郡山から直方へ来たD6052は煙突の形状が何とも異様な印象を抱いていた。北上線を走っていた横手機関区時代の写真を見ると、山高帽や釣鐘のような形状の郡山式集煙装置を被っていた。集煙装置を外した際、設置の時に切除された煙突がむき出しになったのではな…
昭和44(1969)年3月時点で直方機関区には11輛のD60が配置され、同時期の大分での12輛とはまた違った個性を持ったD60が勢揃いしていた。小川さん撮影の写真から各号機の細部と個性を眺めてみた。 D6022 折尾~中間 S44(1969)/7/23 改造前:D5085[汽車] 改造:…
門司港発筑豊本線経由原田行がDD51のエンジン音高らかに1番ホームから出て行った。編成は門司港客貨車区、門モコのオハフ33・スハフ42・オハ46・オハ47で組まれていた。 2747レ S52(1977)/8/8 西鹿児島発門司港行夜行“かいもん”が6番ホームに到着する。ナハ…
8月7日掲載「大崎支線を行く」の記事の中で、新鶴見方から現れたEF651000番台機が牽く貨物列車後方に写っていたタワー状の構造物は何なのか気になっていた。その写真のトリミングを変えて拡大したのがこの画像である。 私は独特な形から遊戯施設か商業施設の…
大崎支線という名称はいつ頃知ったのかはっきりとした記憶は無い。とても都内とは思えないのどかな風景の中、気になっていた貨物線沿いを歩いていた。鉄道用地と道路を区切っているのは見事な枕木柵で、古き良き鉄道情景が未だ健在であった。さっそく黒い貨…
東海道新幹線上りの海側3列座席の窓側から見える景色は、多摩川を渡ると市街地の掘割の中を新幹線の複線と、謎の複線が寄り添う複々線の様相が続き、そのうち並んでいた謎の複線は新幹線の高架の下に潜って見えなくなる。 下りの山側2列座席窓側の車窓は、東…
昭和40年代の鉄道趣味誌に掲載された九州での機関区風景は直方・若松・熊本・吉松・宮崎などを見かけたが、意外と大規模な門司や鳥栖は誌上で紹介された記憶は残っていない。列車の窓から見えた鳥栖機関区は2棟の扇形庫が並び強烈な印象として残っていた。蒸…
中央本線の165系急行“アルプス”12輛編成は下り方松本寄り先頭車のクハ165が連続して2輛連なっているのに興味を抱いていた。最初はクモハ+モハ+クハに多客時だけもう1輛クハをつないでいるのかと思っていた。しかし通年12輛編成と知り、まるで気動車キハ58…
国鉄時代末期は入換を行う貨物列車が無くなり、荷物列車も終わり、馴れ親しんできた気動車や電車の塗装が変わるなどそれまで情熱を注いできた事に興味が薄れ始めていた。それでも子守を兼ねたドライブは気になる所へ進路をとり、新しい国道バイパスからは裏…
季刊「のぼろ」 Vol.12 2016 Spring (平成28年/西日本新聞社刊) 書棚に並んだ本の背表紙に「列車で山へ」というフレーズに反応して思わず手にとってみる。その本は登山やハイカーの専門誌で、目次を見ると鉄道誌のようなタイトルが並び、中でも「駅が登山口…
豊後中村駅の改札口に掲げられた電照式の時刻表。九重山群の登山口として急行列車は全て停車する。下り4本に対して上り5本なのは“由布1号”に併結された“日田”が由布院折返しで“はんだ”となって単独運転するためである。気動車列車が3往復記載されているが、…
全列車が蒸気機関車で運転される線区は、昭和44(1969)年時点では室木線の他に美祢線大嶺支線・日中線・只見線新潟県区間の4線区だけとなっていた。少し遡ると以下の7線区があったが気動車の浸透で「全列車蒸機」はあっけなく崩れ去ってしまった。 ・万字線 …
バラスト散布のホキ800は独特なスタイルをしていたので貨物列車の編成に組まれると目立つ存在であった。V形のホッパ形状と落し口、デッキ上の梯子や手摺り、開閉ハンドルやシリンダー等とても複雑な構造に映る。 よく見かけたホキ800であるが、国鉄時代に撮…
遠賀川駅早朝の情景。行灯式の番線案内や駅名表示の白色灯と、遠く薄もやに浮かびあがる出発信号機の赤色が旅情をそそる。 鹿児島本線上下線と中線の間は古レールで組まれた味のある跨線橋が架けられていた。2番ホームは鹿児島本線下りで室木線の3番ホームと…
汽車旅は車窓に広がる景色や列車、ヤードの車輛が見えるのが楽しいものだ。東行夜行列車に乗っていると、小倉を出た辺りから車窓右側が気になり始める。小倉から門司にかけて輻湊する線路が不思議に絡み合う“配線の妙”に魅かれるからだ。通るたびに迷路の謎…
過日、九州管内を走っていた客車列車を調べた際、鹿児島本線八代から佐敷まで平日だけ走る片道の列車が気になっていた。そんな折り、小川さんから見せられた電化前の三太郎越えの写真は何か秘めたものを語りかけてくれているような気がしたのは、まさに私が…
熊本駅本屋側から第3ホームの向こうに鎮座する明治の香り漂う煉瓦の庫を見る。熊本機関庫は九州鉄道時代の明治24年に開設された。 明治の庫は第3ホーム5番線から手の届くような至近距離で見える。昭和35(1960)年に行われた構内拡張工事で第3ホームが新設され…
太平洋ベルト地帯を成す山口県の瀬戸内海側は山陽本線沿いに岩国・徳山・防府・宇部・小野田と工業都市が連なっている。山陽本線宇部~厚狭間は3線区間で美祢線から宇部港へ運ばれる石灰石輸送に山陽本線の複線とは別に1線が敷設されていた。この1線の道床は…
何ともかわいい丸っこい電車を撮っていた。鎌倉大仏を見た帰りのスナップと思われる。江ノ島鎌倉観光の500形は連接車で502+552と501+551の2編成があったようだ。大きなパンタグラフとローマン書体の切抜きナンバーが印象的。 屋根と車体裾のゆるやかな線、…
大都市の真ん中に旅客と貨物を扱う「鉄道全盛期」を思わせる駅風景がまだ健在であった。巣鴨は貨物ヤードがあって山手線電車の車窓から滞留する黒い貨車を見ることができた。貨物本線の複線の他に側線があってワラやワムが列を成している。手前の引込線には…
関門エリアは車輛基地や操車場、複雑な線路配線が織りなす魅惑の鉄道地帯であった。乗車列車上りでは関門トンネルを抜けて運河を渡る高架線から、下りでは下関駅発車と同時に地平に広がる車輛基地と貨物ヤードが俯瞰できる胸躍る車窓が展開していた。青い機…
EF651000番台とはこの時が初対面であった。九州ブルートレインは専ら東京機関区の受持ちと思っていたが、撮影時は下関運転所のEF65500番台、1000番台ともに東京組と共に運用されていたようだ。EF651050〔関〕が20系“あさかぜ51号”を牽いて6番線に入って来た…
EF10のラストナンバーであるEF1041〔豊〕が短い編成を連れて小坂井に入って来た。駅長が出迎えている。飯田線の貨物列車はEF10がED17・18・19を置換えて豊橋~飯田間を、飯田~辰野間はED61改造のED62が使われていた。 飯田線ではEF1020とEF1041の2輛と会っ…
豊橋発豊川行4輛編成が小坂井に入って来た。前寄り3輛は外観の異なる2扉車で、初めて見る飯田線の旧形国電はとても新鮮に映ったものだ。3扉や2扉車が混在する編成の組み方は通勤形や近郊形、急行形が入った気動車編成と似ていると思った。 飯田線小坂井 S51(…
早朝の東海道本線は貨物列車が次から次へとやって来る。EF65117〔稲二〕牽引の下り貨物が豊川放水路橋梁を渡る。 東海道本線豊橋~西小坂井 重量貨物の先頭に立つのはモンスターEH10が良く似合う。EH10 64輛は稲沢二区と吹田二区に配備されて東海道・山陽本…
「さんすうちい(347M)」と呼ばれた大垣夜行を下車、夜明前に着いたのがここ、豊橋から西へ数キロの所、東海道本線と飯田線が並んで豊川放水路を渡る場所であった。何とも不思議なことに飯田線の線路を名古屋鉄道の特急電車が走っているのには度肝を抜かれた…
小城市民図書館のエントランスに掲示されていた「小城駅開業式の図」のまんがポスター。機関車といい、開業当初の駅名といい忠実に考証されていると感心した。機関車は唐津興業鉄道がスイスから輸入した1500形をモチーフにしているのではないかと想像する。 …
鍋島駅の待合室に掲示されていた「唐津線120年」のポスターに目が留まる。機関車の部分を拡大したのがこの写真で、8550とばかり思っていたその機関車は動輪が2つなので5700のようであった。 このポスターに誘われて小城駅近くの小城市歴史資料館で開催された…
昭和44(1969)年3月時点で大分運転所には12輛のD60が配置されていた。小川さん撮影の写真から各号機の細部と個性を眺めてみた。 D6021 日田 S44(1969)/4 改造前:D50226[川崎] 改造:浜松工場 S27(1952)/5/30 除煙板:小工式 前照灯:LP403 煙突:パイプ/縁取…
国鉄時代の向之原駅舎を撮っていたが、残念なことにフィルムをパトローネからあまり引っ張り出さずに巻き込んでしまったからか左半分は感光していた。開業は賀来と同じく大正4(1915)年10月30日であるが、現存の駅舎は国有化された後の大正12年に建てられたと…