客車
昭和59(1984)年2月改正は九州内を走るブルートレインのヘッドマークが15年ぶりに復活した。お椀形のマークは翌年の60(1985)年3月、山形に変更されたのでこの時が見納めとなった。 ED7626〔大〕 S60(1985)/3/11 大分で7号車から13号車までの付属編成7輛をつな…
観光旅行で宿泊したホテルの窓から汽車の見える不思議な光景にカメラを向けていた。根室本線を東進して釧路駅に入れば構内手前の未知なる分岐に気づいていたかもしれないが、空路釧路空港から釧路市街地に入ったので部屋の窓から見える景色は謎であった。ネ…
門司港~西鹿児島間の九州東岸、日豊本線回りの夜行列車は普通列車として伝統的に運転されていた。急行列車に格上げされたのは昭和47(1972)年3月改正時で急行“みやざき”と命名された。その後宮崎~西鹿児島間は普通列車扱いとなる。新幹線博多開業の昭和50(1…
大分川左岸、深い谷あいの段丘上にきれいな弧を描く大バンクがある。国鉄時代終焉の大詰めを迎えた寒い日に、DE10の牽く上り列車をアウトカーブで待つ。25‰の上り勾配をゆっくりと登って来る。 国鉄時代最後の時刻改正となった昭和61(1986)年11月改正は、50…
大分のオハ41は写真に収められずに残念な思いを抱いていたところに線路端さんより金沢で記録されたオハ41の写真を提供いただいた。オハフ41とオハ41400番台・450番台の3バージョンで思わず目を見張る。 昭和53(1978)年3月の配置表によると金沢運転所にはオハ…
オハフ33の戦前製は丸屋根で、いかにも昔の客車といった印象がある。リベットのある車体と屋根の両端部にかけての微妙な曲線が特ちょうであった。 オハフ33151〔門モコ〕 下郡 S51(1976)/3 オハフ33151〔門モコ〕は昭和14(1939)年9月製。台車はTR23と思われ…
オハ41は地方都市の通勤輸送のために旧1等車から格下げされた車輛をロングシート車に改造した形式で、種車が多岐に渡っていたのでさまざまな形態があったようだ。 豊肥本線上り豊後竹田行に乗車する機会があり、初めて客車のロングシートを見て仰天する。キ…
オハフ33を目前にして丸屋根ではない、かといって完全切妻ではない独特な端面を持ったクルマに違和感を感じ何コマか観察のシャッターを押す。 車体端部は雨樋の継目部分を境に屋根は車幅と同じ、下は出入台部分の幅が狭まり、正面から見ると妻板の形はきのこ…
ネガを振り返るとナンバーが読めるオハ47は5輛を撮っていた。分オイ車3輛、門モコ車2輛がたまたま出会ったオハ47であった。 オハ4789を手持ちの配置表で探すと昭和48年は鳥栖、昭和53年は門司に配置されていた。一般形客車を門司と門司港で別々に配置されて…
深い屋根とHゴム支持の大きな固定窓と小窓が配置された車体はブルートレイン20系のナロネ21とよく似ていた。番号標記の位置にある床下の大きな箱は何だろうか。 オロネ1030〔大ミハ〕 大分 S52(1977)/9/8 「特集模型と工作 鉄道模型工作ハンドブック」(技術…
スハフ42179は昭和28(1953)年8月の落成で熊本に配置されている。その後大分に転属し旧形客車終焉まで活躍した。撮影時大分~佐伯往復の通勤列車は既に50系客車に置換えられていたので「大分⇔佐伯」のサボを掲げているものの運用離脱していたのかもしれない。…
門司港発筑豊本線経由原田行がDD51のエンジン音高らかに1番ホームから出て行った。編成は門司港客貨車区、門モコのオハフ33・スハフ42・オハ46・オハ47で組まれていた。 2747レ S52(1977)/8/8 西鹿児島発門司港行夜行“かいもん”が6番ホームに到着する。ナハ…
熊本駅本屋側から第3ホームの向こうに鎮座する明治の香り漂う煉瓦の庫を見る。熊本機関庫は九州鉄道時代の明治24年に開設された。 明治の庫は第3ホーム5番線から手の届くような至近距離で見える。昭和35(1960)年に行われた構内拡張工事で第3ホームが新設され…
オハニ36は急行用で車内設備はスハ43と同等であった。久大本線に来る前は京都~都城間の急行“日南”や門司港~西鹿児島間の夜行“みやざき”で颯爽と走っていた。 オハニ3615〔分オイ〕 大分運転所 S59(1984)/1/17 私の国鉄時代は蒸気機関車の終焉、路面電車・…
ぶどう色のEF617〔宮〕が牽く東京発博多・大分行急行“筑紫・ぶんご”は進行方向左手に広がる広島第一機関区を見ながら広島駅1番線に入る。ホーム外れの電柱に「ひろしま」の駅名案内板が見える。広島を通る夜行急行は「桜島・日向・ひのくに・雲仙西海・玄海…
新幹線博多開業による昭和50年3月10日時刻改正は、在来線の輸送体系が大きく変わり、名古屋・京都・大阪・岡山発着の特急や急行がことごとく廃止される画期的なものだった。対関西夜行急行として日豊本線は南延岡・宮崎・都城を結ぶ“日南”は昭和43年10月改正…
半室郵便・荷物車のスユニを連結した普通列車は亜幹線の日豊本線らしい光景であった。全室郵便車しかも低屋根ユニットクーラー搭載のオユ10との遭遇は、まるで九州西側の幹線を見るようで、日豊本線でも運用されていたことに驚く。この列車は大分発西鹿児島…
大分駅2番ホームに横付けされた荷物車の形式写真を撮っていた。あの編成は何だったのか振り返ると、ネガの順番から13:12発久大本線鳥栖行客車列車を撮った後にマニ442027が続いていた。宮崎発東小倉行荷1032レは大分13:03着なので機関車が引上げた後の編成を…
昭和59年2月改正を直前に控え、見納めとなる583系を撮りに出かけた際、予期せぬ荷物列車が現れたので写真に収めていた。機関車次位にオハフ50が付いて、この時は回送であろうと思っていた。以下マニ44+マニ50+ワキ8000+オユ14が続く。 荷1033レ 日豊本線…
日豊本線の客車列車は50系化と電車化で、旧形客車はいよいよ最後の時を迎えようとしていた。大分発門司港行524列車は荷物列車の性格が強く電車化されずに客車列車のままで残っている貴重な存在であった。後部4輛の荷物車は門司で切り離されて東小倉から東上…
A個室寝台をずらりと連ねた20系“あさかぜ”に、新幹線岡山開業時の昭和47年3月、14系寝台車が仲間に加わった。3往復のうち1往復が14系に置換えられ“さくら”、“みずほ”と同じ編成になった。初めて14系ブルートレインを見た時は驚きとともにスハネフ14のディー…
本を読む機会はめっきり少なくなった今、病院や歯医者の待ち時間に気ままな汽車旅を綴った内田百閒の「阿房列車」(新潮社刊)シリーズを読んでいた。「第三阿房列車」に収められた「長崎の鴉 長崎阿房列車」の頁をめくっている時に私の汽車の壺をくすぐられた…
鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション10に鉄道郵便車の記事があり、「門郵13」の運用表が掲載されていたのに目が止る。「門郵13」そのものの詳述はなく、運用の例示だけであったので、この壮大な運用を辿り、想像を膨らませて当時の鉄道情景を思い浮か…
建築限界測定車オヤ31は「国鉄客車・貨車ガイドブック(誠文堂新光社/昭和49年4月刊)」によると7輛あり、戦前製の客車を改造して札幌・仙台・新潟・東京・名古屋・大阪・門司に配備されていた。門鉄局のオヤ3121の前身は、CTS連合軍民間運輸局が作らせた密閉…
今振り返ると昭和53年頃は機関車の牽く客車列車は当たり前の時代、旧形客車だからと意識して撮るようなことはなかった。オハ35やオハ47等を連ねた客車列車は普通に走っていた。しかし九州はこの年から筑豊本線を手始めに50系客車が投入され、その後各地に新…
昭和45年3月、大分構内で客車入換を撮った写真に不思議な客車が写っていた。車体は狭窓の並ぶスハ32で、足回りは近代的なTR47系を履いている。平成時代にネガスキャンしたあたりからずっと気になっていた。「鉄道ピクトリアルNo.777(平成18年7月号)」はスハ3…
湖畔の宿は網走湖が見える絶好のロケーションだった。雪原のように見える凍結した網走湖畔をDD51の牽く客車列車が姿を現した。 よく晴れた朝、湖面に作られた木々の影と樹氷のような湖畔の立木が美しいコントラストを織りなしていた。列車は朝日に照らされた…
EF58142〔宮〕が落成したばかりのマニ44を、しかもオールマニ44というきれいな編成を牽いて西へ向かっている。昭和53年10月改正は荷物輸送近代化の旗印としてパレット積荷物客車マニ44が投入されている。それと呼応するこの新製回送の記録は千載一遇の機会で…
マニ44はパレット積荷物車のスニ41を20m級に伸ばし、高速貨車ワキ10000の外観を備えたような新鮮な印象があった。妻面は三角屋根の折妻風で貫通扉は無く、小さなくぐり戸が独特である。屋根はガーランドベンチレーターが配置され、乗務員室側の押込形通風器…
ネガフォルダをふり返ってみると3輌のスエ31を撮っていたことに気づく。瀬野機関区のスエ3158と大分運転所スエ3135・60の3輌である。スエ31の詳細はRM LIBRARY228国鉄救援車図鑑(上)ー製綱客車の個性派車輌ーで知るところとなった。 スエ31はスハ32系やオハ3…