転轍器

古き良き時代の鉄道情景

紀州鉄道

 昭和50年春、紀勢本線は御坊で下車し、DF50やキハ81を撮影した記憶は残っている。そのネガに3コマだけ濃い茶色とクリームのバケットカーが写っていた。まぎれもなく自分が撮ったものだが記憶に残っていない。当時は国鉄線に興味があってこのような地方鉄道にはあまり関心がなかったものと思われる。一緒に旅をした神奈川県のJ.Kataさんがレポートを残していたので記憶のよりどころとし、紀州鉄道の概略と乗車記を転記させていただいた。またその後知り合った大分市の田口雅延さんから昭和51年に訪問した際の写真をお借りした。おかげであの頃の紀州鉄道ロマンに浸ることができた。

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 「紀州鉄道」、それは紀勢本線和歌山から急行列車で約50分、安珍清姫の話で有名な「道成寺」のひとつ手前、御坊より日高川まで全長3.4Km全線単線の小私鉄であり、それは日本一短い私鉄である。この鉄道は、紀勢本線御坊駅御坊市の中心部から離れているために作られたものである。昭和48年までは御坊臨海鉄道という名前で呼ばれ、一時は廃線の話もあったそうであるが、東京に本社を置く一流不動産会社が本社のイメージアップのため紀州鉄道と改称して経営に乗り出し、当分は安泰のようである。(テキスト:神奈川県J.Kataさん)
 「日高川ー御坊」のサボを下げて御坊を発車するキハニ40801 紀州鉄道御坊 S50(1975)/3

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 小生を含め数名が紀州鉄道終点、「日高川」まで80円也を買い求めホームに出る。そこにあったのはDC、キハニ40801であった。これは昭和11年10月日本車輛製で、前後にいかついデッキ(本当はバスケットとか荷物台とかいうそうである)が付いて定員104人、自重21.5tということであった。同行のA君がきどって記念写真を撮っていると何のまえぶれもなくうずを巻いためがねの車掌さんがいきなりドアを閉め、アッという間に列車(1輛だけだから列車とは言わず、ただ車と言うのが正解だと思うが)は動き出してしまったので我々が、「待ってくださ~い」と叫ぶと運転士さんがあわてて止めてくれて、無事乗車することができた。
 そしてしばらく行くと踏切があるが、遮断機などというものは無く、ただひたすら警笛を鳴らして走っていた。線路も心なしかゆがんでいるように見える。小生は思った。「これで80円は安い」と。何故ならこの車はただ前ばかりでなく上下左右にも動いてくれるから。市役所前につくと「一般」の乗客は全て降りてしまい車内は我々だけになってしまった。ふと運転席を見ると、それはバスのようにクラッチがあり、それを踏んでガチャガチャと変速していた。それに見とれているうちに終点日高川着。先のうずを巻いためがねの車掌さんが「どこへ行くのですか」と聞いたので「ええこれに乗って帰ります」と答えると彼も納得して駅舎に入り相撲を見始めた。日高川にはチップ工場があるだけで他に見る物はなかった。折返しのキハニ40801に乗り込んで帰路につく。(テキスト:神奈川県J.Kataさん)
 キハニ40801 紀州鉄道御坊 S50(1975)/3

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 昭和48年8月現在の列車本数は、御坊~日高川間上下各12本、貨物列車上下各3本とのこと。
現有車輛 
 DB158 森製作所 昭和26年9月製 
 DB2012 森製作所 昭和26年9月製 
 DC251 帝国車輛 昭和35年1月製 元熊延鉄道DC251
 キハ16 日本車輛 昭和8年9月製 元国鉄キハ41044
 キハ202 田中車輛 昭和8年
 キハ308 川崎車輛 昭和21年製 元国鉄キハ41055
 キハニ40801 日本車輛 昭和11年10月製 元芸備鉄道キハニ19
(テキスト:神奈川県J.Kataさん)
  キハニ40801 紀州鉄道日高川 S50(1975)/3

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 私が訪れた翌年の昭和51年1月に大分交通キハ603とキハ604が紀州鉄道へ移籍していた。大分交通耶馬渓線は惜しまれながら昭和50年9月30日に廃線となった。 キハ603 かじか 大分交通中津車輛区 S47(1972)/1/6

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 大分交通国東線で活躍していたキハ604は昭和41年の廃線の後、中津へ移動し耶馬渓線で使われた。紀州鉄道移籍の603と604は何れも昭和35年製で大分交通の中でも車齢の新しいのが選ばれたものと思われる。 キハ604 なぎさ 大分交通中津車輛区 S47(1972)/1/6

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 私が訪れた翌年に紀州鉄道へ行ったとお聞きした大分市の田口雅延さんにその時の写真がないかお願いしたところ探し出してもらって提供いただいた。終点日高川の情景はまるで時間が止ったような、模型ジオラマを見るようなそんな印象を受ける。大分交通の2輛が入ったからかキハ202は休車のようだ。側線にはチップ積のトラが並び貨物輸送は未だ盛況のように見える。 紀州鉄道日高川 S51(1976)/8 撮影:大分市 田口雅延さん

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 反対側からの構図と思われる。キハ20と手をつなぐのは「KTK」の社名ロゴの入った、まるでキハ41000のようなキハ308のようだ。 紀州鉄道日高川 S51(1976)/8 撮影:大分市 田口雅延さん

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 西御坊から姿を現したのは大分交通カラーのキハ604。旧形車との塗装の対比がよくわかる。枕木柵やだるま転轍機、踏切待ちのトラックなど懐かしい光景が切りとられている。 紀州鉄道日高川 S51(1976)/8 撮影:大分市 田口雅延さん

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 紀伊御坊構内の様子も貴重な車輛が並んでいる。手前からDC252、キハ16、キハニ40801と思われる。鈍く光るレール上はグリーンのケージが載ったトラ90000のようだ。 紀州鉄道紀伊御坊 S51(1976)/8 撮影:大分市 田口雅延さん

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 大分交通からやって来たキハ604は大分交通時代のままの姿と塗装で使われていた。新顔と交代したキハニ40801はこころなしか寂しい顔に見える。  紀州鉄道紀伊御坊 S51(1976)/8 撮影:大分市 田口雅延さん