転轍器

古き良き時代の鉄道情景

北九州・筑豊で会ったホッパ車たち

 北九州や筑豊の複雑な鉄道地帯では他では見ることのできない石炭や石灰石を積むさまざまな形式のホッパ車が運用されていた。もちろん蒸機を撮りに行っているので全体のわかる形式写真は残っていないが、画面の一部に写った画像からあの時代の石炭・石灰石輸送を担った車輌を振り返ってみたい。

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 D5110〔直〕の牽く専用列車は3通りの車種で、前寄りは石炭車セキ6000群、中程は2軸石炭車、後部は日鉄鉱業の私有貨車ホキ8000で組まれている。伊田線では9600が、筑豊本線ではD51が引っ張っていた。 筑豊本線筑前垣生~筑前植木 S47(1972)/8/11

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 ホラ1形式は麻生セメントの私有貨車で当初はセメント積載のため屋根が設けられていた。撮影時、屋根は撤去され船尾から苅田港への石灰石輸送に運用されていた。「ASO PORTLAND CEMENT」と標記された白地の円形ロゴが遠目からも印象的に映る。 船尾 S48(1973)/3/30
 ロホラ8 形式ホラ1 麻生セメント セメント専用 船尾ー上戸畑間専用 船尾駅常備
 ロホラ18 形式ホラ1 麻生セメント セメント専用 船尾ー上戸畑間専用 船尾駅常備

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 ホラ100形500番台はガラス原料の珪砂を運ぶため石炭車セラ1から改造される。簡単な屋根が取り付けられているように見える。二島には日本板硝子若松工場の専用線があった。2輌見えるが区間標記は同一でないのがおもしろい。 豊前川崎 S51(1976)/9/20
 ロホラ500 形式ホラ100 豊前川崎ー二島間専用 豊前川崎駅常備
 ロホラ508 形式ホラ100 豊前川崎ー二島間専用車 豊前川崎駅常備

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 突然貨物線に現れたDD51は見たことのない怪しい車を従えていたので思わずカメラを向ける。石炭車に分厚い帽子のような蓋を被り、白く霞む車体の管理局標記は「門」ではなく「広」であったので一層の不思議な貨車として印象に残る。 小倉 S51(1976)/9/19

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 コキやワムの次に現れたのは今度はまた屋根の形状がちがうセラもどきであった。画像を拡大するとロホラと読め、屋根の形状にさまざまなパターンがあるホラ100であった。「広」標記のホラ100は厚狭駅常備で、美祢~西八幡間を製綱用生石灰輸送で運用されたことを知る。 小倉 S51(1976)/9/19

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 セキ6000の列と思っていたら機関車次位のセキは側扉のアングルの数が少なく、セキ6000ではないことに気づく。 筑前垣生~筑前植木 S47(1972)/8/11
 ロセキ6244 形式セキ6000 船尾ー上戸畑間専用 船尾駅常備
 ロセキ6276 形式セキ6000 船尾ー枝光/上戸畑 間専用 船尾駅常備

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 セキ1000は石炭輸送用として北海道に投入され、その後本州や九州に転属し石灰石輸送に運用されるようになる。松浦線臼ノ浦線の石炭輸送で見られたクラシックな石炭車はセキ1000であったと思われる。 筑前垣生~筑前植木 S47(1972)/8/11
 ロセキ1804 形式セキ1000 船尾ー苅田港/上戸畑/枝光 間専用 船尾駅常備

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 セキ6000の連結面を見る。ブレーキハンドルは妻面に取り付けられている。検査標記は若松工場45-10/ 49-10と記載されていた。 船尾 S48(1973)/3/30
 ロセキ6262 形式セキ6000 船尾ー上戸畑/苅田港 間専用 船尾駅常備

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 セキ6000端面の反対側は側扉開閉の手動ハンドルと開閉ギヤを覆う丸味を帯びた箱状のものが左右に装備されている。側面、端面に取り付けられた架線注意標識や黄帯が車体のアクセントとなる。 後藤寺 S47(1972)/3/30
 ロセキ6259 形式セキ6000 船尾ー上戸畑/苅田港 間専用 船尾駅常備

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 セキ1000は側面の斜め補強アングルや側扉上に並ぶ補強材、TR20台車を履く外観はいささかクラシックで石炭車の発展途上形のように見える。端面のブレーキハンドルや側扉開閉ハンドルは側板の上に伸びる古いタイプのようだ。架線注意標識も取り付けられていない。 行橋 S46(1971)/8/10
 ロセキ1027 形式セキ1000 船尾ー苅田港/上戸畑/枝光 間専用 船尾駅常備

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 ホキ4200は麻生セメントの私有貨車で昭和42年に18輌が製造された。「ASO PORTLAND CEMENT」ロゴのイラストは空想の動物であろうか。ナンバーの四角囲みも意味ありげではあるが詳細はわからない。 行橋 S46(1971)/8/10
 ロホキ14212 形式ホキ4200 麻生セメント株式会社 石灰石専用 船尾苅田港間専用車 船尾駅常備

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 石原町発の石灰石専用列車。石炭積載用のセキ6000は石灰石輸送に使われていた。石灰石の比重は石炭より大きいので積載オーバーにならないよう控えめに積んでいるものと思われる。 志井~石原町 S46(1971)/8/10
 ロセキ6312 形式セキ6000 黒崎ー石原町間専用 黒崎駅常備

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 ホキ8500は三菱セメントの私有貨車で石原町から専用線で入った工場から黒崎の間で運用されていた。35トン積でホキ4200よりも長く黒光りする車体は垢抜けて見えた。 志井~石原町 S46(1971)/8/10
 ホキ8501 形式ホキ8500 三菱セメント株式会社 石灰石専用 石原町駅常備

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 平成になって再訪した石原町。ホキ8500は健在であった。ナンバーの前の「▲」標記が気になる。 石原町 H8(1996)/2/1
 ホキ8538 形式ホキ8500 三菱マテリアル株式会社 石灰石専用 黒崎駅常備

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 筑豊で見た石灰石ホッパ車はどれも個性的であったが、複雑な図形で構成されたような独特のスタイルのホキ8000は漏斗状の形状がそのまま外観になっているので細身に、そして奇抜に見えた。 筑前垣生~筑前植木 S47(1972)/8/11
 ホキ8006 形式ホキ8000 日鉄鉱業株式会社 石灰石専用 船尾駅常備

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 ホキ8000は日鉄鉱業の私有貨車で昭和42年から45年にかけて18輌が製造され、船尾~西八幡の間で運用された。 赤池~金田 S48(1973)/3/31
 ホキ8014 形式ホキ8000 日鉄鉱業株式会社 石灰石専用 船尾駅常備

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 ホキ3500は昭和28年頃より製造され、主にセメント工場からダム建設現場にセメントを直送するのに使われた。昭和38年に完成した宮崎県の一ツ瀬ダム建設工事のセメント輸送は、日豊本線海崎から妻線杉安までホッパ車15輌で行われたと聞き、ホキ3500が使用されたのではないかと推測する。写真はD51が牽引する日本セメント香春工場から門司もしくは小倉の包装所へピストン輸送するホキ3500の専用列車。 志井~石原町 S46(1971)/8/10
 ホキ3606 形式ホキ3500 日本セメント株式会社 セメント専用 香春駅常備

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 セメントクリンカは石灰石や粘土、硅石などのセメント原料をキルンで焼き固めて冷したセメントの素になる塊である。独特の形をしたホキ6700はセメントクリンカ専用のホッパ車として昭和39年から製造されている。日田彦山線でしか見られない形式であった。 小森(信) S46(1971)/8/10
 ホキ6729 形式ホキ6700 三菱セメント株式会社 セメントクリンカ専用 石原町駅常備

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 後年の石原町にて。蒸機時代の社名はその後三菱鉱業セメント、三菱マテリアルと変遷している。 石原町 H8(1996)/2/1
 ホキ6726 形式ホキ6700 三菱マテリアル株式会社 セメントクリンカ専用 石原町駅常備

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 ホキ6800もまた独特なスタイルで筑豊の名物であった。伊田線は9600が、筑豊本線ではD50・D60D51DD51が牽いていたが、私的にはD60が牽く姿が一番似あっていたように思う。 金田 S48(1973)/3/31
 ホキ6806 形式ホキ6800 三井セメント株式会社 セメントクリンカ専用 金田駅常備

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 後年、行橋から飯塚へぬける国道201号線を走っていたら偶然にも三井セメント関の山鉱山から金田を結ぶ専用線と出会う。かつてのホキ6806と再び相まみえる。社名は三井鉱山に変わっていた。車体のレタリングは白い粉で全く見えない。 三井鉱山田川工場 S60(1985)/8

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 初めて見るホサ8100。石灰石専用のホキ8100を荷重を20トンに減らし石炭輸送に転用されている。運用は大牟田~金田間で、三池炭鉱の石炭を鹿児島本線筑豊本線伊田線経由で三井鉱山のセメント工場へ輸送するためであった。 三井鉱山田川工場 S60(1985)/8
 ホサ8125 形式ホサ8100 三井鉱山株式会社 石炭専用 大牟田駅常備

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 金田から約5㎞の山の中腹に三井鉱山のヤードがあった。すぐ近くには麻生セメントの船尾のヤードもあって、辺りは石灰岩の採掘場が広がっていた。 三井鉱山田川工場 S60(1985)/8

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 ホキ4700は美祢線宇部線で活躍していたが北九州で見たのはこれが最初であった。DD51牽引のホキ6700の編成と組まれていたが運用区間等詳細はわからない。常備駅の南港駅は国鉄線のどこを探しても見当たらず、名古屋臨海鉄道の駅とわかるまでに随分時間を要した。 門司 S57(1982)/8/18
 ロホキ4763 形式ホキ4700 日本石油輸送株式会社 生石灰専用 南港駅常備

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 バラスト散布のホキ800は各管理局に配備されていたので見慣れた形式ではあったが、ホッパ車の聖地、石原町駅常備であったのが興味を惹かれる。 小倉 S48(1973)/3/30 ホキ952 形式ホキ800 門 石原町駅常備

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 筑豊で会った貨物列車の緩急車はワフよりもセフの方が確率が高かったように思う。ナンバー標記の上の「▲」は何を意味するするのか気になる。 ロセフ158 直方 S46(1971)/8/10

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 セフ1形式は12トン積石炭緩急車で、昭和29年から34年にかけてセムフ1000・セム6000から310輌が改造されて誕生した。車掌室は戦時形のセムフ1000から大幅に拡大、台枠とホッパはセム6000を更新・改造したものであった。北九州・筑豊で見た貨物列車の先頭や最後尾に組まれたセフは何ともいえない哀愁があった。 ロセフ248 船尾 S48(1973)/3/30