2026-01-01から1年間の記事一覧
昭和54(1979)年3月12日付、浦和局消印が押された郵便はがきが手元に残っている。長澤渡船さんこと故長沢弘志さんの“北海道全線乗車達成”のうれしい報告であった。夜行15連泊の貧乏旅行だったとのこと。この日付から40年以上経過したある日、彼にこの写真を送…
大宮支線の事前知識として「鉄道ピクトリアルNo.720 JR武蔵野線・京葉線特集」から一部引用する。『武蔵野線西浦和駅の東方には武蔵野線と東北本線を連絡するため、府中本町方からと、西船橋方からそれぞれ東北本線へ直通できるように、デルタ形の連絡線(複…
路面電車を狙った、と言うよりたまたま路面電車が写り込んだ都会のビル群を撮った写真と思われる。建物看板は「カーテン敷物伴傳」、「TAKASHIMAYA」、「富士銀行」、「日本火災海上」、「丸善」等が読め、場所の特定はできそうだ。都電の色は私の知っている…
■宇部を発車するC58122〔長〕 宇部2番線を発車するC58122〔長〕牽引の貨物列車は厚狭からの3線区間から宇部線へと入って行く。宇部線の機関車は厚狭機関区もしくは宇部港駐泊所のC58とばかり思っていたがC58122は長門機関区の罐であった。厚狭機関区のC58は…
C1293〔延〕が2輛の客車を従えて南延岡を後にする。3本並ぶ出発信号機の真ん中の腕木が下がっているので2番線から発車している。土曜日だけ、片道運転の南延岡発市棚行のようだ。サボは下げられているが、白く見える。日豊本線の市棚発着列車に客車列車はな…
後藤寺行気動車が下鴨生を発車したその時、構内分岐手前で待機していた漆生からの貨物列車が突如力行して迫って来た。まるで複線区間でのすれ違いのように映る。下鴨生は後藤寺線と漆生線の分岐駅で、漆生発の69632〔直〕の牽く貨物列車は下鴨生を通過する。…
特急列車牽引で登場したEF60500番台は、その後のブルートレイン増発とEF65の台頭で特急運用からは撤退し貨物列車仕業となった。幸いなことにしばらくの間は特急塗装のまま稼働し、その後一般塗装に変更されたようだ。サイドのクリームのラインは20系寝台車の…
下関発岡山行308M“山陽4号” 岡山~広島・下関を結ぶ153系“山陽”は下り7本、上り8本が運転されていた。改正直前は10輛から7輛編成に短縮されていた。 下関発岡山行3026M“はと3号” 岡山~下関間約363Kmを特急“はと”では約5時間、急行“山陽”では約6時間を要して…
終着の日ノ影駅に1線のこぢんまりとした矩形庫があったこと、C1255に給水する水タンクは鮮やかな深紅色だったこと、タンクの足元には石炭が積まれていたこと…等々蒸機時代での日ノ影駅の情景は趣味誌に載った数少ない写真からで、郷愁とロマンを抱く私の琴…
五ヶ瀬川沿いの渓谷の細道を走っていたら不思議な光景に出会う。今にも汽車がやってきそうな錯覚を起こして車を停める。 4燈の信号機は遠方信号機のように見える。この先に槇峰駅があった。 綱の瀬川を渡る鉄道橋と道路橋は雄大なアーチを描くコンクリート橋…
京都府と滋賀県にまたがってそびえる比叡山から名づけられた名門急行“比叡”は撮影時、名古屋~大阪間2往復が運転されていた。宮原電車区のクハ153・モハ152・モハ153・サハ153・サロ165で8輛編成が組まれていた。 401M“比叡1号” クハ153-70〔大ミハ〕他 東海…
スカイブルーの103系になる前の京阪神緩行線。クモハ73は前照灯が屋根上にあり、屋上からの配管、ウインドシル・ヘッダーもあって、3枚窓はHゴム支持ではあるもののとても古いタイプに映る。そして行先方向幕がなく、サボ受けも無くなっているので行先がわか…
■栗野 矢岳越えした肥薩線は一気に標高を下げ、鹿児島県に入ると吉松から栗野にかけて霧島連山西側の盆地を走る。全検上がりのような綺麗なC5510〔吉〕が上り貨物列車を牽いて姿を現す。 892レ 肥薩線栗野~大隅横川 撮影時、吉松機関区には5輛(10・26・27・…
国鉄宮原線(恵良~肥後小国間26.6Km)は昭和59(1984)年11月30日に廃止された。廃止の声を聞き休日の度に玖珠盆地に、麻生釣高原にと最後の活躍をするキハ40の勇姿を追いかけた日々はつい昨日のことのように思い出す。 廃止翌日の豊後森駅の表情を地元の方から…
421系は昭和36(1961)年の北九州電化時に製造、その出力アップの423系は熊本電化時の昭和40(1965)年に、そして3電源の415系は昭和46(1971)年に登場している。国鉄時代末期は経年車輛の特別保全工事が行われていたことを今になって知る。 非冷房、グローブ形ベ…
■別府湾春霞 仏崎トンネルの山の斜面からは風光明媚な景色が広がっている。桜満開の街道沿い、急傾斜で海に迫る高崎山も桜色の装い、山すその海べりを走る鉄路、湯の街別府の遠景、どれも春霞に煙る別府湾の絶景として記憶に刻む。 日豊本線東別府~西大分 S…
いただいた写真の中から夜の広島駅で撮られたであろう2葉についていろいろと推理してみる。列車種別の多かった良きあの頃を時刻表を開きながらの推測は楽しいものだ。 広島駅2番ホームに急行“山陽”の編成が入線している。2番ホームは下り向けなので岡山から…
新幹線博多開業の昭和50(1975)年3月改正は山陽本線昼行特急・急行の全面廃止で大規模な電車の転配が行われた。修学旅行電車も廃止されたため、下関運転所の167系は他区へ転出、153系は山陽本線快速電車に活路を見出すことになった。 153系の快速電車は広島~…
小郡機関区は広大な構内に2基の転車台が並び一方は23線の巨大な扇形庫が、もう一方は放射状に広がる機留線を擁し、2棟の給炭塔がそびえる大規模な機関区であった。全盛期を過ぎた撮影時は僅かにD51・C58・C12と気動車が配置され、廃車されたC621が保管されて…
D6028〔直〕 直方 S45(1970)頃 写真:NOMUさん 直方機関区D60のパイプ煙突機は28・32・33・34・52の5輛(昭和44年)が在籍していた。パイプ煙突のD60をなべて見ると、形状は長い・短いと筒状・末広がりのタイプがあるものの、見る角度によっては判定が微妙に異…
名古屋方面行の列車から対向する貨物列車が見えたので慌てて撮った写真と思われる。閉塞信号機が青から赤に変わる前なのでたぶん先頭車乗車であろう。 中央本線美乃坂本~恵那 S49(1974)/5/23 写真:BBSさん この写真から以下のことを趣味の知識として得るこ…
急行“美保”は福知山と出雲市間296.1Kmを約6時間かけて結ぶ。先頭は急行にしては少し頼りないキハ26もしくはキハ55のように見える。愛称は島根半島東端の美保湾に面した美保関から付けられたようで、当初はその対岸の境港と鳥取を結ぶ準急であった。 下り出雲…
別府扇状地南端の斜面から市街地を俯瞰する。線路は高架の別府駅から街並みを見おろしながら左にまわって海岸線へ出る。カーブの内側は別府八湯のひとつ浜脇温泉街で昔ながらの建物が並ぶ。外側は鶴見岳を望むなだらかな丘陵地が広がる。山と海の遠景を眺め…
昭和50年代初めに引伸機を買って暗室作業を始めた。しかしなかなか思うような写真ができなくて学生時代の写真に詳しい友に教示を乞う。年月が経ち、そんなことも忘れてしまっていたある日、私の写真の評価とともに作例写真が同封された封書が出てきた。半世…
修学旅行電車155系・159系は「東海形」と呼ばれる153系の顔で、後の167系とは表情が大きく異なっていた。黄色とオレンジの独特な塗り分けは、レモンイエロー(後にカナリヤイエロー)とライトスカーレットと呼ばれるらしい。愛称名は“きぼう・ひので・わかくさ…
D6062〔大〕牽引の鳥栖発豊後森行が長角トンネルから顔を出し、第7玖珠川橋梁を渡った先に下り天ヶ瀬遠方信号機が建っている。豊後中川から天ヶ瀬にかけて上り勾配が続くので下り列車は力行する。 635レ 天ヶ瀬で635レを待っていたのは由布院発門司港行“はん…
下り夜行列車は本州の西の果て、一路九州を目指して快走している。周防灘に沿って小月、長府、新下関を走りぬけた辺り、響灘に面して南下してきた山陰本線が山陽本線上下線の谷間に割り込んで来るドラマチックな展開に心躍る。駅でもない郊外や山間で線路が…
東中津駅からしばらく日豊本線と並走しその先で見えなくなる謎の線路があるのは早くから知っていた。ただその存在に興味を魅かれることなく長い年月が過ぎていた。 ある日、日豊本線上り列車に乗車する機会があり、右側座席で東中津駅を過ぎた辺りから目を凝…
鹿児島標記のキハ52134が豊後竹田の側線で佇んでいる。前面の顔が少し異なって見える。貫通扉の窓の高さが揃っていないので別形式の扉と交換されたのではないかと思う。顔の表情はつい映画「鉄道員(ぽっぽや)」に登場した気動車を思い浮かべてしまいそうなユ…
八幡前を発車したキハ102“かわせみ”は雪の残る古城の台地を進み、この辺りから沖代平野へ向けて一気に坂を下る。この頃は冬ともなるとよく雪は降ったものだ。年が開けて昭和46(1971)年は野路~守実温泉間25.7Kmが廃止されることになる。 S46(1971)/1/6 キハ6…