転轍器

古き良き時代の鉄道情景

北九州筑豊

二島感慨

原田発若松行728レに折尾から乗車した。10輛以上つながった長い編成に感動したのを憶えている。この列車は6輛編成で原田を出て、飯塚で増結されたものと思われる。飯塚までは急行“天草”の補機となる逆向きD60が付く注目の列車であった。 そんな事は何も知ら…

筑豊本線 遠賀川橋梁の両岸

若松発直方行気動車列車は遠賀川を渡って直方平野を南下する。複々線の線路は中間から先は複線となる。石炭輸送全盛期の筑豊本線は折尾から中間まで複々線、中間から筑前植木までは複線+単線の3線区間であったことを知る。 筑豊本線筑前垣生~筑前植木 S47(…

行橋のC50

行橋のC50を知ったのは鉄道ジャーナル23(昭和44年7月)号に掲載された『蒸気機関車1969年日本縦断リレー・ルポルタージュ7北九州』の記事で、日豊本線・苅田港線の小波瀬~苅田港間にC50と9600が運用されている、という内容で苅田港線を行くC50+9600重連の貨…

北九州を行くセメント・石灰石列車 日田彦山線

北九州を行く日田彦山線はカルスト台地の平尾台と福知山塊の間のわずかな平地をぬけて城野で日豊本線に合流する。石原町発の上り積車編成は城野に向けて下り勾配を軽やかに進む。石原町は九州最大のセメント・石灰石発送駅でD51牽引の専用列車が多数設定され…

思い出の名場面 日田彦山線のC11

昭和40年代に日田彦山線彦山以南で撮られたC11の写真は趣味誌を探しても極めて稀であった。筑紫山地の東から流れる宝珠山川、大肥川の沿線を神奈川県の小川秀三さんが記録されていたので感動の光景、憧れの名場面を振り返る機会をいただいた。 日田発門司港…

香春スケッチ 日田彦山線・添田線

香春構内南東寄りは給水塔と転車台があって駐泊所の雰囲気が漂う。石炭殻が積まれた横で次の仕業に備えるD51344〔門〕が待機している。コンパクトな線路配置は模型のレイアウトセクションには恰好な実例のように思える。 日田彦山線香春 S48(1973)/3/30 東北…

香春で会った上り重連貨物

後藤寺に向かうべく小倉から日田彦山線下り日田行気動車列車に乗っていた。金辺トンネルを出ると下り勾配となり、採銅所を過ぎると右手に白い山肌が威容を誇る香春岳が見えてくる。石灰石の街に来たことを実感する。香春構内に入ると上り貨物列車が見えたの…

明治29年頃の九州における鉄道開通図 訂正

「日田彦山線 線形の変遷について」の記事を、先日令和4(2022)年10月9日に掲載した。この記事について一部間違いがあると大之島鉄道さんからご指摘をいただいたので訂正させていただき、ご指摘いただいた大之島鉄道さんにお礼申しあげます。 明治29年当時の…

日田彦山線 県境の残映

久大本線を始めとして各地の沿線で四季折々の鉄道風景を撮り続けておられる大分市の渡邉邦治さんに「古き良き時代」に撮った日田彦山線の写真がないかお願いした。押入れを探してやっと出てきたという写真は驚くかな、賑やかで活気溢れる夜明駅と山峡を跨ぐ…

日田彦山線 線形の変遷について

数年前に「小倉鉄道開業から100年」という記事に触れて日田彦山線の成立過程に興味を持つようになった。D51のセメント・石灰石列車に魅了されていた頃には思いも及ばなかったが年齢を重ねるとともに歴史にも目が向くようになったのかもしれない。手持ちの書…

関門トンネルを通る

関門トンネルを通る機会に恵まれ列車の最後部から前面ならぬ後方展望を楽しんだ。まずは関門トンネルから出てきたEF30重連の上り貨物列車と会う。下り本線4番線から見るEF30重連は、構内外れの上り貨物10番線から上り本線9番線に渡って進んでいるようだ。 下…

香月線

大辻炭鉱の石炭積出しのため香月線は明治41年7月、室木線と同時期に開通している。全盛期は中間~新手間に3線が敷かれ運炭列車が往来してと聞く。かつての線路配線図を見ると2線は中間下り方から分岐し、1線は筑豊本線の複線をアンダークロスして筑豊本線上…

直方西部

直方駅勝野寄りに構内を見渡せる「御館橋」という跨線橋があり、ここは絶好の撮影場所であった。機関区の扇形庫脇に信号扱い所があり、「〇〇列車接近!」など通信の音声が聞こえる不思議な場所でもあった。そんななか、列車番号は聞きとれなかったがD6046〔…

飯塚と新飯塚にて

筑豊本線上り列車の車窓から3番線に停車する上山田線の列車が見えた。機関車は半年前に直方に来た、久大本線最後の罐、D6065〔直〕で門ワカのオハフ61を従えていた。上山田線は4往復の客車旅客があり、上り飯塚方面は全て朝に集中していた。バック運転得意の…

門司港駅 昭和49年

優雅な建築の駅舎の改札口を入るとそこは九州各地へ向かう列車が並び、車輌基地や貨物ヤードの広がる魅惑の鉄道風景が展開していた。 下関から関門渡船で九州に上陸すると威風堂々の門司港駅本屋がそびえていた。“門司”の響きはすなわち鉄道の要衝、門鉄の威…

折尾

蒸機の聖地、筑豊の入口はここ「折尾駅」。2階の鹿児島本線ホームから地平の筑豊本線乗場に下りると上の賑やかさとはうって変わって静かなたたずまいの中、独特のデフを装備したC5552〔若〕の牽く原田発若松行の10輌はつないでいるであろう長い編成が待って…

冷水峠

昭和44年3月時点で若松機関区のC55は7輌(3・19・46・51・52・53・57)が在籍し、筑豊本線と上山田線の客車運用に就いていた。45年以降はC57との置換えが始まり、新庄からのC57170、大分からのC5753、豊岡からのC5752が全検期限まで使われた。47年3月最後の2…

田川線今川橋梁

何度か繰り返した筑豊汽車見物で、筑豊への入口は折尾・原田・城野と行橋であった。どこも胸のときめく筑豊へのプロローグであったが、行橋はことさら思いのつのる憧れの地への入口であった。日豊本線門司港行夜行が新田原を過ぎてしばらくすると、進行左側…

船尾発苅田港行7494レ

石灰石専用列車の先頭で奮闘するキュウロクはともに化粧煙突の、ランボード一直線の59647〔行〕と2段ランボードの59684〔行〕で、いずれも行橋機関区の罐であった。続くホキ4200は積荷の汚れで黄帯やレタリングは霞んでいるが車体のリブと輪郭は鮮明に見えて…

田川線油須原辺り

行橋から今川に沿って上流に向かう田川線は油須原から渓流とは反対側の北寄りに進路をとる。豊津からのゆるやかな勾配は崎山から急な上り坂となり、油須原を過ぎた先が最高地点となってそこから直方平野の南の端、伊田へと下って行く。赤村の油須原駅は旺盛…

行橋駅貨物取扱設備

行橋は2面のホームに3線の日豊本線・田川線のホームと貨物列車退避の副本線2線がレイアウトされていた。中線に向い合せのセフ2輌だけの田川線下り貨物が入って来た。行橋で見る貨物列車は田川線と苅田港を行き来する石炭専用貨か石灰石専用貨の長編成重量列…

勾金界隈

国鉄難読駅の筆頭のような勾金(まがりかね)駅へは油須原駅から駅間距離約7㌔を歩いてやって来た。情報の少なかったあの時代、B6版の「季刊蒸気機関車'69増刊 鉄道写真撮影読本」(キネマ旬報社/昭和44年7月刊/580円)に拠るところが大きかったと思われる。…

伊田線のC11302

伊田発直方行の上り列車が直方平野を流れる遠賀川を渡る。橋梁を渡り終えると右カーブで筑豊本線の複線に寄り添い、複々線の形で直方へ向かう。 234レ 伊田線直方~中泉 S46(1971)/8/10 川原から鉄橋上を疾走する機関車を見る。角ばったドームの機関車はC113…

金田

29641〔直〕は継足しの無い短い化粧煙突、放熱管がランボードの下という独特のスタイルをしている。ホキ6800の編成から離れ、機回し線から上り本線に出てきたところ。下り場内信号機が建つこの位置からは広大な金田構内が遠くに見える。 伊田線金田 S48(1973…

伊田線 中元寺川の両岸

筑豊の鉄道地図を見ると直方平野を縦横無尽に張り巡らされた路線は川の流れに沿って敷設されているのがわかる。筑豊の石炭はその昔遠賀川を川船で運ばれていた。その輸送手段が鉄道に変わってからも運炭ルートは川の流れに沿って変わっていないことを思い知…

小森信号場

石原町から2キロ弱歩いたところに小森信号場があった。そこは石原町~呼野間で本線からセメント工場への専用線が分岐する地点であった。昭和46年訪問時はこの信号場を廃止すべく、石原町から直接セメント工場へ向かう1線増設工事の最中であった。専用線から…

石原町

日田彦山線のD51は石原町付近の住友・三菱セメント、香春の日本セメントから産出される石灰石・セメント輸送を担うため昭和36年10月に投入されている。昭和43年のデータで九州管内の貨物発着㌧数ベスト10は1)苅田港、2)石原町、3)黒崎、4)外浜、5)船尾、6)上…

3複線

小倉駅東側、砂津川を渡る界隈は線路が複雑にからみあう魅惑の鉄道地帯であった。画面手前の高架線は鹿児島本線下り旅客線、奥が貨物線の複線、地平手前右の複線は日豊本線で、高架線の谷間に鹿児島本線上り線が通っている。貨物線はカーブの先で上下線が離…

添田行421列車から

行橋発添田行421レは逆向きC11が付いて行橋駅3番ホームで待機していた。スチームのきいたオハ35の進行方向右側の席につく。窓を開けて身をのりだすと、「船尾~上戸畑間専用」の標記の入った黄帯セキ6000とセラ1の長蛇の列が居並び、石灰石専用貨物列車の光…

内田信号場

内田信号場は油須原~勾金間6.7㎞の間に昭和29年頃設けられている。時あたかも石炭出炭量が増え続けていた時期であろう。キュウロク重連はセラやセキをつないだ長い編成を従えて猛スピードで通過して行った。信号ワイヤの傍らで後方に下がって通過を見守るも…