大分運転所の客車留置は昭和42年に開設された大分電車区が使われていて、日豊・豊肥・久大各本線の客車編成の回送が大分~下郡(信)間で数多く設定されていた。牽引機はED76・ED74・D51・C58・8620等を実見している。蒸機の場合、豊肥本線上り向きが正位で下郡(信)からは逆向運転となる。大分駅第3ホーム(4・5番線)に逆向きC58112〔大〕が長い編成を牽いて停止する。罐右サイドに見えるリンゲルマン濃度計が太陽に反射していた。ホーム欠き取りに設けられた側線は蒸機が落とした灰を集めた灰置場の灰を積込む貨車が入るための線である。
C58112〔大〕が下郡基地からの回送を牽いて4番ホームに横付けしたところ。8輛の長い編成は南延岡行1531レでC58は連結器を外して離れ、先頭ではDF50が手際よく連結される。C58112〔大〕のテンダは大量に積まれた石炭が見える。九州の罐はテンダの前部に木枠で嵩上げを施していたが、これは石炭を多く積むためではなく前積みのための措置であることを最近になって元国鉄の大塚孝さんより話を伺った。交流2万ボルト架線の下での石炭かき寄せ作業を回避するための措置で、昭和35年秋に一斉に施工されたとのことであった。 1531レ 大分 S44(1969)/3