転轍器

古き良き時代の鉄道情景

客車

スロ62

10系寝台車やスハ43系座席車で組まれた急行編成に、ひときわ屋根の低い一番最初に目が向く、私の好きなクルマがスロ62である。銀色の低屋根に載った形の良いAU13ユニットクーラー、ウインドシル下淡緑色の帯、下回りで目を引く冷房電源のディーゼル発電機とT…

ながさき

昭和51年3月、門司港~大村線経由長崎間の夜行鈍行に、北海道の“からまつ”・紀勢本線の“南紀”と共に“ながさき”と愛称名がつけられた。上り門司港行“ながさき”のダイヤを追ってみると長崎23:00発、諫早から大村線に入り、早岐1:05着。佐世保発の2輛を足して早…

スハネ1662〔門サキ〕

スハネ16はスハ32系客車の台枠を使って10系寝台車の車体を載せてオハネ17として誕生、冷房装置の取付で重量が変わりスハネ16と形式変更された経緯がある。九州管内では竹下・鳥栖・長崎・早岐・大分に配置があった。スハネ1662〔門サキ〕は昭和36年7月の誕生…

かいもん

門司港~西鹿児島を結ぶ夜行“かいもん”は昭和43年10月に登場、昭和53年3月までは10系寝台車で運転されていた。夜行急行列車の新しいパターンが53年3月から実施され、20系寝台車2輛+12系座席車5輛の編成に近代化される。ナハネフ22のテールサインは白地に「…

マヤ34

たまたま駅に立寄った際にマヤ34と出会う。当時、マヤ検の情報などあろうはずはなく、希少な車輛との邂逅は時の運であった。儀礼的なスナップも時の流れとともに忘れ去られ、画像を見ても撮った時のことは思い出せないでいる。時は既にJRになっていたので後…

“日南4号”車窓

夜行“日南”の全盛時代、昭和40年代は10系寝台と座席車を連ねた、関西と宮崎を結ぶ花形列車であった。新幹線が博多まで開通した昭和50年3月、運転区間は九州島内に改められるも、編成はスハネ16やナハ10、オハ47等で組まれ未だ全盛期の面影をとどめていた。転…

べっぷ3号

昭和44年の対関西日豊本線の夜行急行は、宮崎系統“日南”、大分系統“べっぷ”で運転されていた。“日南”は寝台1、座席2往復(内1往復は季節)、“べっぷ”は寝台2、座席1往復でいずれも季節列車の設定であった。“べっぷ”は客車2、電車1の内訳で次のように運転され…

オエ7032

転車台から延びる放射状の機留線に運用間合いのD51485〔延〕が止っている。正面からは枕木の山に邪魔されて撮れないので後方に回ってきたものと思われる。何を撮りたかったのかわからない中途半端な写真に古い客車が写っていた。「大分運転所救援車」と標記…

20系“富士”15輛編成

日豊本線寝台特急の歴史は昭和38年6月、“みずほ”の附属編成に簡易電源車マヤ20を伴っての大分乗入れで始まる。翌39年10月、“みずほ”の大分編成が単独運転となって東京〜大分間“富士”が誕生、晴れて基本編成が大分入りする。40年10月は大分〜西鹿児島間が延長…

オロネ10大ミハ車の謎

日頃見かけない車輛が停まっていたのでカメラを向けたであろう2輛のオロネ10を撮っていた。宮原のクルマが何故大分に居るのか不思議ではあったがそのまま時は経過していた。写っていたのはオロネ10の2番と30番である。配置と車歴を調べてみると、昭和39年は1…

荷1032レ

影が長くなる午後3時前、宮崎発東小倉行急行荷物列車が二豊路を北上する。迫る機関車はED7679〔大〕でアウトカーブから構える。振り返るとS字カーブを高速で通過する新系列のパレット系荷物車が目に飛び込んできた。後追いのカットで編成は8輛ということ…

キハ26408

大分駅の東西には市街地を縦断する踏切があって、東は貨車入換で、西は運転所に出入りする機関車や気動車・客車入換で、いずれも名だたる開かずの踏切であった。西側の大道踏切は気動車列車の転線で遮断機が降りていた。待っている時間に通過する列車をスナ…

開かずの踏切

14年後の大道踏切。相変わらずの開かずの踏切であった。変わったのは踏切が自動化されたこと。遮断機が降りる有人の踏切から、いわゆる第一種と呼ばれる自動遮断機の踏切になっていた。道を塞ぐ列車はグレードアップされた寝台特急“富士”で12号車が通るとこ…

オロ802008

引退したお座敷客車を撮っていた。冷房車ではないので屋根が高く見える。この車の事を調べてみて驚いたのは種車はオハ35ということで、なるほど窓の数は同じ、妻面は独特の折妻で納得できる。昭和45年10月、オハ351192改造でオハ802008に、昭和47年2月、オロ…

50系客車

昭和54年4月、大分運転所に50系客車が配配属され、豊肥本線は豊後竹田運用に投入された。日豊本線は門司港運転区の受持ちで門司港〜柳ヶ浦・大分・佐伯間で運用が開始された。門モコ車はひと足早く、筑豊本線や上山田線へ入っていて、行橋で分割する田川線運…

9輛編成

久大本線の客車列車はDL化以後も本数は減らしながら健在であった。623レは豊後森5:49発、由布院6:28着、6:42発の大分行通勤通学列車である。由布院は客車の増結作業があるので停車時間が長い。前日の大分発豊後森行642レが残して行った4輛をつないで堂…

オユ101004

普通列車で見かける郵便・荷物車はスユニやマニが多く、冷房付きのオユ10が西鹿児島行長距離鈍行に付いているのに遭遇し驚いてカメラを向ける。機関車が連結される前だったので10系郵便車の妻面を観察することができた。ユニットクーラーが載る屋根は低屋根…

オユ122

昭和50年代始め頃、鉄道模型メーカーの中村精密がプラスティック製の客車キットを出していた。プラの厚みで窓ガラスがレンズのように見えるのを我慢すれば低価格で数を揃えられるのが魅力であった。そのラインナップにオユ12があり深くへこんだ郵便扉の所は…

ワキ8790

国道2号線を走行する車内から脇を行くEF58牽引の荷物列車を見る。青や茶色の郵便車や荷物車の規則正しい列にアルミ色の一見貨車のような車輛が連結された編成に目を奪われる。ワキ8000は新製車と貨車のワキ10000からの改造車のグループがあって、参考文献…

ワキ8761

門司で見たワキ8761もワキ10000からの改造車。台車はコンテナ車のコキ10000やコキフ100000と同じTR203を履いている。 ワキ8761 名ナコ 鹿児島本線門司 S52(1977)/8

ワキ8506

ワキ8000は客車でもあり貨車でもある荷貨物共有貨車という不思議な車輛である。客車形式のスニ40と外観はほぼ同じで側面シルバーと妻面ブルーの塗分けと車体のリブはインパクトがあった。参考文献の「荷物車・郵便車の世界─昭和50年代のマニ・オユの記録─」…

配置区略号

鉄道車輛を見る楽しみのひとつに車体に標記された略号で所属基地を知ることがあげられる。機関車は区名差しの札の漢字ひと文字(門、直、若、鳥、熊、大、宮、鹿など)で所属の機関区がわかるようになっていた。客車は車体側面に漢字1文字とカタカナ2文字の…

山陰本線

昭和54年頃の山陰本線下関口は相当数の客車列車が走っていた。下関発着で運転区間を見ると福知山・豊岡・米子・出雲市と気の遠くなるような長距離列車が走り、浜田・益田・東萩・長門市・滝部と西の駅名が続く。時刻表を開いて遠方の地名やDのつかない数字…

オハフ41 200番台

山陰本線長門市4時28分発門司6時52分着841レを関門専用の新鋭EF81304〔門〕が牽引して門司駅2番ホームに滑り込んで来た。50系と旧形の混結編成で1輛めは外観からスハフ42だろうと思ったが、ネガを見て驚きのオハフ41202〔広セキ〕であった。オハ41という形…

床下器具

客車の床下に目が行くようになったのはTMS(鉄道模型趣味)の客車ディテールアップの為の床下パイピング記事の影響からだ。かつて16番の客車モデル製作中にTMS記事のように自分もあのような精巧な床下の雰囲気を出したいと思ってはいたが、そう簡単に…

新星

急行“新星” 20系の写真は上野発の東北本線客車列車の車窓からスナップしたものである。東北本線は田端操車場、尾久客車区の外側を走っていて進行左側の車窓からは留置車輛が手の届くような近さで見えた記憶がある。12系と並ぶ20系は7号車と8号車が確認できて…

日南2号

DF50553〔大〕牽引の1207レ“日南2号” 大阪発宮崎行寝台急行“日南2号”が停車駅南延岡で小休止、ここでDF50重連の西鹿児島発門司港行長距離鈍行530レを待ち合せる。南延岡駅構内は煤でくすんだ跨線橋、上下線の機関車停止位置の給水塔、画面左奥に見える構…

スユニ61 300番台

郵便と荷物の合造車、スユニ60とスユニ61は幹線筋ではない亜幹線で主に使われていた。普通列車に併結する郵便荷物輸送にはちょうど良いサイズだったのかもしれない。趣味誌をひも解くとスユニ61には4つの番台区分があって、0番台はオハニ61から、100番台はオ…

しおじ

スハフ14 下関運転所客車洗浄線の西端から何本もの長い編成が休んでいるのが見える。真新しい客車は12系の特急版、14系座席車で、スハフ14の端面の愛称窓に掲げられた「しおじ」に魅かれ画面に収める。臨時特急“しおじ”は大阪〜下関間に運転され、電車“しお…

田植えの頃

田植えの頃 久大本線南由布からの下りは由布院盆地の山の谷間から大分川に沿って湯平、庄内と台地を下る。大分川を右に見るこの辺りは段々畑と棚田の間を線路が走り、火の見やぐらのある農村風景が広がっている。棚田は田植えの準備よろしく水がはられ、山と…