転轍器

古き良き時代の鉄道情景

下関運転所

 関門エリアは車輛基地や操車場、複雑な線路配線が織りなす魅惑の鉄道地帯であった。乗車列車上りでは関門トンネルを抜けて運河を渡る高架線から、下りでは下関駅発車と同時に地平に広がる車輛基地と貨物ヤードが俯瞰できる胸躍る車窓が展開していた。青い機関車、湘南色や修学旅行色の電車が並ぶ光景は、九州側とは全く違う鉄道模様に憧れていた。そんな下関運転所を訪れる機会に恵まれて憧れの機関車や電車を目の当たりすることができた。 写真は全て:S49(1974)/5/2

 EF58がたむろする機留線に足を踏み入れる。5輛のEF58は手前から宮原の139、広島の22、下関の31・7・12。

 EF66は試作機EF901として昭和41年に誕生している。その後量産機との統一改造でナンバーはEF66901となった。庇が付いていないからか丸っこく見える。

 EF66は幡生に集結していて下関構内でお目にかかることはなかった。庫の中にEF6631〔関〕が納まっていた。

 大窓のEF5831〔関〕

 EF5875〔宮〕

 ワイパーカバーが珍しいEF58113〔米〕

 EF589〔関〕

 EF5882〔関〕の正面窓は他機とは異なりHゴム支持で、ワイパーの位置も中央寄りではなくて外側に取付けられている。

 パンタグラフを降ろしているEF58をD51が移動させているようだ。

 DD13217〔関〕

 広島運転所のクハ86は57輛も配置されていた。

 クハ85は広島に10、岡山に3輛が配置されていた。

 クハ153-5〔広セキ〕

 修学旅行色のクハ167は9000番台の列車番号で“急行”を掲げている。“関門51号”、“山陽51号・61号”等が運転されていた。

 大ムコのオハネフ25は“彗星5号”の下関回転車のようだ。

 客車洗浄線は山陽本線の14系と山陰本線のオハ35系が並んでいた。手前に制輪子が大量に積まれて客車に近づけない。洗浄台の階段に設置年月「1967-3」が刻まれていた。

 “特急”のサボが入ったスハフ147〔広セキ〕。方向幕は「大阪」が入っているのでこの時運転されていた臨時特急“しおじ53号”もしくは“しおじ55号”であろう。後方に下関を象徴する漁業・水産加工会社の看板が見える。マルハソーセージのマークが懐かしい。

 こちらのスハフ14は“急行”のサボが入っているので臨時急行“壇の浦”の編成と思われる。下関の14系は2編成分しか配置がなかったので大ミハ車かもしれない。

 長門機関区の集煙装置付D51720〔長〕