転轍器

古き良き時代の鉄道情景

2020-10-01から1ヶ月間の記事一覧

スユ16

何気なく撮ったピカピカの郵便車のことを調べてみた。後位側妻面の標記で形式はスユ16とわかる。「荷物車・郵便車の世界ー昭和50年代のマニ・オユの記録ー」(クリエイティブモア刊)によると、スユ16は2000番台と2200番台がありスユ162201~2204の4輌は昭和…

トラ90000

貨物列車でよく見かけたチップ積の無がい車。でも意外と写真は撮っていない。唯一のこのカットは残念ながら下回りが写っていない。偶然見かけたライトグリーンのケージにチップを満載したトラに思わずカメラを向けたものと思われる。チップは紙の原料となり…

C57115とC5739について

大分運転所のC57はヨンサントオ以降17と53の2輌配置となって全盛期から見れば1割の数へと減じてしまった。53は昭和46年3月に若松へ、17は同年10月宮崎へ転じ、大分運転所C57終焉かと思われたが入れ替りに元大分に籍を置いたC57115が再び戻って来た。DF50の故…

大分駅8時台の構図 昭和47年5月3日

祝日の朝、汽車見物に大分駅へ赴く。目当てはC57の牽く佐伯行であったがこの日はC58の牽引で残念と思いつつせっかく来たのでしばらく駅の様子をスケッチしてみた。時間の経過とともに写真を並べてみると、旅客列車はED76・DF50・DE10・C58、貨物列車はED74・…

豊後森のキハ0741

キハ07ーこの形式を知ったのはいつ頃だったか思い出してみる。汽車好きの少年は鉄道趣味誌や模型カタログを見ていたので歯車式とか機械式、液体式といった言葉は耳にしていたがその違いが何かは全くわからなかった。中学校社会科の授業で地図帳を開くと、宮…

宮原線

新聞記事スクラップ帳に昭和44年掲載の「やがて消えるか宮原線」の見出しで8段抜きの記事がある。「走れば走るほど赤字」のサブタイトルが躍るその内容は大分鉄道管理局管内の宮原・細島・日ノ影の各線は道路の発達とバスの競合で旅客・貨物とも減少の一途で…

行橋機関区のC11

昭和44年3月時点で門鉄のC11は門司・行橋・後藤寺・直方・鳥栖・早岐・佐々の7機関区に56輌が配置されていた。走行線区は日田彦山・田川・添田・伊田・糸田・後藤寺・宮田・上山田・甘木・矢部・松浦・佐世保と枚挙にいとまがない。 C11162〔行〕 438レ 行橋…

豊州本線開業時の機関車のこと

昭和51年10月25日は津久見駅開業60周年記念の日で記念急行券が発行されていた。津久見は「みかんとセメントの町」、そのキャッチフレーズが水彩画のタッチで効果的に描かれていた。津久見駅は大正5年10月25日、当時の建設線名佐伯線が臼杵から佐伯まで開業し…

下ノ江

下ノ江駅駅前広場の一角に赤い鳥居が並び、お稲荷さんが祭られている。開業は臼杵まで開通した時の大正4年8月で、開通後たびたび発生する鉄道事故を防いでもらおうと交通安全を祈願しお稲荷さんを祭ることになったと伝えられている。瓦葺き板張りの素朴な木…