転轍器

古き良き時代の鉄道情景

客車

救援車スエ31

ネガフォルダをふり返ってみると3輌のスエ31を撮っていたことに気づく。瀬野機関区のスエ3158と大分運転所スエ3135・60の3輌である。スエ31の詳細はRM LIBRARY228国鉄救援車図鑑(上)ー製綱客車の個性派車輌ーで知るところとなった。 スエ31はスハ32系やオハ3…

田原坂

「雨は降る降る、人馬は濡れる、越すに越されぬ田原坂♪」のメロディが浮かぶ田原坂は西南戦争の激戦地としてその名前はよく知られている。その歴史よりも鉄道名所「田原坂」に憧れて訪れてみた。峠越え難所のイメージを抱いていたが複線の近代的な路盤はなだ…

マニ36雑感

自分が撮ったマニ36の事は「荷物車・郵便車の世界ー昭和50年代のマニ・オユの記録ー」(クリエイティブモア/平成15年10月刊)によって掘り進めていくことができた。この書籍は改造で生まれたマニ36達のその前歴と背景、複雑な経緯や区分、形態等が詳細に解説…

私が出会った2輌のマニ60

突然現れた列車の中間に荷物車が連結されていたので咄嗟にシャッターを押した。ナンバーはマニ60599と読める。「鉄道ピクトリアルNo.702(平成13年6月号)60系鋼体化客車(Ⅱ)」に掲載された車歴表で、マニ60599は昭和37年11月、オハニ61196からの改造と記されて…

マニ372016

旧形客車の塗色は国鉄制定色では茶色はぶどう色2号、青色は青15号と呼ばれている。荷物列車の編成を見ているとぶどう色の客車に混じって青色のそれはひときわ鮮やかに映ったものだ。青色のマニ37はパレット積載の荷物車で37輌が改造されている。昭和48年の配…

ワサフ8000とワキ8000のこと

茶色や青色の、車高はまちまちなれど車長は揃ったさまざまな形式の荷物列車の編成はなかなか魅力的であった。昭和50年代になると旧形が姿を消し、車長が揃わない灰色や鮮やかな青色のまるで貨車のようなリブとプレス構造のワキやスニと呼ばれる新系列車が加…

高城秋景色

昭和47年秋、高城駅で下り寝台急行“日南2号”と上り貨物列車の交換を撮っていた。写った列車のことを趣味誌や時刻表、WEBページで調べてみると当時は何も思わなかった、知らなかった事柄があぶり出されてアルバムの整理・編集は楽しいものだ。 D5146〔延〕の…

スユ16

何気なく撮ったピカピカの郵便車のことを調べてみた。後位側妻面の標記で形式はスユ16とわかる。「荷物車・郵便車の世界ー昭和50年代のマニ・オユの記録ー」(クリエイティブモア刊)によると、スユ16は2000番台と2200番台がありスユ162201~2204の4輌は昭和…

オハネフ25110

“富士”の大分回転車、付属編成が留置されているのを何気にスナップしていた。緩急車はそっぽを向いた不思議な組み方ではあったが気にもせず時の経過とともに忘れ去られていた。前掲、今津で撮った“富士”をアルバムに載せたのを契機にこの『何故』を古い趣味…

スロ62

10系寝台車やスハ43系座席車で組まれた急行編成に、ひときわ屋根の低い一番最初に目が向く、私の好きなクルマがスロ62である。銀色の低屋根に載った形の良いAU13ユニットクーラー、ウインドシル下淡緑色の帯、下回りで目を引く冷房電源のディーゼル発電機とT…

ながさき

昭和51年3月、門司港~大村線経由長崎間の夜行鈍行に、北海道の“からまつ”・紀勢本線の“南紀”と共に“ながさき”と愛称名がつけられた。上り門司港行“ながさき”のダイヤを追ってみると長崎23:00発、諫早から大村線に入り、早岐1:05着。佐世保発の2輛を足して早…

スハネ1662〔門サキ〕

スハネ16はスハ32系客車の台枠を使って10系寝台車の車体を載せてオハネ17として誕生、冷房装置の取付で重量が変わりスハネ16と形式変更された経緯がある。九州管内では竹下・鳥栖・長崎・早岐・大分に配置があった。スハネ1662〔門サキ〕は昭和36年7月の誕生…

かいもん

門司港~西鹿児島を結ぶ夜行“かいもん”は昭和43年10月に登場、昭和53年3月までは10系寝台車で運転されていた。夜行急行列車の新しいパターンが53年3月から実施され、20系寝台車2輛+12系座席車5輛の編成に近代化される。ナハネフ22のテールサインは白地に「…

マヤ34

たまたま駅に立寄った際にマヤ34と出会う。当時、マヤ検の情報などあろうはずはなく、希少な車輛との邂逅は時の運であった。儀礼的なスナップも時の流れとともに忘れ去られ、画像を見ても撮った時のことは思い出せないでいる。時は既にJRになっていたので後…

“日南4号”車窓

夜行“日南”の全盛時代、昭和40年代は10系寝台と座席車を連ねた、関西と宮崎を結ぶ花形列車であった。新幹線が博多まで開通した昭和50年3月、運転区間は九州島内に改められるも、編成はスハネ16やナハ10、オハ47等で組まれ未だ全盛期の面影をとどめていた。転…

べっぷ3号

昭和44年の対関西日豊本線の夜行急行は、宮崎系統“日南”、大分系統“べっぷ”で運転されていた。“日南”は寝台1、座席2往復(内1往復は季節)、“べっぷ”は寝台2、座席1往復でいずれも季節列車の設定であった。“べっぷ”は客車2、電車1の内訳で次のように運転され…

オエ7032

転車台から延びる放射状の機留線に運用間合いのD51485〔延〕が止っている。正面からは枕木の山に邪魔されて撮れないので後方に回ってきたものと思われる。何を撮りたかったのかわからない中途半端な写真に古い客車が写っていた。「大分運転所救援車」と標記…

20系“富士”15輛編成

日豊本線寝台特急の歴史は昭和38年6月、“みずほ”の附属編成に簡易電源車マヤ20を伴っての大分乗入れで始まる。翌39年10月、“みずほ”の大分編成が単独運転となって東京〜大分間“富士”が誕生、晴れて基本編成が大分入りする。40年10月は大分〜西鹿児島間が延長…

オロネ10大ミハ車の謎

日頃見かけない車輛が停まっていたのでカメラを向けたであろう2輛のオロネ10を撮っていた。宮原のクルマが何故大分に居るのか不思議ではあったがそのまま時は経過していた。写っていたのはオロネ10の2番と30番である。配置と車歴を調べてみると、昭和39年は1…

荷1032レ

影が長くなる午後3時前、宮崎発東小倉行急行荷物列車が二豊路を北上する。迫る機関車はED7679〔大〕でアウトカーブから構える。振り返るとS字カーブを高速で通過する新系列のパレット系荷物車が目に飛び込んできた。後追いのカットで編成は8輛ということ…

キハ26408

大分駅の東西には市街地を縦断する踏切があって、東は貨車入換で、西は運転所に出入りする機関車や気動車・客車入換で、いずれも名だたる開かずの踏切であった。西側の大道踏切は気動車列車の転線で遮断機が降りていた。待っている時間に通過する列車をスナ…

開かずの踏切

14年後の大道踏切。相変わらずの開かずの踏切であった。変わったのは踏切が自動化されたこと。遮断機が降りる有人の踏切から、いわゆる第一種と呼ばれる自動遮断機の踏切になっていた。道を塞ぐ列車はグレードアップされた寝台特急“富士”で12号車が通るとこ…

オロ802008

引退したお座敷客車を撮っていた。冷房車ではないので屋根が高く見える。この車の事を調べてみて驚いたのは種車はオハ35ということで、なるほど窓の数は同じ、妻面は独特の折妻で納得できる。昭和45年10月、オハ351192改造でオハ802008に、昭和47年2月、オロ…

50系客車

昭和54年4月、大分運転所に50系客車が配属され、豊肥本線は豊後竹田運用に投入された。日豊本線は門司港運転区の受持ちで門司港〜柳ヶ浦・大分・佐伯間で運用が開始された。門モコ車はひと足早く、筑豊本線や上山田線へ入っていて、行橋で分割する田川線運用…

9輛編成

久大本線の客車列車はDL化以後も本数は減らしながら健在であった。623レは豊後森5:49発、由布院6:28着、6:42発の大分行通勤通学列車である。由布院は客車の増結作業があるので停車時間が長い。前日の大分発豊後森行642レが残して行った4輛をつないで堂…

オユ101004

普通列車で見かける郵便・荷物車はスユニやマニが多く、冷房付きのオユ10が西鹿児島行長距離鈍行に付いているのに遭遇し驚いてカメラを向ける。機関車が連結される前だったので10系郵便車の妻面を観察することができた。ユニットクーラーが載る屋根は低屋根…

オユ122

昭和50年代始め頃、鉄道模型メーカーの中村精密がプラスティック製の客車キットを出していた。プラの厚みで窓ガラスがレンズのように見えるのを我慢すれば低価格で数を揃えられるのが魅力であった。そのラインナップにオユ12があり深くへこんだ郵便扉の所は…

ワキ8790

国道2号線を走行する車内から脇を行くEF58牽引の荷物列車を見る。青や茶色の郵便車や荷物車の規則正しい列にアルミ色の一見貨車のような車輛が連結された編成に目を奪われる。ワキ8000は新製車と貨車のワキ10000からの改造車のグループがあって、参考文献…

ワキ8761

門司で見たワキ8761もワキ10000からの改造車。台車はコンテナ車のコキ10000やコキフ100000と同じTR203を履いている。 ワキ8761 名ナコ 鹿児島本線門司 S52(1977)/8

ワキ8506

ワキ8000は客車でもあり貨車でもある荷貨物共有貨車という不思議な車輛である。客車形式のスニ40と外観はほぼ同じで側面シルバーと妻面ブルーの塗分けと車体のリブはインパクトがあった。参考文献の「荷物車・郵便車の世界ー昭和50年代のマニ・オユの記録ー…