転轍器

古き良き時代の鉄道情景

北九州筑豊

折尾

蒸機の聖地、筑豊の入口はここ「折尾駅」。2階の鹿児島本線ホームから地平の筑豊本線乗場に下りると上の賑やかさとはうって変わって静かなたたずまいの中、独特のデフを装備したC5552〔若〕の牽く原田発若松行の10輌はつないでいるであろう長い編成が待って…

冷水峠

昭和44年3月時点で若松機関区のC55は7輌(3・19・46・51・52・53・57)が在籍し、筑豊本線と上山田線の客車運用に就いていた。45年以降はC57との置換えが始まり、新庄からのC57170、大分からのC5753、豊岡からのC5752が全検期限まで使われた。47年3月最後の2…

田川線今川橋梁

何度か繰り返した筑豊汽車見物で、筑豊への入口は折尾・原田・城野と行橋であった。どこも胸のときめく筑豊へのプロローグであったが、行橋はことさら思いのつのる憧れの地への入口であった。日豊本線門司港行夜行が新田原を過ぎてしばらくすると、進行左側…

船尾発苅田港行7494レ

石灰石専用列車の先頭で奮闘するキュウロクはともに化粧煙突の、ランボード一直線の59647〔行〕と2段ランボードの59684〔行〕で、いずれも行橋機関区の罐であった。続くホキ4200は積荷の汚れで黄帯やレタリングは霞んでいるが車体のリブと輪郭は鮮明に見えて…

田川線油須原辺り

行橋から今川に沿って上流に向かう田川線は油須原から渓流とは反対側の北寄りに進路をとる。豊津からのゆるやかな勾配は崎山から急な上り坂となり、油須原を過ぎた先が最高地点となってそこから直方平野の南の端、伊田へと下って行く。赤村の油須原駅は旺盛…

行橋駅貨物取扱設備

行橋は2面のホームに3線の日豊本線・田川線のホームと貨物列車退避の副本線2線がレイアウトされていた。中線に向い合せのセフ2輌だけの田川線下り貨物が入って来た。行橋で見る貨物列車は田川線と苅田港を行き来する石炭専用貨か石灰石専用貨の長編成重量列…

勾金界隈

国鉄難読駅の筆頭のような勾金(まがりかね)駅へは油須原駅から駅間距離約7㌔を歩いてやって来た。情報の少なかったあの時代、B6版の「季刊蒸気機関車'69増刊 鉄道写真撮影読本」(キネマ旬報社/昭和44年7月刊/580円)に拠るところが大きかったと思われる。…

伊田線のC11302

伊田発直方行の上り列車が直方平野を流れる遠賀川を渡る。橋梁を渡り終えると右カーブで筑豊本線の複線に寄り添い、複々線の形で直方へ向かう。 234レ 伊田線直方~中泉 S46(1971)/8/10 川原から鉄橋上を疾走する機関車を見る。角ばったドームの機関車はC113…

金田

29641〔直〕は継足しの無い短い化粧煙突、放熱管がランボードの下という独特のスタイルをしている。ホキ6800の編成から離れ、機回し線から上り本線に出てきたところ。下り場内信号機が建つこの位置からは広大な金田構内が遠くに見える。 伊田線金田 S48(1973…

伊田線 中元寺川の両岸

筑豊の鉄道地図を見ると直方平野を縦横無尽に張り巡らされた路線は川の流れに沿って敷設されているのがわかる。筑豊の石炭はその昔遠賀川を川船で運ばれていた。その輸送手段が鉄道に変わってからも運炭ルートは川の流れに沿って変わっていないことを思い知…

小森信号場

石原町から2キロ弱歩いたところに小森信号場があった。そこは石原町~呼野間で本線からセメント工場への専用線が分岐する地点であった。昭和46年訪問時はこの信号場を廃止すべく、石原町から直接セメント工場へ向かう1線増設工事の最中であった。専用線から…

石原町

日田彦山線のD51は石原町付近の住友・三菱セメント、香春の日本セメントから産出される石灰石・セメント輸送を担うため昭和36年10月に投入されている。昭和43年のデータで九州管内の貨物発着㌧数ベスト10は1)苅田港、2)石原町、3)黒崎、4)外浜、5)船尾、6)上…

3複線

小倉駅東側、砂津川を渡る界隈は線路が複雑にからみあう魅惑の鉄道地帯であった。画面手前の高架線は鹿児島本線下り旅客線、奥が貨物線の複線、地平手前右の複線は日豊本線で、高架線の谷間に鹿児島本線上り線が通っている。貨物線はカーブの先で上下線が離…

添田行421列車から

行橋発添田行421レは逆向きC11が付いて行橋駅3番ホームで待機していた。スチームのきいたオハ35の進行方向右側の席につく。窓を開けて身をのりだすと、「船尾~上戸畑間専用」の標記の入った黄帯セキ6000とセラ1の長蛇の列が居並び、石灰石専用貨物列車の光…

内田信号場

内田信号場は油須原~勾金間6.7㎞の間に昭和29年頃設けられている。時あたかも石炭出炭量が増え続けていた時期であろう。キュウロク重連はセラやセキをつないだ長い編成を従えて猛スピードで通過して行った。信号ワイヤの傍らで後方に下がって通過を見守るも…

後藤寺

日田彦山線後藤寺駅は新飯塚への後藤寺線、金田への糸田線を分ける分岐駅。広い構内は石炭車や石灰石のセキやホキの長い編成で埋まり、特に1番ホームと2番ホームの間の中線2本は貨物列車の往来で活況を呈していた。船尾からの石灰石列車は苅田港行はスイッチ…

船尾行5493レ

新飯塚発後藤寺行529Dに乗車し後藤寺線13.3㎞を乗り通し、頭端式の後藤寺駅0番線に到着する。勇み足でホームに降り立つと中線に長編成の貨物列車が停車していた。この長い編成がどのように進むのかわかっていたか否かは記憶にないが、発車の汽笛が鳴るのを胸…

中元寺川橋梁

29602〔後〕がトキ編成を牽いて中元寺川橋梁を渡る。セキとホキ、セラばかりの後藤寺線の中では異色の編成のようにも思える。ホッパ車の代用であろうか。列車番号は通常下りが奇数、上りが偶数と決まっているが、後藤寺線の場合船尾へ行く(上り)のも、船尾…

起行貨物駅

後藤寺を出て勾配を下り1㌔も走らないうちにまたヤードが開けてくる。起行貨物駅である。ヤードに溜まる貨車はまばらで、まわりの雰囲気から全盛時代の使命は終えた貨物駅の印象であった。開業は明治30年10月で、豊州鉄道が今の後藤寺線となる起行までを初め…

船尾の印象(2)

船尾駅日鉄鉱業の専用線は本線からスイッチバックする形で弧を描くように敷かれている。遠くで発破の音が聞こえ、近くではベルトコンベアのモーターの音が鳴り響く、とても騒々しい構内であった。白い粉でウエザリングされたセキ6000や独特なスタイルの日鉄…

船尾の印象

船尾は昭和47年春に初めて通った際、車窓から見た工場内の光景が焼きついて忘れられず、翌48年に引き寄せられるように再訪した感動の地であった。上写真は再訪時の船尾の印象、下写真は47年、新飯塚発後藤寺行529D車内からの船尾の第一印象である。船尾は想…

ひたひこ鉄道写真展

門司港レトロで開催された「ひたひこ鉄道写真展」に行ってきた。田川地域全域を総称する“田川まるごと博物館”を運営する田川広域観光協会の主催で、地域に関連する日田彦山線、田川線、添田線の写真が展示されていた。 会場の壁面全面に展開された大パノラマ…

香月線

香月発若松行124レは香月7:46発、中間7:56着8:05発、折尾8:11着8:26発、若松8:42着の時刻で、牽引機の88622〔若〕は朝の仕業を終えて若松機関区に戻る。 筑豊本線折尾〜中間 S47(1972)/8 88622〔若〕の牽く124レはきれいなオハ35とオハフ33の4輛編成…

複々線

88622〔若〕の牽く折尾発香月行125レが朝もやの複々線を行く。若松機関区8620の香月線仕業は朝の3往復、若松〜香月1、中間〜香月1、折尾〜香月1の内訳である。125レは3往復めに入る折尾折返しで、折尾での機回しはあわただしかったにちがいない。 筑豊本線折…

天草

京都発熊本行209レ急行“天草”は門司ー小倉ー戸畑ー八幡と停車した後、筑豊本線内は直方ー新飯塚ー飯塚に止まり、原田は通過して再び鹿児島本線に出て鳥栖へ止まる。豪華な11両編成でスハフ43ースロ54ーオロネ10ースハネ16…と続く。黒崎からの線路別複々線が…

宮田線

宮田線に入る逆向9600牽引の貨物列車を伊田線の線路の手前から見る。この位置は筑豊本線の複線と伊田線の複線が離れる地点で、あと1㌔ほど進むと勝野に着く。宮田線は勝野〜筑前宮田間5.3㎞の支線で、かつては貝島炭鉱の石炭輸送線として活況を呈していた。…

直方

直方駅4番ホームにC5551〔若〕牽引の原田発門司港行1734レがすべり込んで来た。昭和45年4月号の時刻表から筑豊本線の客車旅客の運用区間を拾ってみた。下りは若松〜原田2、若松〜飯塚4、門司港〜直方1、門司港〜原田2、直方〜原田1、飯塚〜原田1の計11本。…

東小倉界隈

鹿児島本線門司〜小倉間は門司操車場や東小倉貨物駅があって多数の線路が収束することなく続く楽しい区間である。その線路沿いの海側を併走する国道199号線を通る車中から、鹿児島本線とは関係ない位置に線路が敷かれているのに気づく。思わず立寄ってみると…

石炭列車

田川線は当時の撮影ガイド本に「石炭列車が走る…」と紹介され、それを読んでこの地を訪ねる。次々とやって来る石炭車を連ねた編成は、よく見ると石灰石やセメント用に改造されたセラならぬホラという形式が連結されていて、石炭よりも石灰石の方が輸送量は多…

石炭列車仕分線

直方駅のホームから駅裏口へ通じる跨線橋が当時直方構内を見渡せる撮影ポイントであった。何気なく構内を撮ったスナップに石炭輸送全盛期に賑わったであろう石炭列車仕分線が写っていた。写真左の群線がそれで、なるほどセフやワフがぽつんと置かれているの…