
日本セメント香春工場で生産されたセメントは粉体タンク車タキ1900に積込まれ、香春から日田彦山線を北上し葛葉、門司埠頭、東小倉へバラ輸送されていた。

セメント工場への専用線は香春起点方、採銅所寄りから分岐していた。電柱の向こうに見える線路がそれと思われる。

蒸機時代はD51が40トン積タキ1900を連ねて香春を発車する。金辺峠に向かって上り勾配がきつくなる。 日田彦山線採銅所~香春 S48(1973)/3/30

日田行気動車の車窓から上りセメント列車を撮る。セメント工場の煙突がこんなにも近くに見えていたのかと改めて気づかされる。 香春 S51(1976)9/20

香春からのセメント輸送は、東小倉・葛葉・門司埠頭にある日本セメント包装所へ送られ、そこから海上輸送されることを後になって知る。また田川線・日豊本線経由苅田港向けの新たなルートは増産による苅田港積出で設定されたことを知った。石炭輸送で敷かれた夏吉(貨)から勾金への連絡線に再び貨物列車が走るようになったようだ。 田川線夏吉(貨)~勾金 S60(1985)/8/17

20輛のタキ1900が苅田港へ到着した。始発時の車掌車ヨ8000は機関車次位であったが、勾金でスイッチバックするので到着時は最後尾となる。タキ1900は荷重40トン自重14トンとして、この列車は1000トン以上の重量編成だ。 苅田港 S60(1985)/8/17

DE101745〔直〕はSG無し車、前面ナンバーの位置に白ラインはなく、ナンバーも切抜き文字直接貼付けではなくプレート式となっている。

どこからともなく現れた「アサノセメント」とレタリングされた機関車は「鉄道番外録1(ないねん出版/H6(1994)年8月刊)」によると、日車35トン機K-1号というらしい。タキ1900の列を分割して、もうこれ以上立ち入れない工場の奥へと消えて行った。

同書籍によるとK-1号入線の前は、元大分交通のD33が使われていたとのこと。センターキャブに日本セメントのロゴと「日本セメント苅田包装所」が標記され、また大分交通車紋の位置には「運転速度10Km/h以下/けん引重量660t以下」が記されていた。 大分交通中津車輛区 S47(1972)/1/6