私鉄
何ともかわいい丸っこい電車を撮っていた。鎌倉大仏を見た帰りのスナップと思われる。江ノ島鎌倉観光の500形は連接車で502+552と501+551の2編成があったようだ。大きなパンタグラフとローマン書体の切抜きナンバーが印象的。 屋根と車体裾のゆるやかな線、…
「さんすうちい(347M)」と呼ばれた大垣夜行を下車、夜明前に着いたのがここ、豊橋から西へ数キロの所、東海道本線と飯田線が並んで豊川放水路を渡る場所であった。何とも不思議なことに飯田線の線路を名古屋鉄道の特急電車が走っているのには度肝を抜かれた…
夏休みの家族旅行で南阿蘇鉄道のトロッコ列車に乗っていた。家族を撮ったネガはスキャンしていないのでPCのネガフォルダには無く、また汽車を撮りに出掛けたわけではないので記録も無くこの時の記憶は飛んでいた。ポケットアルバムに入ったプリントを見なが…
昭和55年に成立した国鉄再建法は、将来熊本県高森町と宮崎県高千穂町を結ぶ予定であった高森線と高千穂線を廃止対象線とし、新たなローカル新線の中止も決定された。幸い両線とも廃止は免れ第3セクターに移管、昭和61年4月に南阿蘇鉄道として、平成元年4月末…
出張で訪れた湯田中温泉街、目と鼻の先に長野電鉄湯田中駅があり、記念撮影ができないまま長野紀行は終わってしまった。線路端さんから同時期に湯田中駅で撮った写真があるとの連絡をいただき、見果てぬ夢に終わった湯田中の情景に慕情を抱く。 湯田中駅へは…
平成10年代、出張で複数の会社所属の数名からなる一行に加わり2泊3日で長野県を縦断した。行きは軽井沢まで、帰りは長野から東京まで、まだ「長野行新幹線」と呼称されていた“あさま”で往復した。団体行動なので鉄道風景にカメラを向けることは遠慮し、残念…
岐阜県の地図を見ると、南は濃尾平野の平地が広がる一方、北と東西で接する県境は山地、山脈が連なる山々に囲まれた山岳県ということがわかる。北恵那鉄道は県南東部に位置する中央西線中津川駅最寄りの中津町から木曽川の支流、付知川に沿って下付知に至る2…
東急新玉川線は渋谷と二子玉川園を結ぶ新線で、かつての玉川線、通称“玉電”と呼ばれていた路面電車が廃止され、そのルートを地下化して建設され昭和52年4月7日に開通している。開通して数日後、赤帯車と呼ばれた最新鋭の8500系に乗る機会があり、新築ほやほ…
川崎市多摩区生田に住んでいた同郷の友を訪ねたのに、最寄り駅は小田急線の向ヶ丘遊園だったか生田であったか思い出せないでいる。緑多きこの地で行き交う電車を撮っていた。 写真は全て:小田急電鉄小田原線向ヶ丘遊園~生田 S51(1976)/2/21 新宿から急行に…
宇佐参宮鉄道は官設鉄道宇佐駅を挟んで宇佐神宮のある宇佐町と周防灘に面する高田町を結び、大正5年3月1日に開業した。大分交通宇佐参宮線となったのは、国東・宇佐参宮・耶馬渓・豊州の各鉄道を合併した別府大分電鉄が大分交通として商号変更した昭和20年4…
カーラジオから流れてきた曲の「北千住駅のプラットホーム」の歌詞が耳に留まり、何という曲だろうかと後の検索で“あいみょん”の「ハルノヒ」を知った。と同時に遠い青春時代、北千住駅から吊り掛け電車に乗ったことを思い出す。常磐線、東武伊勢崎線、営団…
富山地方鉄道射水線八ケ山駅は始発駅の新富山から2つめ、高山本線と北陸本線を跨いだ先にあり、ホームから階段を昇って少し高い位置に三角屋根の、まるでおとぎの国のようなかわいい駅舎が建っていた。 射水線八ケ山 S51(1976)/9/15 宿でくつろいでいると列…
プリントしていないネガに2コマだけ東武のロマンスカーが写っていた。撮影旅行ではないのであまり記憶に残ってはいないが、鬼怒川温泉で開催されたゼミのセミナーに参加するのに浅草から乗車した時、もしくはその帰りの時と思われる。ロマンスカーの名前通り…
池上線は山手線のターミナルから放射状に延びる私鉄線のひとつであるが、他の路線距離が長く編成輛数も多く、また地下鉄相互乗入を行っている私鉄とはちがった、下町を行く独特な風情があった。呑川に向かって台地がせり出したような地形に石川台駅はあった…
撮影時の池上線は3000系の吊掛け電車ばかりであったが、同じ3000系でも戦後製や車体更新車、張上げ屋根の形態は好きになれなかった。やはり旧形国電然としたスタイルの3450形が一番の好みであった。貫通扉の付いた顔、形の良い幌枠、シル・ヘッダーの車体、…
東急池上線の始発駅五反田は山手線ホームの遥か上、東急系量販店4階の位置に設けられていた。とにかく高所にあった印象がある。3輛編成が収まる1面2線のホームは交互に電車が発着し、大崎広小路の手前に両渡りのクロスがあった。池上線乗場からは階段を降り…
手元にある多摩田園都市20周年記念乗車券4枚組は昭和50年7月、旗の台駅発行であった。当時の田園都市線は大井町からすずかけ台まで開通していた。切符の図柄は青葉台駅前「風見の鶏」を背景に3000系・こどもの国線3400形・オールステンレス7000形・最新鋭850…
関西出張の折、京都での用事を終え次の訪問先である大日町へ向かうのに初めて京阪電車に乗車した。何も思わずに京都市営地下鉄でJR京都駅に着き、はて訪問先の最寄り駅は大阪モノレールの大日で、そこへ向かうには京阪本線門真市で乗り換える必要があった。…
西武池袋線江古田駅上りホームから通過する池袋行急行電車を撮っていた。人物メインのネガに残っていたのを発見するも撮った記憶は残っていない。カラーネガは退色が進んでカラーモードはグレースケールに変換する他なかった。当時何の感慨もなかった私鉄沿…
西鉄甘木線にキハ07を短くしたような電車が走っていたのは知っている。撮りに行きたいとは思っていたがいつの間にか姿を消していた。 西鉄甘木駅は甘木鉄道甘木駅の目と鼻の先にあった。沿線は宮の陣や五郎丸、本線の花畑など流線形の電車に似合った名前の駅…
昭和50年春、紀勢本線は御坊で下車し、DF50やキハ81を撮影した記憶は残っている。そのネガに3コマだけ濃い茶色とクリームのバケットカーが写っていた。まぎれもなく自分が撮ったものだが記憶に残っていない。当時は国鉄線に興味があってこのような地方鉄道に…
その後のデワ3041の写真が早速東京都線路端さんから届いた。塗装が明るくなってあの五反田で見た車輌と同じであろうかと驚く。青ガエル5000系のさよなら運転を撮る際に偶然遭遇したとのこと。鉄道ファンNo.250(昭和57年2月号)掲載の「ショートヒストリー東…
日頃移動の足となる電車にカメラを向けることはなかったが、得体の知れない電車が入っていたのでとりあえず撮ったのがこの写真。池上線のグリーンとは違った、それよりも濃いグリーンの塗装といかにも古めかしい車体で印象に残っている。この車輌のことは随…
数年ぶりに訪れた石神井公園駅で池袋行の電車を待っていた。同行者といっしょに会話しながらの歩行で駅構内での撮影は遠慮していた。“レッドアロー特急ちちぶ”が一瞬のうちに通過、咄嗟にバッグからカメラを取り出して後追いを撮ったのが石神井公園でのただ1…
早月川は剣岳を水源に富山湾に注ぐ川で、複線の北陸本線と単線の富山地方鉄道のいずれも味のあるデッキガーダーの鉄橋が架かっていた。車窓から見える日本海の風景に魅かれて下車したものの、海をとり込む構図よりもバラエティ豊かな電車や列車が優先する結…
濃いめのベージュにあずき色のような塗分けのおでこの丸い吊り掛け電車が入って来た。ウインドシルとヘッダーに挟まれたHゴム支持の3枚窓が独特な顔の表情を作っている。電車を迎える手旗を持った姿勢の正しい駅長の姿は良き時代の鉄道情景といえる。ホーム…
伊豆箱根鉄道駿豆本線を訪れた際に謎の機関車を撮っていた。その後詳細はわからないままネガ袋で長い間眠っていた。手持ち趣味誌のバックナンバーを探してみたが、国鉄の臨時列車が入線した際にヘッドマークを掲げて牽引した記事は見つけたが、撮影時のこと…
奈良での用事を済ませて大阪環状線鶴橋に戻るには大和西大寺から近鉄奈良線が通常のコースである。奈良線は乗車経験があったので、まだ知らない大阪線に乗ろうと大和西大寺から近鉄橿原線で大和八木へ向かった。大阪線のホームは2階にあり、階段を上ってホー…
国電乗換えのため下車した四ツ谷は視界が開けた地上駅であった。電車が通り過ぎて目に映った光景は、異様に広く感じる線路の幅、電車線なのに架線が無い、第3軌条が路盤を這う、ジェットコースターのような急勾配で地下から地上に駆け上がりまた地下に潜るさ…
春爛漫の4月初旬、所用で直方平野を通る国道200号線を通っていた。道中、黄色い光景に目が止まり、あまりにも美しい菜の花に誘われて遠賀川の河川敷に降りてみた。菜の花畑の向こうにかすかに遠賀川橋梁が見える。そこに鉄橋を渡る軽快なジョイント音が響き…