気動車
先月、筑豊本線での無情な露出不足の写真を載せた際、閲覧いただいている“東上線ブログ”さんから現像ソフトで暗いネガも明るくできる旨連絡をいただいた。ほんとうだろうかと半信半疑、試しにほぼ透明なネガを送ってみた。何と真っ暗な画像が浮き出ているの…
DD51の牽くセメント石灰石列車は日豊本線から小倉を通過し、鹿児島本線貨物線をアンダーパスして鹿児島本線貨物上り線へと合流する。この位置は左から鹿児島本線上り線、日豊本線上り接続線と右端築堤から降りてきた鹿児島本線貨物上り線で、上り方向に3線が…
「ジョイフルトレイン長崎」は昭和63(1988)年8月、キハ65とキハ58が小倉工場で改造されて登場、それぞれ7002番を名乗る。先に改造された「サルーンエクスプレス」のキハ65+キハ58各7001番に続く付番であると思われる。 撮影:大分 H1(1989)/8 赤龍のキハ657…
日豊本線のL特急“にちりん”は博多~大分・宮崎・西鹿児島間に8往復が設定され、内西鹿児島往復はキハ80系で運転されていた。長躯西鹿児島から日向路、二豊路を8時間走り通した“にちりん8号”は最後のコースに向けて小倉でスイッチバックする。 5036D 小倉 S50…
忘れ去られたカラーネガにきれいな朱色とクリーム色塗分けのキハ17のコマがあった。前面貫通ホロの「カメキ」に誘導される。亀山気動車区のことだろうかと、配置表をめくると紀勢本線・関西本線の動力車を擁する亀山機関区の略号であった。手持ちの昭和50(19…
熊本駅本屋側から第3ホームの向こうに鎮座する明治の香り漂う煉瓦の庫を見る。熊本機関庫は九州鉄道時代の明治24年に開設された。 明治の庫は第3ホーム5番線から手の届くような至近距離で見える。昭和35(1960)年に行われた構内拡張工事で第3ホームが新設され…
キハ58系急行“由布”は新しい衣装に衣替えし、一部国鉄色が入っていた編成は全車統一された。5輛編成の内キハ65が3輛組まれている。 由布院 H3(1991)/6 国鉄時代の窓回り赤の塗分けから裾境のツートンに変わったのでおでこが広くなったように感じる。落ち着い…
由布院構内を起点側から見る。1番線は民営化直前に投入された軽快気動車キハ31が停車、3番線は上り急行列車を待つ乗客が佇んでいる。「ゆふいん温泉郷」の縦看板がよく目立つ。 由布院 H2(1990)/3 上り急行列車が雪の積もった盆地を行く。 由布院~南由布 H2…
久大本線由布院以東の急行列車は長崎・佐世保と別府を結ぶ“西九州”と博多から別府間“由布”2本の計3往復が設定されていた。昭和55年10月改正以降は“西九州”が廃止されて“由布”3往復体制となり、残念ながら久大本線から長崎本線へ乗入れる列車は無くなってしま…
久大本線のシンボルはやはり由布岳。別名「豊後富士」の双頭峰をバックに走るは名門急行“由布”がよく似合う。“由布”は昭和36年10月に準急として誕生、その後幾多の変遷を経て九州横断ラインの雄として君臨する。昭和56年10月時点で博多~別府間3往復が運転さ…
豊肥本線内牧駅で見た国鉄軌道バスと全く同じクルマを「由布院駅の側線で見た」と由布院電吉さんから一報があり画像をお借りした。国鉄時代での撮影なので現役の姿かもしれない。ドローバー風の連結棒でトロッコをつないでいる。改めて『保守用車総合データ…
豊肥本線内牧駅の貨物側線に置かれていた「怪しいモーターカー」について、WEBサイト『保守用車総合データベースMCDB』を線路端さんから案内された。それによるとこのクルマは国鉄が開発した軌道バスで、ダイハツライトバスをベースにしたとの事であった。車…
由布院発門司港行上り急行“はんだ”4輛編成が玖珠盆地を快走する。前2輛はキハ58 800番台、後ろはキハ66+67ユニットの組合せであった。撮影時の配置表で直方気動車区を見るとキハ58 800番台は8(801~808)輛、キハ66・67は15(1~15)ユニットが配置されていた…
実家の片付けをしていたら思わぬ琺瑯引きのサボ板が出てきた。たぶん国鉄時代末期に百貨店や量販店で開催されていた“鉄道用品即売会”で買ったものと思われる。片面「延岡行」、片面「富高行」であった。はて、日豊本線に延岡行や富高行の列車があったのか少…
キハ35系は朱色とクリーム色の塗分け時代に何度か会っているのにカメラを向けていない。その後首都圏色と呼ばれた朱色1色塗りとなって通勤形や近郊形気動車の魅力は半減した。 山口線で出会ったキハ35+キハ47+キハ40の3輛編成は、キハ35以外の新系列車には…
羽咋市街を走る七尾線は能登半島中ほどの丘陵地帯がとぎれる平地を進んで半島を横切る線形を描いている。羽咋川沿いの田園地帯で七尾線上り列車を待つ。やって来たのは5輛編成の金沢行で5輛全て形式のちがう楽しい編成であった。 能登中島発金沢行342D 七尾…
この当時の私の撮影スタイルは何かの列車をめがけて出かけるのではなくて、たまたま立ち寄った駅や線路端に現れた列車にカメラを向けた偶然の度重ねであった。高速道路がまだ未整備だったあの時代、北九州からの帰り道、あえて遠回りになる筑豊を経由し嘉麻…
国鉄分割民営化直前に登場した軽量ステンレス17mの軽快気動車はすっかり久大本線の顔となっていた。車内の2+1人掛けシートと運転室脇のワンマン運転対応機器はまるでバスを見るようであった。 久大本線湯平~庄内 H3(1991)/1 1面2線の上下線と留置線3線の配…
キハ80系“にちりん”は昭和43年10月登場から電車に置き換わる昭和55年9月まで約12年間運転された。これまで編成について気にとめることもなかったが、かつて撮影したD511081の写真(転轍器2022年4月9日掲載)の後方にキハ80+キハ82が写っているのに気づき、こ…
新宮発天王寺行11D“くろしお1号”が御坊発車。憧れのキハ80系、赤とクリームのきれいな車体とグレイのスカート、床下器具のコントラストが印象的。“くろしお”は名古屋~天王寺1、新宮~天王寺4、白浜~天王寺1の計6往復が設定されていた。 紀勢本線御坊 S50(1…
訪問時、南延岡機関区の気動車は高千穂線用にキハ20が7輛、キハ11が4輛配置されていた。昭和44年の配置表ではキハ20ー6・キハ10ー3とあり、キハ20は1輛増でナンバーは変わっていない。キハ10はその後キハ11と交代していた。扇形庫1番から3番線に仲良く並ぶキ…
キヤ191系は鉄道ファンNo.230「国鉄の事業用車」特集によると、本格的な架線・信号検測車として昭和49年と50年に3編成、6輛が製造され、直流電気検測車191系、交直流電気検測車443系電車の気動車版ということであった。キヤ190は架線の測定、キヤ191は信号関…
早月川は剣岳を水源に富山湾に注ぐ川で、複線の北陸本線と単線の富山地方鉄道のいずれも味のあるデッキガーダーの鉄橋が架かっていた。車窓から見える日本海の風景に魅かれて下車したものの、海をとり込む構図よりもバラエティ豊かな電車や列車が優先する結…
キハ07ーこの形式を知ったのはいつ頃だったか思い出してみる。汽車好きの少年は鉄道趣味誌や模型カタログを見ていたので歯車式とか機械式、液体式といった言葉は耳にしていたがその違いが何かは全くわからなかった。中学校社会科の授業で地図帳を開くと、宮…
益田構内は山口線と山陰本線の気動車列車が入線し、慌ただしい時を刻んでいた。これまで見たことのない切妻形スタイルの郵便荷物気動車に魅せられた。 キユニ191〔広コリ〕 山陰本線益田 S52(1977)/8/7 キユニ19誕生までの変遷を辿ってみると昭和28年に登場…
小海線は中央本線小淵沢と信越本線小諸を結ぶ78.9Kmの高原鉄道で、C56が牽く通風車や白い冷蔵コンテナが入った短い編成の貨物列車がイメージとして浮かぶ。小海線を訪れた昭和50年はハイカー達で満員になる新宿発EF64牽引の客車列車も健在の時代であった。「…
国道203号線を走っている。国道203号は佐賀~唐津間の一般国道でそのルートはJR唐津線とほぼ一致する。道路と線路の併走は鬼塚駅から厳木駅の先、笹原峠まで続いている。多久方面へ向かう車の助手席で早春の唐津線沿線の車窓を楽しんでいた。今はJR唐津線だ…
キハユニ15は昭和27年に登場した電気式気動車キハ44000(昭和32年形式称号改正でキハ09)を運転台側半室を郵便荷物室に改造して誕生した形式である。キハ44000は3扉車でその名残りが残っているのがわかる。熊本機関区で遭遇したキハユニ1515は肥薩線からの乗…
美祢線を訪れてから4年、偶然にも久大本線で急行“あきよし”と遭遇する。昭和47年時点では久大本線・日田彦山線は2輛編成で走っていたが、昭和51年では3輛編成に増強されていた。“あきよし”の列車体系はダイヤ改正と共に変遷し、昭和50年3月の改正で山口線編…
美祢線は2本の急行列車が設定されていた。ひとつは鳥取と熊本を結ぶ“さんべ1・2号”で、もう1本は浜田と博多・天ヶ瀬を結ぶ“あきよし”である。気動車急行全盛時代はこのようないくつもの線をまたがる長距離急行が多く運転されていた。“あきよし”の運転経路は…