転轍器

古き良き時代の鉄道情景

駐泊所

 高森線の終端駅高森は駐泊所が置かれ、小規模ながら車庫や給炭、給水の設備があり、C12が配置されていた時期があったのは驚きであった。列車の終点や折返し駅は機関車や乗務員の駐泊設備や転車台があったり、給水設備だけ備えた駅などさまざまな駐泊所・給水所があったようだ。国鉄動力車配置表を見ると機関区や機関区支区等さまざまな運転関係業務機関が掲載されている。それらの駅を見るとまるで、駅セクションの模型レイアウト上でパワーパックのつまみを回し、客車から開放した機関車を機回しするような想像が膨らむ。九州管内の興味魅かれる機関区や駐泊所、転車台やスポートがあった駅を概観してみる。

 この一覧は昭和32年から43年3月までの配置表や書籍から拾ったもので、国鉄の組織や機関の名称はそれぞれの年代で変遷しているので、あくまでも趣味的観点、個人的視点でまとめたものである。電化前、そして動力車基地合理化以前はかくも蒸気機関車の石炭や水の補給設備が多く設けられていたことか、と驚きとともに郷愁を覚える。

 時は昭和36年頃、久大本線由布院駅豊肥本線豊後竹田駅で夜間に滞泊する機関車と列車について考えてみた。

 由布院駅は上下本線・副本線が3線と留置線1線の配線で滞泊列車が多い割に狭隘な構内だ。貨物側線はそのためか、本屋の両サイド、起点側と終点側に広範囲に広がっている。大分寄りに設けられた折返し機関車が入る退避線が独特であった。

 朝の始発列車は下り大分向けに2本、上り鳥栖向けに1本が設定されているので、前夜由布院止りの列車3本が夜を明かすことになる。それに由布院落しの客車もあり、下り本線以外は列車で埋まってしまう。機関車運用は8620だけバックで大分に戻るが、D60は上り最終632レ→翌朝上り始発616レ、下り最終627レ→翌朝下り3番615レとバック運転にならない工夫が凝らされている。由布院落しの3~4輛は豊後森発の613レにつなげて長編成で大分へ下る。

 豊後竹田駅は上下本線2線、上下副本線兼留置線2線、機回し線1線で、本屋側に貨物施設が、山側に運転関係がレイアウトされている。転車台・矩形庫・給炭台・給水塔が備わった機関区風景で大分運転所豊後竹田支所が置かれていた。

 豊肥本線のダイヤは熊本志向の列車は宮地止り、大分志向の列車は豊後竹田止りで組まれていた。夕方の大分発の列車は豊後竹田行が2本、豊後荻行が1本が設定され、豊後荻行は客車を置いて牽引機関車は豊後竹田に単機回送され、3輛のC58が夜を明かす。一方宮地方面行は貨物列車に客車を付けた準混合列車が1往復あり、その機関車9600が夜を明かすので図のような夜間豊後竹田構内風景になっていると推測する。