転轍器

古き良き時代の鉄道情景

門司港駅 昭和49年

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 優雅な建築の駅舎の改札口を入るとそこは九州各地へ向かう列車が並び、車輌基地や貨物ヤードの広がる魅惑の鉄道風景が展開していた。

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 下関から関門渡船で九州に上陸すると威風堂々の門司港駅本屋がそびえていた。“門司”の響きはすなわち鉄道の要衝、門鉄の威厳を感じ、起点駅の風格がみなぎっていた。駅舎の海側はかつての関門連絡船用の入口があり古い歴史を感じることができる。独特な屋根の輪郭は印象に残っている。
 門司港を訪れた昭和49年春は前年に関門橋が完成、翌年に開通する新関門トンネル工事もたけなわで関門の新しい時代への過渡期であった。 鹿児島本線門司港 S49(1974)/5/2

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 改札口を出たところに「0哩(ゼロマイル)」標が建っている。鉄道100年の昭和47年に建てられたことを知る。「ここは九州の鉄道の起点となったところです」と記されている。  鹿児島本線門司港 S49(1974)/5/2

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 頭端式ホームから駅舎の後ろ姿が見える。2面4線のホーム番線は山側1・2番、海側4・5番で中線3番は到着列車の機関車の機回し線である。2番線はDD51625〔鳥〕先頭の筑豊本線原田行1741レが発車待ち、後方1番線は1117D急行“くまがわ”湯前行キハ58群がアイドリング中である。 鹿児島本線門司港 S49(1974)/5/2

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 昭和49年の時刻表から門司港発着の列車を眺めてみた。優等列車鹿児島本線系は特急“有明”、急行“くまがわ”、“かいもん”、筑豊本線系は急行“はんだ”、日豊本線系は急行“青島”、“ひまわり”、“ゆのか”と“みやざき”があった。普通列車客車の行先は原田・長崎・佐世保・柳ヶ浦・宇佐・後藤寺・大分行が、気動車では小倉・後藤寺行、電車では熊本・荒尾・久留米・南福岡・博多・新田原・中津・柳ヶ浦行があった。海側5番線は423系柳ヶ浦行が発車待ちしている。その隣りは門司港客貨車区の留置線で門モコの客車が留置されていた。 541M 鹿児島本線門司港 S49(1974)/5/2

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 筑豊本線原田からの門司港乗入れ客車列車は伝統的に続いていた。DD51の前は若松のC55、直方のD60が牽いていた。もう少し前は日田彦山線日田からのC11牽引列車も来ていた。そんな時代に来てみたかった、と思う。貨物列車は構内山側を外浜へぬける貨物線があり昭和49年当時は蒸機牽引も健在であったはずである。 鹿児島本線門司港 S49(1974)/5/2

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 3番機回し線でパンタを降ろしたED7657〔大〕が休んでいた。この後の柳ヶ浦行523レの牽引機になるものと思われる。この時客車列車は日豊本線系はまだ健在であったが、鹿児島本線系は夜行列車以外、日中の客車列車は皆無であった。 鹿児島本線門司港 S49(1974)/5/2

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 昭和48年3月の配置表を見ると門司機関区にはDD13-12輌、DE10-9輌、DE11-4輌とDD51-7輌が配備され、DD51以外は門司地域の操車場やヤードの入換に使われているものと思われる。いたる所で煙をあげていた9600とC11は姿を消していた。客車留置線にDD13230〔門〕が小休止していた。となりに見えるオハニ3620〔門モコ〕は夜行“みやざき”の編成のようだ。 鹿児島本線門司港 S49(1974)/5/2

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 山側の貨物ヤードはDD13211〔門〕が唸りをあげていた。後方土手の斜面、草が刈られたコンクリートの壁に安全標語が書かれている。上の段は読めないが下の段の「打合せの徹底」はよく見える。この土手の下を外浜に向かうセメント専用貨車の清一色のきれいな編成が通っていた。 鹿児島本線門司港 S49(1974)/5/2