2022-01-01から1年間の記事一覧
昭和47年は春の新幹線岡山開業、秋の鉄道100年と話題の多い年であった。動力近代化の波は一気に押し寄せて、身近な路線の蒸気機関車が姿を消した一年でもあった。私の昭和47年を振り返ってみた。 昭和47年の幕開けは前年に青森から宮崎に転属となったC612と…
蒸気機関車D60は幼い頃から傍らを走っていた私のお気に入りの機関車で、僅かではあるが大分と直方で彼らの写真を残せたのは幸運であった。最近になって、郡山・直方・大分に在籍したD60の写真を見る機会に恵まれて、その容姿と形態を観察していたらD6026とD6…
貨車の標記は実に楽しい。扉左の標記板は符号(ハ)・記号(ワム)・番号(184173)がレタリングされている。その下は票差しが2つあって左は貨車車票差し、右は貨車表示票差し、その間に積・空標記(積2.2空1.0)がレタリング。扉右の標記板は運用票板である。扉右側…
行橋のC50を知ったのは鉄道ジャーナル23(昭和44年7月)号に掲載された『蒸気機関車1969年日本縦断リレー・ルポルタージュ7北九州』の記事で、日豊本線・苅田港線の小波瀬~苅田港間にC50と9600が運用されている、という内容で苅田港線を行くC50+9600重連の貨…
日豊本線と豊肥本線が離れる場所に造成された車輛基地は大分電車区で、昭和42年7月に発足している。豊肥本線上に設けられた下郡信号場から分岐しヤードが広がる。地元の人は「下郡の電車基地」と呼び、地域の場所説明の際は「でんしゃきち」の左右、東西と目…
DF50牽引の長駆宮崎からの編成は大分到着後すぐさま後部にC58277〔大〕が連結されて今来た道のとなりの豊肥本線に入って下郡信号場へ向かう。日豊・豊肥・久大の各本線で運用される客車列車は、大分運転所では収容しきれず大分電車区の留置線で昼間留置が行…
下郡信号場は大分川の東、日豊本線と豊肥本線が離れる場所に位置し、豊肥本線から大分電車区が分岐するのに設けられている。上記の場所は少年時代の私にとって蒸気機関車を身近に見ることのできる魅惑の鉄道地帯であった。日豊本線はD51貨物にC57旅客が、豊…
家族旅行で雨に煙る厚狭川に沿った、所々で美祢線の線路と並走する道路を走っていた。その美祢線を乗り越す際にふと目に入った光景は見覚えのある駅風景であった。D51の石灰石ピストン列車と大嶺支線の混合列車を撮りに来たのは昭和47年夏、あれから15年の歳…
美祢駅の北側に幹線の駅間にあるような貨物ヤードが広がっていた。蒸機時代は手前の南大嶺で下車したので、もし美祢まで来ていたらこのヤードに出入りするD51の大群を見られたかもしれない。DD51881〔厚〕は昭和48年5月に新製配置されたナンバーである。後方…
神奈川県の小川秀三さんから見せられた光岡駅の写真は昭和45年8月の撮影で、下り線に日田彦山線からのC11が牽く貨物列車が写っていて驚嘆した。日田彦山線の貨物列車、しかも久大本線で見るのは初めてであったからだ。小川さんからこの列車のダイヤを教えて…
大分・福岡県境を越える久大本線は日田盆地から筑後川沿いを走り、光岡を過ぎると一気に山間の様相に転じ、筑後川右岸の段丘にある夜明駅から日田彦山線が北に分岐する。トンネルを潜り夜明ダムを過ぎると川幅が一気に広くなってトラスの筑後川橋梁を渡ると…
北九州を行く日田彦山線はカルスト台地の平尾台と福知山塊の間のわずかな平地をぬけて城野で日豊本線に合流する。石原町発の上り積車編成は城野に向けて下り勾配を軽やかに進む。石原町は九州最大のセメント・石灰石発送駅でD51牽引の専用列車が多数設定され…
鹿児島本線貨物線を行くD511150〔若〕は後藤寺行の一般貨物の先頭に立っている。後藤寺までの経路は門司(操)から鹿児島本線貨物線─黒崎から筑豊本線─直方から伊田線─金田から糸田線と複雑で、牽引機は直方から9600に代わる。たまたま出会った若松のD511150は…
昭和40年代に日田彦山線彦山以南で撮られたC11の写真は趣味誌を探しても極めて稀であった。筑紫山地の東から流れる宝珠山川、大肥川の沿線を神奈川県の小川秀三さんが記録されていたので感動の光景、憧れの名場面を振り返る機会をいただいた。 日田発門司港…
香春構内南東寄りは給水塔と転車台があって駐泊所の雰囲気が漂う。石炭殻が積まれた横で次の仕業に備えるD51344〔門〕が待機している。コンパクトな線路配置は模型のレイアウトセクションには恰好な実例のように思える。 日田彦山線香春 S48(1973)/3/30 東北…
後藤寺に向かうべく小倉から日田彦山線下り日田行気動車列車に乗っていた。金辺トンネルを出ると下り勾配となり、採銅所を過ぎると右手に白い山肌が威容を誇る香春岳が見えてくる。石灰石の街に来たことを実感する。香春構内に入ると上り貨物列車が見えたの…
この当時の私の撮影スタイルは何かの列車をめがけて出かけるのではなくて、たまたま立ち寄った駅や線路端に現れた列車にカメラを向けた偶然の度重ねであった。高速道路がまだ未整備だったあの時代、北九州からの帰り道、あえて遠回りになる筑豊を経由し嘉麻…
桜咲き誇る夜明駅をD6065〔大〕が牽引する貨物列車が発車する。久大本線、日田彦山線ともに県境に近いこの駅は場内信号機4基、出発信号機4基を有する重要な分岐駅である。大分運転所のD60、豊後森機関区の8620、門司機関区のC11が顔を会わせる魅惑の駅でもあ…
「日田彦山線 線形の変遷について」の記事を、先日令和4(2022)年10月9日に掲載した。この記事について一部間違いがあると大之島鉄道さんからご指摘をいただいたので訂正させていただき、ご指摘いただいた大之島鉄道さんにお礼申しあげます。 明治29年当時の…
久大本線を始めとして各地の沿線で四季折々の鉄道風景を撮り続けておられる大分市の渡邉邦治さんに「古き良き時代」に撮った日田彦山線の写真がないかお願いした。押入れを探してやっと出てきたという写真は驚くかな、賑やかで活気溢れる夜明駅と山峡を跨ぐ…
数年前に「小倉鉄道開業から100年」という記事に触れて日田彦山線の成立過程に興味を持つようになった。D51のセメント・石灰石列車に魅了されていた頃には思いも及ばなかったが年齢を重ねるとともに歴史にも目が向くようになったのかもしれない。手持ちの書…
青函連絡船は2度の渡道で乗船経験があるが何れも船舶は残念ながら撮影していない。しかも青森・函館構内での車輛航送風景にも目をやっていない。とにかく他の乗客につられて、降車後、下船後はホームを急いだように思う。単なる乗継地点として構内を観察する…
観光旅行で登った函館山。寒さに震えて立った先には函館市街の絶景が広がっていた。すばらしい夜景の先端は函館駅と連絡船の桟橋が海に浮かんでいるかのように見える。さらにそこから続く岸壁はまるで櫛の歯のようなヤードが照明塔に照らされてはっきりと目…
美祢線の強烈な印象を受けたホキ4700群の白列車。遠目で見るとまるで冷蔵車のような真っ白い貨物列車であった。緑萌える景色をバックに黒いD51とワフ21000、白いホキ4700のコントラストがとてもすばらしかった。 列車は小野田港発重安行。厚狭川に沿ってゆっ…
厚狭行普通列車が発車した後、美祢行返空の白いセキ編成がゆっくりと始動する。美祢線は石灰石の列車本数が多く、この当時すでに小さな駅も道路の横断歩道橋のような跨線橋が設けられていた。道床は石灰石列車の往来の激しさで“白い道”と化していた。 宇部発…
昭和47年の夏休み、夜行列車に2泊して日豊本線・筑豊本線・美祢線をはや足で駆け巡った。借り物のカメラ2台にモノクロとカラーフィルムを装填して格好は良かったが、「二兎を追う者は一兎をも得ず」で慣れないことをしたおかげて出来上がった写真は皆中途半…
D6058〔郡〕の磐越東線時代の情景を小川秀三さんにお願いした。大分で相まみえた姿とは全く別機の様相で驚きであった。D50を9600やC58の輸送改善を目的に丙線用に軸重軽減の改造を施されたD60は、根室本線・横黒線・磐越東線・紀勢本線・山陰本線・山口線・…
私の中学生時代、汽車の写真を撮りに行った時、郡山から来たD6058は当たり前のように前照灯2灯の姿で大分構内を闊歩していた。その装備が普通であると思っていた矢先の昭和45年正月に会った時は大形前照灯に交換されて大きな驚きを覚える。久大本線のD60を記…
鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション10に鉄道郵便車の記事があり、「門郵13」の運用表が掲載されていたのに目が止る。「門郵13」そのものの詳述はなく、運用の例示だけであったので、この壮大な運用を辿り、想像を膨らませて当時の鉄道情景を思い浮か…
全日程を終了し別府で乗客を降ろした“豊の国号”C581が12系客車5連を牽いて大分へ戻って来た。大分構内が塞がっているのか、下り場内信号機手前で足止めされている。最徐行から停車したので、まるで回りの見学者や撮影者のためのサービスかと勘違いしそう。踏…