転轍器

古き良き時代の鉄道情景

2019-06-01から1ヶ月間の記事一覧

小野屋駅の思い出

▮昭和45年 昭和45年夏、D60最後の活躍をフィルムに収めようと小野屋を訪れる。小野屋駅西側は大分川に合流する小川を渡る新連川橋梁と小野屋トンネルが見える絵になる場所であった。迎える列車は不定期の貨物列車で、来る、来ないは時の運、小雨降る中ひたす…

ながさき

昭和51年3月、門司港~大村線経由長崎間の夜行鈍行に、北海道の“からまつ”・紀勢本線の“南紀”と共に“ながさき”と愛称名がつけられた。上り門司港行“ながさき”のダイヤを追ってみると長崎23:00発、諫早から大村線に入り、早岐1:05着。佐世保発の2輛を足して早…

スハネ1662〔門サキ〕

スハネ16はスハ32系客車の台枠を使って10系寝台車の車体を載せてオハネ17として誕生、冷房装置の取付で重量が変わりスハネ16と形式変更された経緯がある。九州管内では竹下・鳥栖・長崎・早岐・大分に配置があった。スハネ1662〔門サキ〕は昭和36年7月の誕生…

かいもん

門司港~西鹿児島を結ぶ夜行“かいもん”は昭和43年10月に登場、昭和53年3月までは10系寝台車で運転されていた。夜行急行列車の新しいパターンが53年3月から実施され、20系寝台車2輛+12系座席車5輛の編成に近代化される。ナハネフ22のテールサインは白地に「…

第3只見川橋梁

学生時代、初めて同好の士と共に有名撮影地を訪ねる機会を得る。筑豊や日豊が本拠地の私は東日本の地は全くの門外漢で旅先案内人に連れられて「只見川第3鉄橋、SL撮影地、天狗岩」の看板が建つお立ち台に到達した。只見線は只見川沿いの深い峡谷を走り、数々…

京都市交通局10系

近鉄京都線を天理方面行の電車の先頭車で全面展望を楽しんでいた。木津川の鉄橋を渡ってしばらく進むと進行右側から渡り線が出てきて車輛基地のある大きな駅が見えてきた。近鉄線なので行違う電車は赤と白のツートン、もしくはオレンジと濃紺の特急電車が当…

ED731008

九州の電化は昭和36年の門司港~久留米間が始まりで、赤い機関車はED72とED73が登場、ED72はSG搭載の旅客用で22輛、ED73は貨物用で22輛、合計44輛でスタートした。ED73は昭和43年から44年にかけて高速列車100km/h運転に備えて1000番台に改造され、赤い車体に…

マヤ34

たまたま駅に立寄った際にマヤ34と出会う。当時、マヤ検の情報などあろうはずはなく、希少な車輛との邂逅は時の運であった。儀礼的なスナップも時の流れとともに忘れ去られ、画像を見ても撮った時のことは思い出せないでいる。時は既にJRになっていたので後…