転轍器

古き良き時代の鉄道情景

昭和59年2月改正直前の荷物列車

 大分駅2番ホームに横付けされた荷物車の形式写真を撮っていた。あの編成は何だったのか振り返ると、ネガの順番から13:12発久大本線鳥栖行客車列車を撮った後にマニ442027が続いていた。宮崎発東小倉行荷1032レは大分13:03着なので機関車が引上げた後の編成を撮ったものと思われる。宮崎からのオハフ50は開放、大分から連結のマニ36はまだの時の撮影のようだ。

 2番ホームの編成は上記の並びでワキ8000以外は形式写真を撮っていた。今般日豊本線の荷物列車編成パターンがわかったことから、この6輛編成は宮崎から上って来た東小倉行荷1032レで、大分で小休止のところに出くわしたのであろう。長い停車時間の間に機関車の付け替え、荷物積込みと運用車輛の連結開放が行われるものと思われる。

 マニ502027〔鹿カコ〕 南東荷4

 マニ50は昭和51年から56年にかけて236輛が製造され、新しい荷物車として注目を浴びた。旧来のイメージから一変し最新式仕様に映ったものだ。九州管内は鹿児島に11輛、門司に6輛が配置されていた。ナンバーは2000番台であるが蒸気暖房と電気暖房の両方を備えているとのこと。郵便荷物輸送は昭和61年9月で終焉を迎え、車齢の新しいマニ50は、特に昭和56年落成車などわずかな稼働期間で何とももったいない使われ方だった。

 オユ143〔門モシ〕 門郵11 

 オユ14はオユ11 100番台を110Km/h運転に対応する台車を履いた新たな形式として誕生した。0番台は一般用第1種車、200番台は東京~門司間特例輸送「東門線」に使われる第2種車の区分がある。10系軽量客車の仲間と思い込んでいたが、オユ14と同仕様のスユ16は10系の範疇には入っていないことを知る。

 ワサフ8543〔門モシ〕 門荷211

 荷物貨物共用貨車ワキ8000にオープンデッキの車掌室を付けたのがワサフ8000で、形態はコキフやレムフのような仲間に見える。西鹿児島から宮崎までは普通列車に連結されて上るものと思われる。2522レ、2524レの2本が考えられる。

 マニ36227〔門モシ〕 門荷13

 旧形客車はカンバス屋根を見慣れていたので鋼板屋根のマニ36は異様に映る。日豊本線全線の運用に就いているようだ。夜行急行“日南”は門司港西鹿児島間かつてはスユニ61であったがこの当時はスユニ50で運用されていた。

 マニ442027〔名ナコ〕 名荷201

 マニ44はパレット積荷物車のスニ41を20m級に伸ばし、高速貨車ワキ10000の外観を備えたような新鮮な印象があった。本州から九州東側へ継走される荷物車は、東京は隅田川・汐留、中京は名古屋、大阪は宮原配置車が運用されていたようだ。

 私の汽車撮影は気がむいた時駅に行き、何か車輛が居れば撮る、というのが当時のスタイルで、運が良ければ珍しい車に会ったり、私の写真は偶然の積み重ねである。点である形式写真は編成がわかったことで線になったのは収穫であった。