タキ13552 形式タキ3500 内外輸送株式会社 アルコール専用 燃31 門司駅常備 大分 S60(1985)/3 専用種別のアルコールとはエタノールのことらしい。エタノールの主な用途は消毒・殺菌・溶媒・燃料や化学製品の原料で、身近なところでは除菌・消臭の家庭用、消…
日田彦山線は英彦山を主峰とする連山のひとつ、釈迦ヶ岳を長大トンネルで越える。県境の分水嶺を隔てて福岡県側に注ぐ彦山川は、彦山駅手前の第4彦山川橋梁を潜り深倉川と合流する。 筑前岩屋側のアーチ橋と同仕様のようで、橋長64.7m、アーチ径間14m、5連…
筑前岩屋~大行司間には深い谷を跨ぐ雄大なコンクリート橋が存在する。山沿いの高い位置での線路敷であったので豪雨災害に負けずBRT専用道として今も現役なのはうれしいことだ。筑前岩屋を出て最初のアーチ橋が栗木野橋梁だ。 山側から見た栗木野橋梁(金剛野…
線路を跨ぐ跨線橋の欄干に「国鉄日田彦山線」と刻まれた橋名板に目が留まる。未だこの名前が残っていることに感動し、レールが無くなった添田~夜明間にまだ他に面影が残っているのではないかと、彦山川、宝珠山川、大肥川に沿って敷設された線路跡を辿って…
濃硫酸専用のタキ4000とタキ5750は幸崎で見ていたので安治川口のヤードで会ったタンク車はどれも知っているタンク車であった。国鉄時代に撮った時には無かったナンバー前の「△」標記が未だ謎のままになっている。 撮影:安治川口 H5(1993)/3 コタキ34001 形…
「板橋区大山町」へ行くのにただ一度、東武東上線へ乗ったことを覚えている。たった一度なのに何故覚えているか。池袋のヤードで国鉄と私鉄の貨車が並んでいたこと。見慣れた車掌車ではない外国形のようなカブースがいたこと。私鉄沿線なのに貨物ヤードが広…
昭和59(1984)年2月改正は九州内を走るブルートレインのヘッドマークが15年ぶりに復活した。お椀形のマークは翌年の60(1985)年3月、山形に変更されたのでこの時が見納めとなった。 ED7626〔大〕 S60(1985)/3/11 大分で7号車から13号車までの付属編成7輛をつな…
日田彦山線線路跡は幸いにも彦山~宝珠山間が専用道に整備され、ひこぼしラインBRTが走るので、以前の鉄道線が味わえると乗車の機会をうかがっていた。 “日田彦山線BRTひこぼしライン”が開業して早や2年が経っていた。鉄道線跡を楽しみに日田駅を訪れる。駅…
先月、筑豊本線での無情な露出不足の写真を載せた際、閲覧いただいている“東上線ブログ”さんから現像ソフトで暗いネガも明るくできる旨連絡をいただいた。ほんとうだろうかと半信半疑、試しにほぼ透明なネガを送ってみた。何と真っ暗な画像が浮き出ているの…
みなとみらい地区にある展示場での所用を終えて最寄り駅からこの電車に乗ったものと思われる。東横線の桜木町はこの辺だと思いながら地下に降りる。「元町・中華街」の行先は終点が2箇所あるのだろうかと不思議に思いながら渋谷行に乗車する。頭を整理し「横…
鹿児島本線門司港~久留米間電化の際にED72試作機が登場、電化延伸に伴ってED72は22輛が揃い、ED73 22輛と共に門司機関区に配置された。ED72は旅客列車、ED73は貨物列車用として投入されたが、実際はSG搭載のED72が貨物列車を牽引し、SG無しのED73は20系を始…
D50やD60牽引で絵になった石炭列車も、昭和47(1972)年夏の訪問時は、旅客列車も含めてD51牽引ばかりになったといっても過言ではないほど勢力図が変わっていたのを知らされた。D51315〔直〕は昭和47(1972)年6月、羽越本線電化に伴う酒田からの転属機で、長い…
複々線戸畑方面第1上り線を行く長い貨物列車を撮る。機関車のナンバーは読み取れなかったがナメクジだったのでD5142〔若〕と思われる。石炭輸送全盛期は第1上り線が葛葉・西八幡・戸畑方面へ、そして第2上り線が若松の操車場へと2筋の大動脈に長いセラ編成が…
国道3号線の陸橋から筑豊本線折尾駅方面を望む。C55の下り列車が行く左側の複線が若松からの、右側2線が鹿児島本線へ接続する複線で、前者が第2上り下り線、後者が第1上り下り線と呼ばれている。そしてこの位置は折尾支線構内と呼ばれていたようだ(呼称は大…
DD51の牽くセメント石灰石列車は日豊本線から小倉を通過し、鹿児島本線貨物線をアンダーパスして鹿児島本線貨物上り線へと合流する。この位置は左から鹿児島本線上り線、日豊本線上り接続線と右端築堤から降りてきた鹿児島本線貨物上り線で、上り方向に3線が…
「ジョイフルトレイン長崎」は昭和63(1988)年8月、キハ65とキハ58が小倉工場で改造されて登場、それぞれ7002番を名乗る。先に改造された「サルーンエクスプレス」のキハ65+キハ58各7001番に続く付番であると思われる。 撮影:大分 H1(1989)/8 赤龍のキハ657…
鹿児島本線貨物線をDD51が牽くタキ編成が通っている。外浜から金田への返空列車と思われる。蒸機時代の金田からのセメント輸送はセメントクリンカ専用のホキ6800の列をD50・D51・D60・DD51が牽いていた。平成時代になって輸送形態がセメントクリンカから粉体…
日本セメント香春工場で生産されたセメントは粉体タンク車タキ1900に積込まれ、香春から日田彦山線を北上し葛葉、門司埠頭、東小倉へバラ輸送されていた。 セメント工場への専用線は香春起点方、採銅所寄りから分岐していた。電柱の向こうに見える線路がそれ…
昭和59(1984)年2月改正で貨物輸送は、ヤード系輸送から拠点間直行輸送への転換が計られ、コンテナ輸送・物資別適合輸送・車扱直行輸送に集約された。趣味誌で見た、新鶴見操車場を始めとする各地の貨車の墓場と化したヤードの写真はとても痛々しく映ったもの…
苅田港ヤードにDE101017〔直〕が佇んでいた。このナンバーは昭和45(1970)年4月から6月にかけて久大本線無煙化用に大分運転所に投入されたDE101015~DE101023までの続き番号9輛のうちの1輛であった。D60を一斉に直方へ追いやったDE10であったが、今度は久大本…
小学校高学年になって鉄道の雑誌があることを知る。親に買ってほしいと頼むも「まだ早い」と話にならず、中学生になって「鉄道ピクトリアル214号(昭和43年9月)」を手に入れたのが初めての鉄道趣味誌である。その後、「鉄道ファン」と「鉄道ジャーナル」の3誌…
DE101173〔大〕 大分発豊後竹田行748レ キハ58+キハ65+キハ58+キハ40 豊後竹田発大分行747D 豊肥本線中判田 S60(1985)/3/6 69695〔熊〕 熊本発大分行795レ C58224〔大〕 大分発豊後竹田行746レ 豊肥本線滝尾 S45(1970)/9/12 69699〔熊〕 熊本発大分行795…
EF5864〔関〕 EF5875〔宮〕 下関運転所 S49(1974)/5/2 EF5916〔瀬〕 EF61210〔瀬〕 瀬野機関区 S57(1982)/8/18 EF636〔横〕 左はEF6322もしくはEF6323の何れか(プレート式ナンバー機) 軽井沢 S50(1975)/6/15 EH1025〔稲二〕 157系 国府津 S51(1976)/2/7 ED76…
クモハ54119〔静トヨ〕 豊橋機関区 S44(1969)/2/15 撮影:HAYAさん 写真所蔵:転轍手 HAYAさんからいただいた写真の中に豊橋機関区で撮ったぶどう色のクモハ54119の写真があった。昭和43(1968)年3月31日現在の配置表では明石電車区所属であったので、その後…
485系“にちりん”の登場は新幹線岡山開業の昭和47(1972)年3月以降、新大阪~大分間“みどり”の下り到着後、大分~博多間を往復する間合い運用が始まりであった。南宮崎電化で運転区間は宮崎へ延伸、新幹線博多開業の昭和50(1975)年3月改正で博多・小倉~大分・…
岐阜と聞いてまず思い浮かぶのはお盆に飾る提灯であろうか。城下町岐阜の銀行や証券会社が連なる目抜き通りをモ570形574が進む。前サボは区間標記だろうか、並列で岐阜駅前忠節間と読める。グリーンとクリームの塗分けは濃淡の違いはあるが、山陽電気軌道や…
東海道本線小田原下りホームから伊豆箱根鉄道大雄山線乗場の3輛編成を撮っていた。手前の線路は東海道下り線、真ん中が貨物線で、分岐線は国鉄と伊豆箱根鉄道の渡り線と思われる。小田原と大雄山間9.6Kmを結ぶ路線は、曲線の関係で17mの車輛で運用されていた…
西の終着駅、長崎に初めて降り立ったのは中学校の修学旅行の時で、行止まりの駅と思いきや線路はさらに港の方へ延びていたのが印象的であった。18年後長崎観光の機会があり、長崎駅を訪ねてみた。駅前の高架広場はあの時と同じ、皆で整列した所からステンド…
観光旅行で宿泊したホテルの窓から汽車の見える不思議な光景にカメラを向けていた。根室本線を東進して釧路駅に入れば構内手前の未知なる分岐に気づいていたかもしれないが、空路釧路空港から釧路市街地に入ったので部屋の窓から見える景色は謎であった。ネ…
3月28日掲載の「豊橋の並び」で1番線の半流顔の車輛は『前面の特ちょうからクハ68406ではないか』と記してしまった。さっそく東京都の「大森工場」さんからそれは間違いの指摘をいただいた。『クハは、乗務員室の側開戸脇、昇降ステップが無いのが通例』との…