転轍器

古き良き時代の鉄道情景

私鉄

耶馬渓線の思い出

小学生時代の一時期を中津市で過ごしたことから、耶馬渓線を見る機会があり、また乗車する環境にあった。車社会到来少し前のことであろうか、多くの人が耶馬渓線に乗っていた。憧れの的は機関車の牽く列車で、ディーゼル機関車牽引の混合列車と朝夕の長編成…

中津の残影

他界した父親が遺したネガから中津駅で撮ったスナップを発掘する。そこには車輛を撮ったものではないが、キハ105“せせらぎ”+ハフ14の列車が写っていた。当時の耶馬渓線は気動車がトレーラーを牽く、いわゆるD+T、D+T+Dの編成が当り前に走っていた。ハフ1…

大分交通耶馬渓線の車輛たち

キハ101 やまばと 昭和8年に登場した国鉄ガソリンカーキハ40000と同形で、耶馬渓鉄道の自社発注車。キハ101からキハ104までの4輛が存在する。キハ101が“やまばと”、キハ102が“かわせみ”、キハ103が“ひよどり”、キハ104が“せきれい”と愛称が付けられている。 …

大分交通中津車輛区

鉄道全盛時代、大分県北には私鉄の大分交通4路線が健在であった。それは杵築起点の国東線(杵築~国東/30.3km)、宇佐接続の宇佐参宮線(豊後高田~宇佐八幡/8.8㎞)、豊前善光寺接続の豊州線(豊前善光寺~豊前二日市/15.5㎞)、そして中津起点の耶馬渓線(…

熊本電鉄

熊本電鉄菊池線は熊本市街の上熊本から阿蘇外輪山の麓、菊池渓谷で有名な菊池までの路線であった。中学生時代、社会科の地図帳を見ると宮原線肥後小国と熊本電鉄菊池の間に点線が引かれ、他にも高森と日ノ影との間にもあって、それは当時の鉄道建設予定線で…

京都市交通局10系

近鉄京都線を天理方面行の電車の先頭車で全面展望を楽しんでいた。木津川の鉄橋を渡ってしばらく進むと進行右側から渡り線が出てきて車輛基地のある大きな駅が見えてきた。近鉄線なので行違う電車は赤と白のツートン、もしくはオレンジと濃紺の特急電車が当…

富山地方鉄道射水線

富山地方鉄道射水線の始発駅、新富山は富山駅前から市内線の路面電車でしばらく走り、神通川を渡った土手の横にひっそりと設けられていた。八ケ山は新富山から2つめ、北陸本線と高山本線を跨いだ先にあり、線路から少し高い位置に三角屋根の小さな駅舎が建っ…

キハ503かみばと

「レイル№9」(プレスアイゼンバーン/昭和53年9月刊)に大分交通宇佐参宮線を行くキハ503“かみばと”の写真が掲載されている。記事の「筑肥線覚え書き」(谷口良忠著)でこの車輛の前身を知る。元は北九州鉄道(筑肥線の前身)ジハ21で、鉄道省買収後キハ4065…

ホハフ32

キハ501は「しらはと」という愛称名で大分交通宇佐参宮線、国東線で活躍した。レイル№26私鉄紀行南の空、小さな列車(湯口徹著/プレス・アイゼンバーン/平成1年刊)によると「国東線のキハ30・20・501を客車化したのがホハフ30〜32」と記載されている。キハ5…

京王帝都電鉄

京王帝都の電車はおでこのライトがどれも二つ目玉という印象がある。5000系は前面貫通扉と一体となったように見えるライトケースや大きなパノラミックウインドウ、屋根上の背の高いクーラーが特ちょうで独特の顔をしていた。 京王帝都電鉄京王線下高井戸 S52…

京阪七条

京阪七条駅へは京都市電6系統に乗って行ったと思われる。京阪本線は鴨川の流れに沿って川岸を通り、七条大橋を渡って来た京都市電と平面交差していた。何気なく撮ったカットも今改めて見ると、行灯式の駅名板、複雑な構造の架線柱、道路と軌道の信号機、手旗…

富山地方鉄道

私の趣味活動はかつて撮った写真をアルバムに整理することである。手つかずのネガも国鉄編なら追跡が可能であるが私鉄となるとなかなかそうはいかない。富山地方鉄道は北陸本線と共に撮った記憶はあるが場所の特定に苦労した。私鉄志向の友に付いて行き、た…

伊豆箱根鉄道駿豆線

国鉄線から分岐する私鉄始発駅の光景は三島から分岐する伊豆箱根鉄道駿豆線であった。当時私鉄の知識はほとんどなく、西武線カラーのシル・ヘッダーが付いた旧形国電のような17m級3輌編成を何となくついでに撮った1枚である。今見ると架線柱の位置をもっと考…