転轍器

古き良き時代の鉄道情景

2022-03-01から1ヶ月間の記事一覧

ウインドウズXPのエクセル画面 車輛の動き

ウインドウズ95やウインドウズ98が登場して、それまでワープロで作成していた文書や表計算は画期的な変革を遂げるようになった。趣味のアルバムのテキストはワープロが常であったが、パーソナルコンピューターに置き換わったのはウインドウズ95、98、2000、M…

準混合列車のような貨物列車 D51361

別府湾の濃霧が漂う築堤に機影を見せたのは、貨物列車に客車1輛をつないだ、まるで準混合列車のような編成であった。当時日豊本線直見~直川間ひと駅だけ、貨物列車に客車1輛をつないだ営業列車が設定されていた(4592レ)。これは回送であるがその光景を彷彿…

D51222の牽く貨物列車

臨海工業地帯の背後地、大分平野の水田地帯で本線下り貨物列車を見送る。南延岡のD51222はグレイのロングタンク車、クリーム色のホッパ車、とび色のワム以外は黒一色の貨車ばかり23輛の編成を従えていた。 1593レ 日豊本線大分~高城 S47(1972)/8 D51222〔延…

石川台慕情 池上線昭和49年頃

池上線は山手線のターミナルから放射状に延びる私鉄線のひとつであるが、他の路線距離が長く編成輛数も多く、また地下鉄相互乗入を行っている私鉄とはちがった、下町を行く独特な風情があった。呑川に向かって台地がせり出したような地形に石川台駅はあった…

東京急行電鉄池上線

撮影時の池上線は3000系の吊掛け電車ばかりであったが、同じ3000系でも戦後製や車体更新車、張上げ屋根の形態は好きになれなかった。やはり旧形国電然としたスタイルの3450形が一番の好みであった。貫通扉の付いた顔、形の良い幌枠、シル・ヘッダーの車体、…

DD13217

DD13217〔関〕は昭和39年~40年にかけて製造された14次車(203~218)で、主な特ちょうは新製時装備のATS車上子と信号炎管、ナンバープレートの上、前照灯間の手すり設置らしい。下関運転所には3輛(216・217・218)が配置されて、下関ヤードと駅を取り囲むよう…

安岡

安岡は下関から3つめ、曲線上に設けられた2面2線のこじんまりとした駅であった。朝の安岡は下関への通勤・通学客で賑わっていた。小倉発の長門市行気動車列車が先着で待機、間を置かずDF50565〔米〕が滝部発の長い編成を従えてカーブするホームに入って来た…

西鉄北方線の思い出

西鉄北方線は全線を二度乗車したことがある。今振り返れば二度とも乗車の動機は、終点にある市立北九州大学がらみということに気づく。 まず一度目は昭和48年3月、高校3年生になる春休みであった。筑豊の蒸機最終の時、田川線の変則3重連を始めとして、伊田…

日田 国鉄時代を懐かしむ

民営化後の日田構内を光岡側から見る。線路配線は以前と変わらず画面右、本屋寄りの貨物側線が無くなっている。国鉄時代に撮影された写真には中線にワフ1輛がぽつんと置かれ貨物列車が組成されていた。その中線は健在で車輛留置に使われているようだ。四角い…

香椎操車場と臨港貨物線のこと

香椎操車場は鹿児島本線香椎と箱崎の間に位置する。上下線にはさまれたヤードに香椎機関区、香椎貨車区が置かれていた。箱崎寄りのヤードから福岡貨物ターミナル・博多港・福岡港・福岡市場へ続く貨物線が分岐している。ヤードの使命は終わり、余剰機関車が…

幸崎 その後

民営化後も何度か幸崎を訪れていた。国鉄時代と変わらないタンク車の貨物列車、濃硫酸のタンク車ヤード等かつてと変わりない光景に安堵する。カラーネガはカビがはり付いて完全な除去は不可能のようで、ここまで復活するのに苦労した。 日豊本線幸崎 S62(198…

京都駅近くの路面電車

風情ある街並みの塩小路通を2つ目玉、片標識灯の1820が迫って来る。 塩小路高倉 S50(1975)/3 5系統を掲げる2000形2001は切妻タイプで屋根の曲線が優雅に感じる。2箇所の出入口扉はそれぞれタイプがちがうのがおもしろい。商店の広告看板が賑やかな後方の建物…