転轍器

古き良き時代の鉄道情景

内田信号場

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 内田信号場は油須原~勾金間6.7㎞の間に昭和29年頃設けられている。時あたかも石炭出炭量が増え続けていた時期であろう。キュウロク重連はセラやセキをつないだ長い編成を従えて猛スピードで通過して行った。信号ワイヤの傍らで後方に下がって通過を見守るも分岐器通過の地響きは物凄い迫力があった。 458レ 田川線内田(信)  S46(1971)/4/3

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 40~50輛はつないでいるであろう石炭車返空編成が内田信号場に迫って来た。場内信号機は通過のサインを出している。場内信号機は下り側は1基なのに対して上り側は2基建っていて、上り列車は上下どちらの線にも入れるようだ。 459レ 田川線内田(信) S46(1971)/4/3 

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 添田発行橋行430Dは内田信号場で下り貨物と交換のため停車。キハ17の窓から身を乗り出すと駅長がタブレットを機関士に渡すところであった。39682〔行〕はタブレットを受け取ると一転黒煙を上げて動き始めた。この時期は次の油須原で下車する鉄道ファンが多く乗車していた。 5495レ 田川線内田(信) S48(1973)/3/30

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 昭和48年春の田川線は旅客列車は朝夕のキュウロク1往復以外はディーゼルカーになっていた。昭和46年の訪問時は旅客はC11が健在で7往復が設定されていた。