桜咲き誇る夜明駅をD6065〔大〕が牽引する貨物列車が発車する。久大本線、日田彦山線ともに県境に近いこの駅は場内信号機4基、出発信号機4基を有する重要な分岐駅である。大分運転所のD60、豊後森機関区の8620、門司機関区のC11が顔を会わせる魅惑の駅でもあった。昭和50年代末に元豊後森機関区の村井辰雄さん(故人)から全紙サイズの手焼きの写真をいただき大切に飾っている。 撮影:村井辰雄さん 所蔵:転轍手
夜明駅の構内配線は、対向列車と交換可能な久大本線に対して日田彦山線は1線スルーの構造であった。このような配線なので日田彦山線側で折返す列車、しかも機関車牽引列車が存在したなど全く想像もできなかった。
昭和33年の時刻表から筑前岩屋と夜明折返しの列車を発見して驚く。この時は日田線と呼称された時代であった。日田発の上り最終列車は筑前岩屋止りで、翌朝下り1番列車で夜明折返し、再び2番列車で日田へ下る運用であった。
時刻表から運用表を作成した。この流れで以下夜明駅での機回しの様子を推理してみる。
筑前岩屋5:30発の下り1番列車は5:56夜明3番線に着く。
機関車は客車連結のままいったん久大本線へ出て、2番線へ後退する。
機関車は客車を2番線に置いて久大本線下り方へ出て、1番線に転線し久大本線上り方へ引上げる。
機関車は2番線に置かれた客車へ連結。
2番線の客車をそのまま下り方へせり出し、日田線3番線へ転線、ホームに据え付ける。夜明6:14発筑前岩屋行730レとして発車する。到着から約18分、神業のような機回しを行っていたことが垣間見えた。この間久大本線の上下列車で支障することはなく、下りは6:52、上りは6:24で機回し終了後の到着であった。
夜明で機回しを行う列車運用があったのはこの時だけでその後は解消されている。日田彦山線になった後の昭和36年の時刻表から客車列車の運転区間は以下の通りであった。
門司港-日田
伊田(行橋)ー添田
伊田(行橋)ー彦山
伊田(勾金)ー西添田
伊田(直方)ー添田
添田ー彦山
筑前岩屋ー日田