転轍器

古き良き時代の鉄道情景

青梅鉄道公園

 C515 形式C51
 フロントデッキの曲線と直線的デフが合っていない。デフは蝶番の付いたドイツ風の大形で趣味誌でもよく見かけた形態だと思う。配置表は昭和20年では奈良、昭和34年では伊勢でナンバー5を見いだすことができた。

E102 形式E10
 4110の後継機となったE10は奥羽本線板谷峠肥薩線矢岳越え、北陸本線倶利伽羅峠に使われて最後はD50と共に米原~田村間の交直接続に従事した。初めて見るE形タンク機関車の迫力に圧倒された。

 C111 形式C11
 馴染みのある機関車であるがトップナンバーだと威厳を示しているように感じる。よく見ると汽笛が前方にあり、蒸気ドームと砂箱の位置がこの並びなのは1次形C111~23までとのことであった。昭和7年汽車会社製、最終配置は福知山であった。

 8620 形式8620
 キュウロクの化粧煙突と双璧を成すハチロクのチムニーキャップはとても魅力的に映る。トップナンバーは大正3年落成の後、若松から松山へ転じ昭和33年頃まで稼働した模様。

 9608 形式9600
 展示機関車はどれも黒光りしていたが9608だけは化粧を施されていない廃車体のように映る。「蒸気機関車(キネマ旬報社)」誌9600特集に掲載された番号順配置表を見ると、昭和8年加茂、昭和22年吹田、昭和36年竜華となっていた。

 2221 形式2120
 昭和31年の配置表を眺めると入換専用として新庄・品川・飯田町・沼津・静岡・浜松・稲沢第一・高岡・糸魚川・七尾・梅小路・吹田・岡山で稼働していた。2221は土崎工場で見つけることができた。

 110 形式110
 「鉄道記念物につき立入らないで下さい」の案内板が付けられ柵で囲われていた。昭和36年10月14日に鉄道記念物に指定されている。「国鉄蒸気機関車小史(臼井茂信著)」によると、京浜間に使用されたわが国最初の機関車群10両のうちの1両で、製造は明治4(1871)年イギリスのヨークシャーエンジン社で軸配置は1Bであった。反対側は内部がわかるように切開されているようでドームの形がおかしいのはそのためと納得がいった。

 5540 形式5500
 ランボードが前方に角度がつきシリンダーが上を向く独特なスタイルの2Bテンダ機関車は“ピーコック”や“スチュアート”名のイギリス製機関車と刷り込まれていた。5500はベイヤーピーコック製で日本鉄道の標準機関車のひとつになり、国有化後は主に東日本に分布していたようだ。

 スシ28102 形式スシ28
 戦前製食堂車形式の変遷はとても複雑で整理してみた。スシ37700形式は昭和16年にスシ37と改番される。タイプは二重屋根車と丸屋根車があり、昭和28年の称号規程改正で二重屋根のスシ37はスシ28 0番台、丸屋根のスシ37はスシ28 100番台となった。何れも冷房装置はなく、冷房装備車は重量が重くなってマシ29(二重屋根0番台、丸屋根100番台)となる。東海道・山陽・東北の夜行急行で運用されたようだ。

 青梅線撮影の折りに青梅鉄道公園に立寄っている。当時は古典機関車や戦前製客車に視点はなく来た証にと儀礼的にスナップしたものだ。C51の後ろに置かれていた展望車は残念ながら撮っていなかった。今見ると貴重なカットで改めて車輛の概要や変遷に触れることができた。 青梅鉄道公園 S52(1977)/12/2