転轍器

古き良き時代の鉄道情景

香春スケッチ 日田彦山線・添田線

 香春構内南東寄りは給水塔と転車台があって駐泊所の雰囲気が漂う。石炭殻が積まれた横で次の仕業に備えるD51344〔門〕が待機している。コンパクトな線路配置は模型のレイアウトセクションには恰好な実例のように思える。 日田彦山線香春 S48(1973)/3/30

 東北は一関から南延岡に転じたD51344は1年も満たない日豊本線の稼働の後、門司に移動している。門司の機関車の「架線注意標識」は前照灯の下に付いていたが、D51344はフロントデッキ上の先台車担いバネカバーの横に付いている。これは南延岡時代の名残りではないかと思われる。 日田彦山線香春 S48(1973)/3/30

 D51344〔門〕のサイドビューを見る。3本の砂撒管は川の字のようにボイラを伝っているのが特ちょうであった。

 中線は上り貨物列車の発車準備が整っていた。D51918〔門〕の門鉄デフの支えは普通デフから縁を残してくり抜いたような形状で独特であった。 5754レ 日田彦山線香春 S48(1973)/3/30

 洗練されたスタイルのキハ20446〔門カタ〕が2番ホーム3番線に停車している。添田線香春~添田間を往復する単行気動車であった。添田線はその後赤字ローカル線の筆頭とされ、特定地方交通線に選定されて昭和60年に廃止された。 927D 添田線香春 S48(1973)/3/30

 この時の添田線時刻表。気動車1台で1日6往復の運用をこなしていた。「香春ー添田」のサボを下げたキハ20446〔門カタ〕は添田から来た926Dの折返しで10分後に香春を発車する。何気に撮った1枚は添田気動車列車の貴重な記録となった。

 タキ111982 形式タキ1900 日本セメント株式会社 セメント専用 香春駅常備 日田彦山線香春 S48(1973)/3/30

 昭和47年3月改正時点で門司機関区D51の運用範囲は次の通りで、鹿児島本線筑豊本線は外浜から門司港ー東小倉ー東折尾を経て直方まで、日田彦山線は城野から石原町ー香春まで、そして日豊本線は小倉ー城野ー行橋までとなっていた。筑豊本線日田彦山線は昭和48年春のこの時実見しているのでその運用範囲は変わっていないと思うが、日豊本線行橋までの運用がこの時まだ継続されていたのか気になるところだ。日豊本線は電化後も行橋まではD51・9600が、宇島までは9600が来ていたようで、それがいつまで行われたのかはわからないでいる。
 香春下り場内信号機の先で上り列車を待つ。 日田彦山線採銅所~香春 S48(1973)/3/30

 香春を出るとすぐ上り勾配が始まり、D51918〔門〕は重いタキを従えてドラフト音を響きわたらせる。日田彦山線石灰石・セメント列車は石原町発と香春発の2系統があり、私が見た限りで緩急車は石原町往復はセフ、香春往復はヨやワフが連結されていた。

 香春発5754レは門司操車場で折返して鹿児島本線を下り玉名まで行くようだ。 日田彦山線採銅所~香春 S48(1973)/3/30

 金辺峠を目指すD51918〔門〕のサイドを見る。独特な門鉄デフの前位支え棒に手摺りが取付けられていた。フロントデッキのスペースが狭いための措置と思われる。D51344〔門〕のサイドと比べると砂撒管の配置やナンバープレートの位置が異なることに気づく。 日田彦山線採銅所~香春 S48(1973)/3/30

 桜満開の採銅所でホキ3500を連ねた香春行返空編成が退避している。この時すでに中央の線路は撤去されてすっかり寂しい構内になって、貨物輸送のピークは過ぎていたのであろう。前方に複線断面で掘られた採銅所トンネルが見える。 5767レ 日田彦山線採銅所