転轍器

古き良き時代の鉄道情景

明治29年頃の九州における鉄道開通図 訂正

 「日田彦山線 線形の変遷について」の記事を、先日令和4(2022)年10月9日に掲載した。この記事について一部間違いがあると大之島鉄道さんからご指摘をいただいたので訂正させていただき、ご指摘いただいた大之島鉄道さんにお礼申しあげます。

 明治29年当時の鉄道建設はどの程度進んでいたのか調べて略図にしてみた。後の鹿児島本線佐世保線は九州鉄道が、後の筑豊本線上山田線・幸袋線・伊田線筑豊鉄道(←筑豊興業鉄道)が、後の日豊本線田川線は豊州鉄道がそれぞれ路線網を延ばしていた。後者2社はこの後九州鉄道と合併し11年後に国有化された。

 10月9日掲載の記事は上記の通りで赤部分が間違っていた。
 日豊本線小倉~行事間は明治28(1895)年4月1日、九州鉄道が建設、開通させた。同年8月15日、豊州鉄道が行橋~伊田間を開通。行事駅は行橋駅に改称されている。(九州の鉄道100年記録誌 鉄輪の轟き/九州旅客鉄道株式会社/平成1年10月刊)日豊本線建設の経緯は小倉~行事間が九州鉄道、行橋~長洲(→柳ヶ浦)間が豊州鉄道が開通させた。明治34年、豊州鉄道は九州鉄道と合併、九州鉄道は明治40年に国有化され、柳ヶ浦以南は官設鉄道として建設されたことを改めて整理しておきたい。