転轍器

古き良き時代の鉄道情景

添田行421列車から

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 行橋発添田行421レは逆向きC11が付いて行橋駅3番ホームで待機していた。スチームのきいたオハ35の進行方向右側の席につく。窓を開けて身をのりだすと、「船尾~上戸畑間専用」の標記の入った黄帯セキ6000とセラ1の長蛇の列が居並び、石灰石専用貨物列車の光景に圧倒された。 行橋 S46(1971)/4/3

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 421レは行橋6時56分発。進行右側は客車洗浄台、煉瓦の矩形庫が見えてくる。明治の時代に開通した線区の機関庫は重厚な煉瓦の矩形庫が象徴で、行橋や柳ヶ浦、西唐津、熊本等が浮かぶ。今でこその感慨で当時はそんな事を考える知識はなく、ただ車窓に現れる車輛を撮るのが精一杯であった。キュウロクと石炭を積んだトラが並ぶ風景は模型レイアウトを見ているようだ。行橋機関区は昭和46年3月時点でC11-8輛、9600-14輛が配置されていた。  行橋 S46(1971)/4/3

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 421レは7時06分豊津着。C11163〔行〕の牽く門司港行1424レが待っていた。この時の田川線は直方や添田から、門司港や下関までの直通列車も走っていた。1424レは行橋からも列車番号は変わらずにそのまま門司港まで走る。このスジはその後C11なき後9600に変わり、行橋から宇佐発の列車と併結し、長大編成で日豊本線を上ることになる。 1424レ 田川線豊津 S46(1971)/4/3

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 駅長の発車合図を待っている421レは油須原7時28分発。崎山から続く上り勾配は駅を出て1㌔程の所でサミットとなり、10‰で内田(信)、勾金へと下って行く。 田川線油須原 S46(1971)/4/3