転轍器

古き良き時代の鉄道情景

栄枯盛衰唐津線 小城

 小城市民図書館のエントランスに掲示されていた「小城駅開業式の図」のまんがポスター。機関車といい、開業当初の駅名といい忠実に考証されていると感心した。機関車は唐津興業鉄道がスイスから輸入した1500形をモチーフにしているのではないかと想像する。

 東多久駅の開業時は「別府(べふ)駅」で大分県別府駅と混同しがちなため、明治44(1911)年6月に改称されている。ちなみに日豊本線別府駅は明治44(1911)年7月で、唐津線の方が先ではあるのだが。

 多久駅は昭和9(1934)年に莇原(あざみばる)から、岩屋駅は明治36(1903)年に本山から、西唐津駅は明治38(1905)年に妙見から、それぞれ改称された。

 小城駅は明治36(1903)年12月14日開業、同時に九州鉄道長崎線の久保田から大島を結ぶ唐津線の全線が開通した。落成式は大村旅団長、佐世保要塞司令官他地元有志を始めとして大勢が集まり、佐世保海軍音楽隊も来て大いに賑わったという。開通を喜ぶ人々と煙をあげる陸蒸気が愉快に楽しく描かれている。

 “おぎまんが”は小城市のホームページによると、『肥前狛犬の姿をした主人公が、女子高校生古里まひろと青春劇を繰り広げながら小城市の魅力をわかりやすく、おもしろくPRする漫画』とのこと。これを知った上で鑑賞すると、とても楽しく、なおかつ唐津線の歴史も見えて魅了される。

 小城は佐賀平野の北の端にあたり、久保田から乗ると筑紫山地の山々が段々と近くに見えるようになる。蒸機時代は2面3線の構内を有し、本屋側久保田寄りの貨物側線は貨車で溢れていた写真を見たことがあり、印象に残っている。
 駅から続く商店街は、その名を全国に知られた「小城羊かん」の看板が見える。鉄道全盛時代は、「かつぎ屋」と呼ばれる人々が大風呂敷に包んだ羊かんを背負い、小城駅から西は佐世保・長崎、南は熊本、東は博多・小倉辺りまで運んでいた、と郷土誌に記されていた。
 明治、大正の面影を残す駅舎は改修が行われて登録有形文化財に指定され、小城市が管理している。

 寄棟屋根の木造駅舎は切妻屋根とはちがう趣きと奥ゆきの深さを感じる。古いTMSに、城端線城端駅をプロトタイプとした「雲竜寺鉄道祖山線祖山駅本屋」の16番原寸の折込図面が掲載されていたのを思い出した。転轍小屋が本屋脇に建つその図面の描写と味わいを、国鉄時代の小城駅本屋に重ねながら在りし日を思う。
 「小城驛」駅名板は小城市出身、明治期の書家の作品をもとに作られたとのこと。 R6(2024)/2/18