヶ瀬を出て2つめのトンネルの出口、国道210号線をアンダークロスした所に架かっている。2706D博多行“ひこさん”3輛編成が下り勾配を軽やかに進む。久大本線の急行列車は、博多〜別府“ゆふ”、長崎〜別府“西九州”、江津〜天ヶ瀬“あきよし”、…

千歳線

千歳線は函館と札幌を結ぶ幹線の一翼を担い、山線と比べてより多くの優等列車が設定されていた。札幌〜苫小牧間のローカルは完全気動車化されていてこのような編成が走っていた。キハ21はキハ20の北海道版であるが、客車タイプで窓の小さいキハ22と比べると…

伊田発吉塚行

キハ17+キハ30+キハ30の吉塚行2232Dは伊田線を北上し直方でスイッチバック、筑豊本線を下り桂川から篠栗線に入る複雑なコースを走る。時刻は以下の通り。伊田13:20発─直方13:45着13:55発─飯塚14:19発─桂川14:31発─篠栗14:57発─吉塚15:10着。 2232…

山口線

小郡発益田行キハ58+キハ47+キハ25の3輛編成が石州瓦の民家が点在する津和野盆地を行く。山口線は昭和48年まで蒸気機関車が走り、津和野に設けられた山口線管理所に集煙装置付のD51が配置されていた。D51の前は同じく集煙装置の付いたD60の走行線区で昭…