転轍器

古き良き時代の鉄道情景

思い出の名場面 日田彦山線のC11

 昭和40年代に日田彦山線彦山以南で撮られたC11の写真は趣味誌を探しても極めて稀であった。筑紫山地の東から流れる宝珠山川大肥川の沿線を神奈川県の小川秀三さんが記録されていたので感動の光景、憧れの名場面を振り返る機会をいただいた。

 日田発門司港行が25‰上り勾配の途上にある美しいアーチ橋、栗木野川橋梁を行く。棚田の向こうの山間に見える汽車の光景はまるで水墨画のようだ。昭和44年3月時点で門司機関区のC11は15輛が配置され、日田彦山線の客貨列車と北九州工業地帯の貨物駅・ヤードの小運転と入換に運用されていた。 736レ 日田彦山線筑前岩屋~大行司 S44(1969)/7 撮影:神奈川県 小川秀三さん

 筑前岩屋上り場内信号機脇を角形ドームのC11301〔門〕が接近して来る。構内進入に備えて機関助士はタブレットを握りしめて身を乗り出している。 738レ 日田彦山線筑前岩屋 S44(1969)/7 撮影:神奈川県 小川秀三さん

 4379mの釈迦ヶ岳トンネルを出た所に筑前岩屋駅が設けられている。昭和31年3月の釈迦ヶ岳トンネル貫通まで筑前岩屋は夜明からの終着駅で彦山線と呼ばれていた。先に入線したC11301〔門〕の牽く上り門司港行738レが待っていると、下り日田行733レを率いるC11375〔門〕は前照灯を照らして釈迦ヶ岳トンネルから顔を出して来た。733レ18:37発、738レ18:38発、緊張の瞬間の交換風景に胸踊る。 日田彦山線筑前岩屋 撮影:神奈川県 小川秀三さん

 昭和44年春の改正時点でC11の客車列車は4往復が健在であった。北九州と温泉地を結ぶ急行列車が多数運転されていたこの時は中九州縦貫の役目を果たしていた日田彦山線の全盛期ではなかっただろうか。筑前岩屋名場面の上下列車を色で示す。

 筑前岩屋からの一番列車が夜明手前、R200のきれいなカーブに編成を傾ける。コンプレッサー排気管のマフラーから上がる規則正しい蒸気音が聞こえてきそうだ。駅進入の列車と場内信号機の腕木と連動する重錘稈の位置のシルエットは良き時代の鉄道情景といえる。 721レ 日田彦山線今山~夜明 S43(1968)/8 撮影:神奈川県 小川秀三さん

 夜明構内に入るC11195〔門〕。モーションプレートでちょこちょこと動く加減リンクが頭に浮かぶ。炭庫の増炭枠がよく目立つ。 721レ 日田彦山線夜明 S43(1968)/8 撮影:神奈川県 小川秀三さん

 ヨンサントオ以前の時刻表では旅客列車は全てC11牽引の客車列車であった。普通列車にまだ気動車が行きわたらない時、この古き良き時代を味わってみたかったといつも思う。721レは筑前岩屋6:43発、夜明7:15発、久大本線に入って7:33日田に到着する。

 C11305〔門〕の牽く筑前岩屋発日田行721レが日田3番ホームに入って来る。構内後方は駐泊所の矩形庫と転車台、照明塔が見える。豊後森機関区のハチロクが休んでいる。活気溢れる朝の駅風景が感じられる。 久大本線日田 S44(1969)/4 撮影:神奈川県 小川秀三さん

 日田で発車待ちのナンバー200、C11200〔門〕は翌年の日田彦山線DC化の後鳥栖に移り、その後志布志古江管理所に渡って日南線大隅線・志布志線で蒸機末期まで活躍した。C11はサイドタンクを留めるアングルが付いているのと無いのがあるようだ。 738レ 久大本線日田 S44(1969)/4 撮影:神奈川県 小川秀三さん

 昭和43年から44年にかけて日田彦山線鉄道模様が堪能できたことに小川秀三さんに感謝申しあげます。