転轍器

古き良き時代の鉄道情景

気動車

由布くずれ “由布5号”から普通列車へ

博多発別府行605D急行“由布5号”は博多を17時34分に発ち、大分には20時50分に到着する。急行運用は大分まで、大分別府間は普通列車2625Dとなる。名門急行の末端区間が普通列車になる場合、たとえば夜行急行“大雪”や“日南”などは「〇〇くずれ」と呼称されてい…

特急“いなほ”と“ひたち”

上野駅で撮られた“いなほ”と“ひたち”の顔写真をいただいていた。“いなほ”の写真は散逸して載せられなかったが、この2枚が何を意味しているのか当時中学生だった私には理解不能であった。 駅構内で2つの列車の愛称板を手直ししていた、と見えたその光景は幾星…

久大本線を行く鹿児島のキハ20

由布院電吉さんから朱色キハ20の写真が届く。私はてっきり働き場を失った南延岡のキハ20たちが久大本線へ出稼ぎに来ていたものと勘違い、早合点してしまった。高千穂線が第3セクター高千穂鉄道に転換されたのは平成元(1989)年4月、由布院電吉さんの写真はそ…

高千穂線のキハ20

岩戸川の渓谷を跨ぐ高千穂橋梁を行く気動車列車は朱色とクリームのツートンカラーで、谷間の緑とのコントラストが美しく映る。 そんなツートンカラーのキハ20が走っているだろうと岩戸渓谷を訪れてみると、時すでに遅し、朱色5号一色塗りに衣替えした後であ…

鉄道省キハ40655 大分交通キハ105

本棚にしまったままの「岡山より汽車を求めて」(牧野俊介著/プレス・アイゼンバーン/昭和55(1980)年12月刊)をひさしぶりに開いて目に留まったのは元北九州鉄道のキハ40655であった。これは大分交通中津で相見えた“せせらぎ”キハ105の移籍前の姿で思わず心浮…

急行“しいば” 下り1号 上り1号2号の謎

西鹿児島発別府行508D“しいば2号” 西鹿児島 S49(1974)/12/28 写真:BBSさん 別府と鹿屋・西鹿児島を結ぶ急行“しいば”は撮影時、下りは“しいば1号”の1本、上りは“しいば1号・2号”の2本で運転されていた。朝の別府発は鹿屋行2輛を含む12輛編成で下っていた。西…

関ケ原越え キハ181系特急“しなの”

中津川~長野間の電化で特急“しなの”は電車381系6往復、気動車キハ181系2往復の計8往復で運転され、気動車1往復は大阪まで足を延ばしていた。 大阪発長野行“しなの5号”は雪景色の東海道本線を行く。時刻表の編成表では食堂車欠車の9輛編成となっていたが、写…

鳥居峠 キハ181系特急“しなの”

ヨンサントオで登場した新系列特急気動車キハ181系は、名古屋と長野を結ぶ“しなの”でデビューした。キハ82マスクの先頭車は角形のライト回りが精悍な表情を作り、中間車は屋根上の重量感溢れる放熱器が最大の特ちょうであった。1往復の“しなの”は昭和46(1971…

木曽路を行く12輛編成

雨に霞むアンダートラスの子川橋梁を長編成の気動車列車が渡る。名古屋発長野・南小谷行“きそ2号”は長野行8輛に松本までの2輛、大糸線南小谷までの2輛を加えた12輛編成で運転されていたようだ。 801D 中央本線中津川~落合川 S45(1970)/7/30 写真:HAYAさん …

通信線電柱のある風景 各地にて

田川線勾金駅を行橋側から見たところ。船尾へ戻る石灰石返空編成が通過中。線路沿いのY字形の電柱とその後ろに背の高い電柱が建っている。 勾金駅から東へ、内田信号場方面へ歩く。2通りの電柱の電線は線路から大きく外れ画面左へ流れる。場所が決まらないま…

急行フェニックス1等車増結 大分国体夏季

この写真は第21回国民体育大会-大分国体-夏季大会の帰路、皇太子殿下・皇太子妃殿下がご乗車した列車を人々が見送っている場面を捉えている。4号車のサボは「フェニックス」が掲げられて一般営業列車での行啓ということがわかる。皇太子同妃両殿下ご乗車の…

キワ90

先月、筑豊本線での無情な露出不足の写真を載せた際、閲覧いただいている“東上線ブログ”さんから現像ソフトで暗いネガも明るくできる旨連絡をいただいた。ほんとうだろうかと半信半疑、試しにほぼ透明なネガを送ってみた。何と真っ暗な画像が浮き出ているの…

追越し

DD51の牽くセメント石灰石列車は日豊本線から小倉を通過し、鹿児島本線貨物線をアンダーパスして鹿児島本線貨物上り線へと合流する。この位置は左から鹿児島本線上り線、日豊本線上り接続線と右端築堤から降りてきた鹿児島本線貨物上り線で、上り方向に3線が…

ジョイフルトレイン長崎

「ジョイフルトレイン長崎」は昭和63(1988)年8月、キハ65とキハ58が小倉工場で改造されて登場、それぞれ7002番を名乗る。先に改造された「サルーンエクスプレス」のキハ65+キハ58各7001番に続く付番であると思われる。 撮影:大分 H1(1989)/8 赤龍のキハ657…

二豊路を行く名列車

日豊本線のL特急“にちりん”は博多~大分・宮崎・西鹿児島間に8往復が設定され、内西鹿児島往復はキハ80系で運転されていた。長躯西鹿児島から日向路、二豊路を8時間走り通した“にちりん8号”は最後のコースに向けて小倉でスイッチバックする。 5036D 小倉 S50…

カメキ キハ17

忘れ去られたカラーネガにきれいな朱色とクリーム色塗分けのキハ17のコマがあった。前面貫通ホロの「カメキ」に誘導される。亀山気動車区のことだろうかと、配置表をめくると紀勢本線・関西本線の動力車を擁する亀山機関区の略号であった。手持ちの昭和50(19…

熊本機関区と熊本客車区

熊本駅本屋側から第3ホームの向こうに鎮座する明治の香り漂う煉瓦の庫を見る。熊本機関庫は九州鉄道時代の明治24年に開設された。 明治の庫は第3ホーム5番線から手の届くような至近距離で見える。昭和35(1960)年に行われた構内拡張工事で第3ホームが新設され…

キハ58系急行“由布”の終焉

キハ58系急行“由布”は新しい衣装に衣替えし、一部国鉄色が入っていた編成は全車統一された。5輛編成の内キハ65が3輛組まれている。 由布院 H3(1991)/6 国鉄時代の窓回り赤の塗分けから裾境のツートンに変わったのでおでこが広くなったように感じる。落ち着い…

民営化後の由布院

由布院構内を起点側から見る。1番線は民営化直前に投入された軽快気動車キハ31が停車、3番線は上り急行列車を待つ乗客が佇んでいる。「ゆふいん温泉郷」の縦看板がよく目立つ。 由布院 H2(1990)/3 上り急行列車が雪の積もった盆地を行く。 由布院~南由布 H2…

由布院 昭和56年冬

久大本線由布院以東の急行列車は長崎・佐世保と別府を結ぶ“西九州”と博多から別府間“由布”2本の計3往復が設定されていた。昭和55年10月改正以降は“西九州”が廃止されて“由布”3往復体制となり、残念ながら久大本線から長崎本線へ乗入れる列車は無くなってしま…

由布

久大本線のシンボルはやはり由布岳。別名「豊後富士」の双頭峰をバックに走るは名門急行“由布”がよく似合う。“由布”は昭和36年10月に準急として誕生、その後幾多の変遷を経て九州横断ラインの雄として君臨する。昭和56年10月時点で博多~別府間3往復が運転さ…

国鉄軌道バス 由布院にて

豊肥本線内牧駅で見た国鉄軌道バスと全く同じクルマを「由布院駅の側線で見た」と由布院電吉さんから一報があり画像をお借りした。国鉄時代での撮影なので現役の姿かもしれない。ドローバー風の連結棒でトロッコをつないでいる。改めて『保守用車総合データ…

国鉄軌道バス(ダイハツライトバス)

豊肥本線内牧駅の貨物側線に置かれていた「怪しいモーターカー」について、WEBサイト『保守用車総合データベースMCDB』を線路端さんから案内された。それによるとこのクルマは国鉄が開発した軌道バスで、ダイハツライトバスをベースにしたとの事であった。車…

急行日田・はんだ

由布院発門司港行上り急行“はんだ”4輛編成が玖珠盆地を快走する。前2輛はキハ58 800番台、後ろはキハ66+67ユニットの組合せであった。撮影時の配置表で直方気動車区を見るとキハ58 800番台は8(801~808)輛、キハ66・67は15(1~15)ユニットが配置されていた…

琺瑯行先板から浮かぶ鉄道模様

実家の片付けをしていたら思わぬ琺瑯引きのサボ板が出てきた。たぶん国鉄時代末期に百貨店や量販店で開催されていた“鉄道用品即売会”で買ったものと思われる。片面「延岡行」、片面「富高行」であった。はて、日豊本線に延岡行や富高行の列車があったのか少…

キハ35+キハ47+キハ40 山口線

キハ35系は朱色とクリーム色の塗分け時代に何度か会っているのにカメラを向けていない。その後首都圏色と呼ばれた朱色1色塗りとなって通勤形や近郊形気動車の魅力は半減した。 山口線で出会ったキハ35+キハ47+キハ40の3輛編成は、キハ35以外の新系列車には…

七尾線羽咋辺り

羽咋市街を走る七尾線は能登半島中ほどの丘陵地帯がとぎれる平地を進んで半島を横切る線形を描いている。羽咋川沿いの田園地帯で七尾線上り列車を待つ。やって来たのは5輛編成の金沢行で5輛全て形式のちがう楽しい編成であった。 能登中島発金沢行342D 七尾…

大行司 キハ66・67 4連同士の交換

この当時の私の撮影スタイルは何かの列車をめがけて出かけるのではなくて、たまたま立ち寄った駅や線路端に現れた列車にカメラを向けた偶然の度重ねであった。高速道路がまだ未整備だったあの時代、北九州からの帰り道、あえて遠回りになる筑豊を経由し嘉麻…

キハ31

国鉄分割民営化直前に登場した軽量ステンレス17mの軽快気動車はすっかり久大本線の顔となっていた。車内の2+1人掛けシートと運転室脇のワンマン運転対応機器はまるでバスを見るようであった。 久大本線湯平~庄内 H3(1991)/1 1面2線の上下線と留置線3線の配…

キハ80系“にちりん”編成の変遷 昭和43年10月~55年9月

キハ80系“にちりん”は昭和43年10月登場から電車に置き換わる昭和55年9月まで約12年間運転された。これまで編成について気にとめることもなかったが、かつて撮影したD511081の写真(転轍器2022年4月9日掲載)の後方にキハ80+キハ82が写っているのに気づき、こ…