転轍器

古き良き時代の鉄道情景

2019-04-01から1ヶ月間の記事一覧

北九州市戸畑区幸町

鹿児島本線戸畑駅近くの幸町は戸畑線から枝光線が両方向に分岐するデルタ線が敷設されていた。幸町から3方向に①折尾方面→筑豊直方、中央町→門司②大門→門司③戸畑の各方面行が設定されていた。製鉄所の地元とあって幸町デルタは活気に溢れ、人の波がとぎれるこ…

ED421

信越本線や碓氷峠のことは趣味誌や写真集、また文学作品や紀行文で数多く採りあげられているので、自分の中では良く知っているような錯覚を起こしている。実際に列車で峠を越え、横川駅前に鎮座しているED421を初めて見た時、誌上の知識だけでは味わえない臨…

小海線

小海線は中央本線小淵沢と信越本線小諸を結ぶ78.9Kmの高原鉄道で、C56が牽く通風車や白い冷蔵コンテナが入った短い編成の貨物列車がイメージとして浮かぶ。小海線を訪れた昭和50年はハイカー達で満員になる新宿発EF64牽引の客車列車も健在の時代であった。「…

安治川口

少年時代、駅に停まった貨車の車票を見ていて「安治川口」と書かれた札が目に入り、そこはどの地方のどこにあるのかとても気になっていた。いつ解決したかは覚えていないがそこは桜島線の西九条からひとつめ、ということがわかりいつかこの目で見てみたいと…

南延岡行1531レ

大分運転所の客車留置は昭和42年に開設された大分電車区が使われていて、日豊・豊肥・久大各本線の客車編成の回送が大分~下郡(信)間で数多く設定されていた。牽引機はED76・ED74・D51・C58・8620等を実見している。蒸機の場合、豊肥本線上り向きが正位で…

遠い日の大分平野

山がちな中九州で大分川と大野川が別府湾に注ぐ大分平野はそう広くはない平地である。そんな大分平野を見渡せる場所が滝尾駅からほど近い中学校の裏山にあった。早朝、豊肥本線下り一番列車を見るためにその裏山に登ってみた。南西方向を見ると大小の山が迫…

添田行421列車から

行橋発添田行421レは逆向きC11が付いて行橋駅3番ホームで待機していた。スチームのきいたオハ35の進行方向右側の席につく。窓を開けて身をのりだすと、「船尾~上戸畑間専用」の標記の入った黄帯セキ6000とセラ1の長蛇の列が居並び、石灰石専用貨物列車の光…

内田信号場

内田信号場は油須原~勾金間6.7㎞の間に昭和29年頃設けられている。時あたかも石炭出炭量が増え続けていた時期であろう。キュウロク重連はセラやセキをつないだ長い編成を従えて猛スピードで通過して行った。信号ワイヤの傍らで後方に下がって通過を見守るも…

東別府駅 昭和60年

日豊本線の開通年代を見ると、明治28年4月行橋(九州鉄道)、明治30年9月柳ヶ浦(豊州鉄道)、明治40年7月に国有化の後、明治42年12月宇佐、明治43年12月中山香、明治44年3月日出、明治44年7月別府、明治44年11月大分に達している。大分以南は大正12年12月大…