2023-01-01から1年間の記事一覧
平成時代、「唐津くんち」見物に訪れた際、唐津駅に隣接する物産館に唐津の街並みを撮った本が閲覧できるようになっていた。「唐津鉄工所」を撮った写真は、私には後方のたくさんの冷蔵車が並ぶヤードに目が奪われた。「二タ子」というカタカナ混じりの地名…
久大本線の久留米側は広大な筑紫平野の東側を通る。東へ向かう線路は北に筑紫山地、南に耳納山地の山なみを望みながら、南久留米ー御井ー善導寺ー筑後草野ー田主丸ー筑後吉井ー筑後千足ー筑後大石と平坦線で進む。 御井を出てラストスパートにかかるD6060〔…
三ノ宮は雲井通の高架線脇を歩いていたら背後から頭上を機関車の音が通り過ぎて行った。モーター音が小さくなっていくと今度はコンテナ車特有の小気味よいジョイントのリズムが街なかに響きわたる。その音はいつまでも続き、まだ間に合うとカメラを取り出す…
キハ35系は朱色とクリーム色の塗分け時代に何度か会っているのにカメラを向けていない。その後首都圏色と呼ばれた朱色1色塗りとなって通勤形や近郊形気動車の魅力は半減した。 山口線で出会ったキハ35+キハ47+キハ40の3輛編成は、キハ35以外の新系列車には…
偶然通りがかった駅の踏切警報機が鳴り出したので建物の脇からカメラを構えたのではないか。当たり前の日常の風景が切りとられていた。 枕木柵で仕切られた構内にあずき色の下り電車が姿を現す。線路脇はもうすっかり忘れ去られた鉄道風景が垣間見える。古枕…
A個室寝台をずらりと連ねた20系“あさかぜ”に、新幹線岡山開業時の昭和47年3月、14系寝台車が仲間に加わった。3往復のうち1往復が14系に置換えられ“さくら”、“みずほ”と同じ編成になった。初めて14系ブルートレインを見た時は驚きとともにスハネフ14のディー…
「D6026とD6060」の記事を令和4(2022)年12月18日に掲載した。D6060について記述が一部おかしい箇所があるとの指摘を読者からいただいた。D6060は昭和45年1月31日に廃車されたものの、その後出てきた写真の撮影日付が8月であったので『D6060の廃車日付は帳簿…
せっかくのブルートレイン撮影も行き当たりばったりなので良い写真は残せていない。慌てて品川11番ホーム先端へ走って行ったのではないか。EF65509〔東〕が14系寝台車14輛を連れてフルスピードで駆け抜けて行った。 東海道本線下り電車からの車窓は新橋から…
クモハ73の顔はバラエティ豊かで楽しい。前面窓は形状と窓枠、傾斜の有無、前照灯の位置(幕板埋込み・屋根上)、方向幕・運行窓・通風器の有無、雨樋・パイピングと枚挙にいとまがない。この編成は両端クモハ73、中2輛がサハ78のようで、2輛めは3段窓の古いハ…
若松発直方行気動車列車は遠賀川を渡って直方平野を南下する。複々線の線路は中間から先は複線となる。石炭輸送全盛期の筑豊本線は折尾から中間まで複々線、中間から筑前植木までは複線+単線の3線区間であったことを知る。 筑豊本線筑前垣生~筑前植木 S47(…
宇佐参宮鉄道は官設鉄道宇佐駅を挟んで宇佐神宮のある宇佐町と周防灘に面する高田町を結び、大正5年3月1日に開業した。大分交通宇佐参宮線となったのは、国東・宇佐参宮・耶馬渓・豊州の各鉄道を合併した別府大分電鉄が大分交通として商号変更した昭和20年4…
目黒付近の地形は都会とは思えない深い谷があった。わざわざ山手線の103系を撮りに来たのではなく、掘割のような低い位置を通る貨物列車が目当てであったが、うぐいす色の電車しかやって来なかった。目黒を出て恵比寿へ向かう編成は貨物線をオーバークロスす…
カーラジオから流れてきた曲の「北千住駅のプラットホーム」の歌詞が耳に留まり、何という曲だろうかと後の検索で“あいみょん”の「ハルノヒ」を知った。と同時に遠い青春時代、北千住駅から吊り掛け電車に乗ったことを思い出す。常磐線、東武伊勢崎線、営団…
模型の作例でよく見かけたのはこのタイプの黄帯を巻いた有蓋緩急車で「道外禁止」のレタリングとともに絵になる車輛であった。戦後製のワフ22000を2段リンク改造をせずに65Km/h制限とし、形式はワフ122000とされた。 ワフ122826 宗谷本線抜海~稚内 S49(1974…
貨物列車の編成の前後に付いていた車掌車や緩急車はとても魅力的であった。機関車メインの写真なのでそれらは写ってはいるが、どれも小さくて外形は皆同じように見えたものだ。改めて振り返ると形式ごとに様々なバリエーションがあったようで、車掌車(緩急車…
蒸機時代、豊後森から日田へ向かう夕方の区間列車があった。趣味誌で見たその列車はD60+8620+客車2輛+貨車のまるでメルヘンの世界のような光景で印象に残っている。そのスジはディーゼル化されることなく50系客車でこの時も連綿と続いているようであった…
昭和58年6月に小学館から刊行された「国鉄全線各駅停車10九州720駅」の巻末綴じ込みに廃止停車場一覧表が載っていた。地図には載らない自分の知らない駅や信号場が多数あって興味深く見入っていた。目に留ったたくさんの気になる駅のひとつが唐津線の相知炭…
佐賀と唐津を結ぶ国道203号線を唐津方面へ走って行くと、相知市街地を抜け、松浦川を渡った辺りから始まる不思議な鉄道風景に目を奪われる。並行して走る唐津線が松浦川をトラス橋で渡ると、それよりも高い位置を通る線路敷らしきものが目に入る。回り込んで…
富山地方鉄道射水線八ケ山駅は始発駅の新富山から2つめ、高山本線と北陸本線を跨いだ先にあり、ホームから階段を昇って少し高い位置に三角屋根の、まるでおとぎの国のようなかわいい駅舎が建っていた。 射水線八ケ山 S51(1976)/9/15 宿でくつろいでいると列…
宇部・小野田線の旧形国電は105系によって新性能化されたことを趣味誌の便りで伝え聞いていた。小野田線の本山支線は単行運転が行われていたので両運転台のクモハ42が残っていたと思われる。所用で山口に行った帰り、宇部新川へ遠回りした甲斐があって運良く…
クモハ41024〔広ウヘ〕 小野田駅1番線に宇部新川往復のクモハ41+クハ55の2輛編成が待機していた。クモハ41は前面部分が緩やかなカーブを描く半流線形で、黄色の警戒色が良いアクセントとなっていた。側面はウインドシル・ヘッダーのリベットや運転席の扉、…
蒸機の時代、冷水峠へ向かうためこの駅に降り立ってから20年以上経過していた。夜明前の乗換えであったので構内の写真は撮っていない。転車台があるうちに再訪したいと思いつつ時は流れて平成の時代になっていた。 訪問時は昭和50年代末期頃の配線と大きな変…
本を読む機会はめっきり少なくなった今、病院や歯医者の待ち時間に気ままな汽車旅を綴った内田百閒の「阿房列車」(新潮社刊)シリーズを読んでいた。「第三阿房列車」に収められた「長崎の鴉 長崎阿房列車」の頁をめくっている時に私の汽車の壺をくすぐられた…
この写真は昭和35年頃の久大本線天神山駅の様子で、父親が遺したネガから見つけたものである。汽車の写真を撮る趣味は無く、汽車に乗って出かける際のスナップと思われる。私の昭和30年代の移動といえば、徒歩とボンネットバスとD60が牽く汽車が全てであった…
日田杉の山々と穏やかな玖珠川の渓流が織りなす景色の中、久大本線下り気動車列車は第4玖珠川橋梁を渡り、第5玖珠川橋梁手前のR400の左曲線を進む。 久大本線最後の開通区間、日田~天ヶ瀬間は蛇行する玖珠川を7回も渡る山岳地帯の難所であった。昭和9年11月…
羽咋市街を走る七尾線は能登半島中ほどの丘陵地帯がとぎれる平地を進んで半島を横切る線形を描いている。羽咋川沿いの田園地帯で七尾線上り列車を待つ。やって来たのは5輛編成の金沢行で5輛全て形式のちがう楽しい編成であった。 能登中島発金沢行342D 七尾…
D6021〔大〕が上り列車を牽いて力強く日田を後にする。貨物側線は木材積載のトラが見える。 久大本線日田 S44(1969)/4/1 由布院発日田彦山線経由博多行急行“ひこさん”の先頭車はキハ55だろうか?フロントガラスから天ヶ瀬駅の情景が捉えられていた。待ってい…
527列車は日豊本線下り門司港発大分行である。この列車に行橋から大分まで乗車し、途中の交換列車や車窓にカメラを向けた。列車内は人が写るので撮ることはなかったが、この時はどういうわけかオハ35の車内を1枚だけ撮っていた。乗客が少なくなったところで…
北陸本線富山駅は富山地方鉄道新富山へ行くのに立寄った時、魚津駅は富山地方鉄道本線から北陸本線に乗換える時、それぞれわずかな時間に偶然出会った列車を撮ったものである。毎度後になって思うことであるが、車輛だけにしかカメラを向けていないので駅構…
プリントしていないネガに2コマだけ東武のロマンスカーが写っていた。撮影旅行ではないのであまり記憶に残ってはいないが、鬼怒川温泉で開催されたゼミのセミナーに参加するのに浅草から乗車した時、もしくはその帰りの時と思われる。ロマンスカーの名前通り…