転轍器

古き良き時代の鉄道情景

2024-01-01から1年間の記事一覧

DE10の牽く50系客車 国鉄時代終焉の時

大分川左岸、深い谷あいの段丘上にきれいな弧を描く大バンクがある。国鉄時代終焉の大詰めを迎えた寒い日に、DE10の牽く上り列車をアウトカーブで待つ。25‰の上り勾配をゆっくりと登って来る。 国鉄時代最後の時刻改正となった昭和61(1986)年11月改正は、50…

北海道産農産物から 渡道の記憶

青果卸売市場に山積みされた北海道産農産物の箱に印刷された産地名を見ると、かつて訪れたことのある場所が思い出されて感慨に浸る。北見?美幌?、この地名を聞くと寝台車を連ねた夜行急行が各駅停車となってC58が牽くあの急行“大雪”くずれが思い浮かぶから…

金サワのオハ41

大分のオハ41は写真に収められずに残念な思いを抱いていたところに線路端さんより金沢で記録されたオハ41の写真を提供いただいた。オハフ41とオハ41400番台・450番台の3バージョンで思わず目を見張る。 昭和53(1978)年3月の配置表によると金沢運転所にはオハ…

大分・下郡で出会った客車 オハ35・オハフ33

オハフ33の戦前製は丸屋根で、いかにも昔の客車といった印象がある。リベットのある車体と屋根の両端部にかけての微妙な曲線が特ちょうであった。 オハフ33151〔門モコ〕 下郡 S51(1976)/3 オハフ33151〔門モコ〕は昭和14(1939)年9月製。台車はTR23と思われ…

大分・下郡で出会った客車 オハ41

オハ41は地方都市の通勤輸送のために旧1等車から格下げされた車輛をロングシート車に改造した形式で、種車が多岐に渡っていたのでさまざまな形態があったようだ。 豊肥本線上り豊後竹田行に乗車する機会があり、初めて客車のロングシートを見て仰天する。キ…

大分・下郡で出会った客車 オハフ33きのこ折妻

オハフ33を目前にして丸屋根ではない、かといって完全切妻ではない独特な端面を持ったクルマに違和感を感じ何コマか観察のシャッターを押す。 車体端部は雨樋の継目部分を境に屋根は車幅と同じ、下は出入台部分の幅が狭まり、正面から見ると妻板の形はきのこ…

ED74 全6輛

ED74が敦賀第二機関区から大分運転所へ移ってきた理由は、北陸本線電化延伸の増備はEF70となったためであった。6輛の少数機ED74は日豊本線でも蒸気暖房のED76との共通運用はできず、その後の増備はED76になったことと貨物輸送縮小で活躍の場を失ってしまった…

ED75 300番台

ED75 300番台は鹿児島本線熊本電化の際にED73の増備として登場した60HZのED75である。運用は門司~熊本・長崎間で、ブルートレインや高速貨物列車の先頭に立っている姿を誌上で目にしていた。貫通扉の付いた締まった顔にホース類やジャンパ栓がいかめしく映…

大分・下郡で出会った客車 オハ47

ネガを振り返るとナンバーが読めるオハ47は5輛を撮っていた。分オイ車3輛、門モコ車2輛がたまたま出会ったオハ47であった。 オハ4789を手持ちの配置表で探すと昭和48年は鳥栖、昭和53年は門司に配置されていた。一般形客車を門司と門司港で別々に配置されて…

大分・下郡で出会った客車 10系寝台車

深い屋根とHゴム支持の大きな固定窓と小窓が配置された車体はブルートレイン20系のナロネ21とよく似ていた。番号標記の位置にある床下の大きな箱は何だろうか。 オロネ1030〔大ミハ〕 大分 S52(1977)/9/8 「特集模型と工作 鉄道模型工作ハンドブック」(技術…

大分・下郡で出会った客車 スハフ42

スハフ42179は昭和28(1953)年8月の落成で熊本に配置されている。その後大分に転属し旧形客車終焉まで活躍した。撮影時大分~佐伯往復の通勤列車は既に50系客車に置換えられていたので「大分⇔佐伯」のサボを掲げているものの運用離脱していたのかもしれない。…

D6071 郡山時代

郡山から大分へ来たD6071は久大本線を走ることわずか1年足らずで直方へ転属した。小川さんの磐越東線での記録のおかげで郡山時代のD6071の容姿を知ることができた。 シールドビーム2灯装備の郡山機関区のD60にあって、D6071だけはひとつ目のようだ。 762レ …

D6052 郡山時代

郡山から直方へ来たD6052は煙突の形状が何とも異様な印象を抱いていた。北上線を走っていた横手機関区時代の写真を見ると、山高帽や釣鐘のような形状の郡山式集煙装置を被っていた。集煙装置を外した際、設置の時に切除された煙突がむき出しになったのではな…

D60直方の11輛 昭和44年

昭和44(1969)年3月時点で直方機関区には11輛のD60が配置され、同時期の大分での12輛とはまた違った個性を持ったD60が勢揃いしていた。小川さん撮影の写真から各号機の細部と個性を眺めてみた。 D6022 折尾~中間 S44(1969)/7/23 改造前:D5085[汽車] 改造:…

門司で出会った客車たち

門司港発筑豊本線経由原田行がDD51のエンジン音高らかに1番ホームから出て行った。編成は門司港客貨車区、門モコのオハフ33・スハフ42・オハ46・オハ47で組まれていた。 2747レ S52(1977)/8/8 西鹿児島発門司港行夜行“かいもん”が6番ホームに到着する。ナハ…

国鉄大井工場高架水槽

8月7日掲載「大崎支線を行く」の記事の中で、新鶴見方から現れたEF651000番台機が牽く貨物列車後方に写っていたタワー状の構造物は何なのか気になっていた。その写真のトリミングを変えて拡大したのがこの画像である。 私は独特な形から遊戯施設か商業施設の…

大崎支線を行く

大崎支線という名称はいつ頃知ったのかはっきりとした記憶は無い。とても都内とは思えないのどかな風景の中、気になっていた貨物線沿いを歩いていた。鉄道用地と道路を区切っているのは見事な枕木柵で、古き良き鉄道情景が未だ健在であった。さっそく黒い貨…

大崎界隈

東海道新幹線上りの海側3列座席の窓側から見える景色は、多摩川を渡ると市街地の掘割の中を新幹線の複線と、謎の複線が寄り添う複々線の様相が続き、そのうち並んでいた謎の複線は新幹線の高架の下に潜って見えなくなる。 下りの山側2列座席窓側の車窓は、東…

鳥栖機関区

昭和40年代の鉄道趣味誌に掲載された九州での機関区風景は直方・若松・熊本・吉松・宮崎などを見かけたが、意外と大規模な門司や鳥栖は誌上で紹介された記憶は残っていない。列車の窓から見えた鳥栖機関区は2棟の扇形庫が並び強烈な印象として残っていた。蒸…

新宿行“アルプス1号”編成後部のクハ165+クハ165

中央本線の165系急行“アルプス”12輛編成は下り方松本寄り先頭車のクハ165が連続して2輛連なっているのに興味を抱いていた。最初はクモハ+モハ+クハに多客時だけもう1輛クハをつないでいるのかと思っていた。しかし通年12輛編成と知り、まるで気動車キハ58…

豊後中村 昭和61年

国鉄時代末期は入換を行う貨物列車が無くなり、荷物列車も終わり、馴れ親しんできた気動車や電車の塗装が変わるなどそれまで情熱を注いできた事に興味が薄れ始めていた。それでも子守を兼ねたドライブは気になる所へ進路をとり、新しい国道バイパスからは裏…

豊後中村 駅が登山口だったころ

季刊「のぼろ」 Vol.12 2016 Spring (平成28年/西日本新聞社刊) 書棚に並んだ本の背表紙に「列車で山へ」というフレーズに反応して思わず手にとってみる。その本は登山やハイカーの専門誌で、目次を見ると鉄道誌のようなタイトルが並び、中でも「駅が登山口…

豊後中村 昭和44年

豊後中村駅の改札口に掲げられた電照式の時刻表。九重山群の登山口として急行列車は全て停車する。下り4本に対して上り5本なのは“由布1号”に併結された“日田”が由布院折返しで“はんだ”となって単独運転するためである。気動車列車が3往復記載されているが、…

全列車蒸機牽引の室木線

全列車が蒸気機関車で運転される線区は、昭和44(1969)年時点では室木線の他に美祢線大嶺支線・日中線・只見線新潟県区間の4線区だけとなっていた。少し遡ると以下の7線区があったが気動車の浸透で「全列車蒸機」はあっけなく崩れ去ってしまった。 ・万字線 …

ホキ800

バラスト散布のホキ800は独特なスタイルをしていたので貨物列車の編成に組まれると目立つ存在であった。V形のホッパ形状と落し口、デッキ上の梯子や手摺り、開閉ハンドルやシリンダー等とても複雑な構造に映る。 よく見かけたホキ800であるが、国鉄時代に撮…

遠賀川の朝

遠賀川駅早朝の情景。行灯式の番線案内や駅名表示の白色灯と、遠く薄もやに浮かびあがる出発信号機の赤色が旅情をそそる。 鹿児島本線上下線と中線の間は古レールで組まれた味のある跨線橋が架けられていた。2番ホームは鹿児島本線下りで室木線の3番ホームと…

門司の印象

汽車旅は車窓に広がる景色や列車、ヤードの車輛が見えるのが楽しいものだ。東行夜行列車に乗っていると、小倉を出た辺りから車窓右側が気になり始める。小倉から門司にかけて輻湊する線路が不思議に絡み合う“配線の妙”に魅かれるからだ。通るたびに迷路の謎…

貨物列車+逆向回送客車列車

過日、九州管内を走っていた客車列車を調べた際、鹿児島本線八代から佐敷まで平日だけ走る片道の列車が気になっていた。そんな折り、小川さんから見せられた電化前の三太郎越えの写真は何か秘めたものを語りかけてくれているような気がしたのは、まさに私が…

熊本機関区と熊本客車区

熊本駅本屋側から第3ホームの向こうに鎮座する明治の香り漂う煉瓦の庫を見る。熊本機関庫は九州鉄道時代の明治24年に開設された。 明治の庫は第3ホーム5番線から手の届くような至近距離で見える。昭和35(1960)年に行われた構内拡張工事で第3ホームが新設され…

小野田

太平洋ベルト地帯を成す山口県の瀬戸内海側は山陽本線沿いに岩国・徳山・防府・宇部・小野田と工業都市が連なっている。山陽本線宇部~厚狭間は3線区間で美祢線から宇部港へ運ばれる石灰石輸送に山陽本線の複線とは別に1線が敷設されていた。この1線の道床は…