辺りが暗くなり中学校の部活を終えて帰る頃、上り列車がやって来る。機関車は5桁数字が並ぶプレートを付けていたがある日アルファベットのCが付いたプレートを発見、以後この時間に現れる機関車はC58ということを知る。当時C58は105・112・115・124・224・227・350の7輌が居てその後新見からの262が加わって豊肥本線を闊歩していた。気軽なスナップを時系列に並べてみると機関車の個性や輸送の状況等を垣間見ることができた。
豊後竹田6:21発大分8:05着の725列車は豊肥本線下り朝の3番列車で、8時のサイレンが鳴る頃に大分川橋梁を渡る。この位置は豊肥本線が下郡信号場で日豊本線と寄り沿い、単線並列の形で線路が並んだ所である。C58の大分行が通り過ぎると後方の鉄橋を宮崎行“南風1号”がC57牽引の佐伯行がたて続けにやって来る。 C58124〔大〕 豊肥本線下郡(新)~大分 S44(1969)/4/29
大分運転所の客車配置を見ると、昭和44年3月時点でオハ35・オハ47・オハフ33・オハフ61が2桁以上の数が在籍し、普通列車の編成に組まれていたと思われる。1輌目の緩急車は窓配置からオハフ33であろう。 725レ C58112〔大〕 豊肥本線滝尾~下郡(信) S44(1969)/8
同じくC58112〔大〕が牽く編成の緩急車は車掌室が車端に配置されたオハフ61であった。 721レ 豊肥本線滝尾~下郡(信) S44(1969)/10/12
寒い朝、白煙をなびかせてやって来たのは青ナンバーのC58277〔大〕で、この秋に第1種休車を解かれて再び本線に帰ってきた。編成を見ると扉配置からオハユニ61とオハニ61が連結されている。郵便荷物輸送は日中の列車に組まれた熊本機関区のキハユニ26が使われていたが、年末年始の繁忙期だからか、朝夕の客車列車に座席郵便荷物合造車が組み込まれていた。 725レ 豊肥本線滝尾~下郡(信) S44(1969)/12/30
夕方の豊後竹田行客車列車は大分16:23発746レと17:49発748レの2本が運転されていた。豊後竹田寄りの緩急車はオハフ33のようだ。 C58115〔大〕 746レ 大分 S44(1969)/10/4
豊後竹田発大分行下り貨物列車は滝尾を出ると見通しの良いR600の曲線を快調にとばし、このS字カーブの先にある4燈の遠方信号機まで信号確認はない。心地よいジョイント音を響かせる貨車群はプレスの入ったワラ1やワム80000よりも昔ながらの黒いワムが幅をきかせた懐かしい編成であった。 C58124〔大〕 793レ 豊肥本線滝尾~下郡(信) S44(1969)/10/6
C58の貨物運用は豊後竹田往復792-793レと三重町往復796-797レが設定されていた。豊後竹田往復は大分5:25発熊本行728Dが出た直後に発ち、豊後竹田わずか1時間半の間合いで折返し14時過ぎには大分へ戻る運用であった。 C58112 793レ 豊肥本線滝尾~下郡(信) S44(1969)/12/12
枕木柵の手前にある下郡第一踏切はR400の左曲線上に設けられている。加速のついたC58124〔大〕の牽く721レは制動音をきしませながらカーブを通過して行く。この先、下郡信号場で大分電車区の入出区線と合流し大分川を渡る。鉄橋を渡る轟音が聞こえなくなると列車はもう大分駅手前の場内信号機辺りにさしかかっているはずだ。 豊肥本線滝尾~下郡(信) S45(1970)/8
三重町折返しは転車台が無いので機関車は逆向きで大分へ戻る。逆行運転のC58115〔大〕は長い編成を従えて滝尾を後にする。 797レ 豊肥本線滝尾~下郡(信) S45(1970)/8
勾配標は16.7の上り勾配を示している。あたり一面の田圃にドラフト音が響き渡る。
逆向きC58115〔大〕は20輌以上つながった長い編成を牽き出し、米良川の土手にかかる16.7‰の勾配を苦しそうに登って行った。
朝の豊後竹田発大分行客車列車は滝尾7:09発721レと7:57発725レの2本が運転されていた。C58277〔大〕と本線上で会うのはこれが二度め。一休車復活だけにこの夏も元気で乗りきってほしい。 725レ S45(1970)/8
客車入換のC58105〔大〕 大分 S45(1970)/9
辺りが暗くなり始める頃、2本めの豊後竹田行客レが大分を後にする。この日から久大本線の客レはDE10牽引となってしまったが、豊肥筋はまだC58の舞台が継続で安心した。大分運転所C58の7輌体制は全く変わっていない。この当時客車のデッキに乗客が立っているのはごく普通の光景であった。 C58350〔大〕 748レ 大分 S45(1970)/9/30
「6番線から豊後竹田行が発車します。次は滝尾、次はたきお~う!」。ホームから離れると勢いよく給気、開かれた進路に合せるように車体を傾けて本線に合流、加速し構内に余韻と煙を残す。 C58224〔大〕 746レ S45(1970)/10
秋晴れの朝、一番列車が黄金色の稲田の中を行く。 C58224〔大〕 721レ 豊肥本線滝尾~下郡(信) S46(1971)/9/24
C58105〔大〕が牽く上り三重町行貨物列車。菜の花が咲き始め、八朔が色づく早春の風情が漂う。 796レ 豊肥本線滝尾~下郡(信) S46(1971)/3
貨車で埋まる三重町構内はまだまだ貨物輸送華やかな時代であった。豊後竹田発大分行下り貨物列車は上り熊本行気動車列車の到着を待って発車する。 C58350〔大〕 793レ 豊肥本線三重町 S46(1971)/9
朝もやのかかる大分構内入口、豊肥・日豊本線の場内信号機の位置に725レが接近する。1輌めの座席荷物合造車が気にかかる。やはり年末は44年末と同じく座席荷物合造車が組み込まれていた。 C58115〔大〕 豊肥本線下郡(信)~大分 S46(1971)/12/31
1輌めはスハニ3232と読める。スハニ32は以前目にした切妻のオハニ61とは趣きが異なる車輌であるが写りが悪くよくわからない。昭和44年の配置表では鹿児島でこの時点で大分へ移動していたものと思われる。サボはいつもの青地ではなく白地のタイプが付いていた。
金池踏切の跨線橋から725レを撮る。大分寄り緩急車はオハフ61の編成である。線路は奥から引上線、日豊本線、725レが通る豊肥本線、久大本線。 C58105〔大〕 豊肥本線下郡(信)~大分 S47(1972)/2/20
C58の牽く客車列車最後の日がやってきた。時あたかも昭和47年3月15日ダイヤ改正は山陽新幹線岡山開業の時であった。最後のC58旅客を撮るべく急斜面の山肌を大急ぎで登ってみたものの中判田を発車した列車は容赦なく迫ってきて、視界が開ける所まで辿り着けないまま小枝の手前でシャッターを押すはめとなった。 C58115〔大〕 725レ 豊肥本線中判田~滝尾 S47(1972)/3/14
C58の牽く旅客列車は3月14日、貨物列車は5月31日をもってDE10に置換えられ豊肥本線の無煙化が完了した。C57転出の補充として新見からやってきたC58262〔大〕を本線上で初めて見る。下郡信号場の場内信号機は電車区側の通路が開いているので赤の現示、機関車は信号場の手前で一旦停止する。本線側に通路が開いて汽笛一声再び動き始めたところである。豊肥本線上で遭遇したC58はこれが最後の写真となった。 6795レ 豊肥本線下郡(信) S47(1972)/5/25