転轍器

古き良き時代の鉄道情景

2023-08-01から1ヶ月間の記事一覧

37レ 筑紫・ぶんご

ぶどう色のEF617〔宮〕が牽く東京発博多・大分行急行“筑紫・ぶんご”は進行方向左手に広がる広島第一機関区を見ながら広島駅1番線に入る。ホーム外れの電柱に「ひろしま」の駅名案内板が見える。広島を通る夜行急行は「桜島・日向・ひのくに・雲仙西海・玄海…

大分~下郡間1線時代の記録 下郡信号場が日豊本線にあった頃

下郡信号場は先に開通した日豊本線から豊肥本線を分岐するのに設けられ、大分川に豊肥本線の鉄橋が架けられて単独線になった昭和38年3月20日に廃止されている。日豊本線と豊肥本線の列車が1本の線路を共有していた昭和30年代後半の風景を平瀬清隆さんが記録…

眼下に見えた女子畑発電所 久大本線車窓から

豊後三芳駅を発車した久大本線下り列車は上り勾配となって日田盆地を抜け出して急峻な渓谷区間へと向かう。上り25‰途上に門鉄と分鉄の管理局境界があり、小ケ瀬トンネル596mを抜け視界が開けたところで衝撃的な景色と出会う。山腹を這う数条の鉄管と発電所…

門司のDD51

昭和48年3月現在、門司のDD51は7(25・48・49・50・863・864・865)輛が配置されていた。日田彦山線の石灰石・セメント列車はDLの影は薄く未だ蒸機健在が続いていた。DD5148は昭和41年製で盛岡・稲沢第一・早岐を経て門司に来たようで、その後貨物専用の800番…

8線を跨ぐ跨線橋があった頃 大分駅

私が汽車の写真を撮りに大分駅へ通った昭和44年頃は、第4ホーム(6・7番)から南口にかけて長い跨線橋が健在であった。本屋側ホームから第4ホームまでは地下道が整備されて、駅表側は近代的な、「裏駅」と呼ばれていた南側は蒸機時代然とした印象があった。 跨…

テルハが写り込んだ構図 大分駅

かつて大分駅のホームでは、手小荷物が積まれた何台もの台車をターレットのような移動機がけたたましい音で動き回り、またその台車は網をかけられ宙を舞うように吊り上げられてホーム間を渡る光景を見ることができた。跨線テルハを意識して写真を撮ったこと…