転轍器

古き良き時代の鉄道情景

39680

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 39680〔熊〕が家畜車や無蓋車、石炭車の入った12輌の貨車を従えて米良川の土手に向かう上り勾配をゆっくりと進む。黒色の編成の中で石炭車の黄帯がひときわ引き立ち、上り場内と遠くに見える出発信号機の赤色もよくわかる。後方右手に農業倉庫が見える。 795レ 豊肥本線滝尾~下郡(信) S45(1970)/9

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 大分始発の貨物列車は構内北側の貨物ヤードで組成され、貨物線から直接出発する。日豊本線下り宮崎行“日南1号”の通過を待って貨物線出発信号機が進行を現示。39680〔熊〕は汽笛一声794レをゆっくりと牽き出して本線へ出る。 大分 S47(1972)/2/20

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 入換中のED76が見守る横を車列を曲げて渡り線を通り、いざ行かん。

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 39680〔熊〕の牽く長い貨物列車が下郡信号場を通過して大分川橋梁にさしかかる。大分川は日豊本線豊肥本線の単線並列で2本の鉄橋が架かっている。 795レ 豊肥本線下郡(信)~大分 S47(1972)/2/11

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 立野の3段式スイッチバックを行く。 1795レ 豊肥本線立野~赤水 S47(1972)/3/29

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 39680の動向を手持ちの趣味誌で追ってみた。昭和8年3月津和野、昭和32年11月宮地、昭和36年4月宮地、昭和43年3月香椎、昭和44年3月香椎、昭和44年4月熊本と移動している。宮地機関区統合以降一時門鉄へ移るも、再び豊肥本線の罐として熊本へ転属、昭和47年11月に廃車となっている。熊本機関区所属の機関車は「架線注意」標識を複数装備していて、39680もフロントに3枚付いていた。 39680〔熊〕 大分運転所 S47(1972)/2/20

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 連綿と続いていた豊肥本線熊本~大分間通しの貨物列車は、新幹線岡山開業時の昭和47年3月改正で廃止され、宮地~豊後竹田間の貨物輸送は終了し、同じくこの区間の蒸機列車に終止符が打たれた。毎日大分に顔を見せていた熊本機関区のキュウロクはいよいよ見納めとなった。 39680〔熊〕 大分運転所 S47(1972)/2/20