転轍器

古き良き時代の鉄道情景

急行日田・はんだ

 由布院門司港行上り急行“はんだ”4輛編成が玖珠盆地を快走する。前2輛はキハ58 800番台、後ろはキハ66+67ユニットの組合せであった。撮影時の配置表で直方気動車区を見るとキハ58 800番台は8(801~808)輛、キハ66・67は15(1~15)ユニットが配置されていた。キハ66・67の急行運用は“日田”と“はんだ”だけだったようだ。 704D“はんだ” 久大本線北山田~豊後森 S53(1973)/5/3 撮影:蒲田環八さん 所蔵:転轍手

 時刻表から急行“日田”と“はんだ”の運用を探ってみる。直方を起点として“日田”、“はんだ”と愛称を変えて日に由布院まで2往復をこなす走行距離625.8Kmものすごい運用であった。しかも日田~由布院間は久大本線の急行“由布”に併結される運用の妙が仕込まれていた。閑散期はキハ66・67 1ユニットの運転のようで、観光シーズンや繁忙期は2ユニットで組まれ、“由布”と併結される日田~由布院間は10輛編成となって壮観であった。

 キハ66・67のユニットは向きが決まっているようで、上り“はんだ”は伊田日田彦山線から伊田線へ入る際に向きが逆になるも、下り“はんだ”が同様のコースを辿るので直方帰着は朝の出区時と同じ向きになる。

 時刻表昭和53年4月号から急行“日田”・“はんだ”の走行線区を抽出し、机上の旅を味わってみたい。

 急行“日田”の直方から由布院までの道のりを記す。直方を出る時は篠栗線経由博多行と同時発車する。鹿児島本線と合流するまでに筑豊本線経由熊本行“明星6号”とすれ違うはずだ。小倉7分停車の間に、快速南福岡行、荒尾行、583系“明星7号”、長崎からの夜行“ながさき”をやり過ごす。旅情掻き立てられるひと時ではないだろうか。香春2面4線、伊田・後藤寺各2面6線、豊前川崎・彦山各2面3線の広い構内を通る。日田で“由布1号”の後部にぶら下がり、天ヶ瀬で門司港行“あさぎり”と、豊後森で長崎・佐世保行“西九州”と離合する。

 由布院で“由布1号”を見送った後はサボを入れ替えて門司港行“はんだ”として発車する。愛称名はくじゅう連山に囲まれた標高800~1200mの丘陵が続く飯田高原に由来する。1往復めの帰りは単独列車で、来た時とはちがう道で伊田から伊田線に入り、直方から筑豊本線を北上し門司港に至る。14:20着。

 折返し由布院行“はんだ”は14:42発。頭端式ホームには14:46発快速熊本行が並んでいるはずだ。鹿児島本線複々線筑豊本線伊田線の複線区間ではセメントクリンカのホッパ車編成とすれ違う。伊田から日田彦山線へ入り、豊前川崎、彦山で小倉行をやり過ごす。夜明から久大本線となり、博多行“ひこさん”、別府行“由布2号”が並ぶ日田に到着、“ひこさん”の発車を待って“由布2号”の後部に連結する。

 由布院は上下の“由布2号”が交換する。下り“由布2号”にぶら下がって来た“はんだ”は10分間の間合いで素早く“日田”となって下り“由布2号”が出たら転線して上り“由布2号”の後部に付いて日田まで走る。日田からは日田彦山線を走破して小倉を目指す。気動車列車の運用はかように柔軟に行われるのかと改めて驚く。途中給油も無く625.8Kmを一気に走れるのかと重ねて仰天する。

 時代は少し下がって急行“由布1号”5号車に続くはキハ66・67の快速“日田”。 豊後森 S59(1984)/11/1

 温泉地日田・天ヶ瀬と由布院を志向する列車は北九州系統“日田・はんだ”と博多系統の“あさぎり・ひこさん”があった。 2706D博多行“ひこさん” 久大本線豊後中川~天ヶ瀬 S54(1979)/7/8

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