転轍器

古き良き時代の鉄道情景

2021-01-01から1年間の記事一覧

キヤ191系

キヤ191系は鉄道ファンNo.230「国鉄の事業用車」特集によると、本格的な架線・信号検測車として昭和49年と50年に3編成、6輛が製造され、直流電気検測車191系、交直流電気検測車443系電車の気動車版ということであった。キヤ190は架線の測定、キヤ191は信号関…

吹雪の高城 昭和56年3月1日

昭和56年3月1日は春を前に平野部も大雪に見舞われた。雪の経験のない生活は大混乱、前にも後にも「雪かき」で汗を流したのはこの時だけであった。非日常の景色を求めて簡易チェーンを装着し、近くの駅へ向かうと貨物列車が交換待ちをしているところであった…

大嶺支線のD518

日本最大のカルスト台地といわれる秋吉台へ行く道中で、C58の牽く貨車1輛客車1輛の混合列車を目撃し、強烈な印象が残っていた。それは昭和41年頃の私はまだ小学生の時であった。当時の感覚は客車列車は少なくとも4輛はつないでいたし、ましてや客車と貨車を…

列車案内表示装置

昭和50年代に見ていたテレビ番組「ザ・ベストテン」は週ごとの楽曲のランキングをフラップ式の表示板がパタパタと音を立てて回転させていたのが印象的で、まるで駅の列車表示機を見るようであったのを思い出す。 新幹線ホームから在来線乗換口に向かうと、新…

西武池袋線江古田

西武池袋線江古田駅上りホームから通過する池袋行急行電車を撮っていた。人物メインのネガに残っていたのを発見するも撮った記憶は残っていない。カラーネガは退色が進んでカラーモードはグレースケールに変換する他なかった。当時何の感慨もなかった私鉄沿…

分鉄局の8620 配置と動向について

大分鉄道管理局の柳ヶ浦・大分・豊後森・南延岡に足跡を残した8620を、手元にある配置表からその動向を辿ってみる。全通前の日豊本線に8620が現れたのは大正9年頃でそれまでの8550・6760・5700等を置換えて、その後のパシフィック登場まで日豊本線の主力機と…

南延岡機関区の8620

均整のとれた美しい28627〔延〕が機関区に戻って来た。ランボード上の缶受けとフロントデッキのフレームのラインがとても優雅に映る。 南延岡機関区 S47(1972)/12/29 28627〔延〕は元松浦線の罐。昭和47年3月早岐機関区から転入、48年8月には若松機関区へ移…

58689

「日本蒸気機関車特集集成上巻」(鉄道図書刊行会/昭和53年5月刊)所収の「九州における8620・C50の系譜」(谷口良忠著)に大分鉄道管理局の8620の状況が記載されている。以下記事の抜粋。「豊後森の7輛は久大本線由布院以東の客貨列車に、大分の4輛は日豊本線幸…

58652

58652〔大〕は昭和45年1月に廃車されているので稼働中の写真は昭和44年に撮ったわずかばかりである。まともな写真が撮れないまま廃車となり残念であった。大分運転所側から牽き出してきた車輛は冷蔵車と客車が連結されて、前記事記載の入換区分「中入換」で…

78684 右運転台

大分構内の入換専用機78684〔大〕は動力逆転機を装備した右運転台に改造された機関車であった。大分市G鉄さんより、78684のことについて分鉄局OBの方に聞いた話からその詳細を知ることになった。G鉄グラフィティでは「ある機関士の独白」として連載されてい…

西鉄甘木線

西鉄甘木線にキハ07を短くしたような電車が走っていたのは知っている。撮りに行きたいとは思っていたがいつの間にか姿を消していた。 西鉄甘木駅は甘木鉄道甘木駅の目と鼻の先にあった。沿線は宮の陣や五郎丸、本線の花畑など流線形の電車に似合った名前の駅…

直方西部

直方駅勝野寄りに構内を見渡せる「御館橋」という跨線橋があり、ここは絶好の撮影場所であった。機関区の扇形庫脇に信号扱い所があり、「〇〇列車接近!」など通信の音声が聞こえる不思議な場所でもあった。そんななか、列車番号は聞きとれなかったがD6046〔…

飯塚と新飯塚にて

筑豊本線上り列車の車窓から3番線に停車する上山田線の列車が見えた。機関車は半年前に直方に来た、久大本線最後の罐、D6065〔直〕で門ワカのオハフ61を従えていた。上山田線は4往復の客車旅客があり、上り飯塚方面は全て朝に集中していた。バック運転得意の…

紀州鉄道

昭和50年春、紀勢本線は御坊で下車し、DF50やキハ81を撮影した記憶は残っている。そのネガに3コマだけ濃い茶色とクリームのバケットカーが写っていた。まぎれもなく自分が撮ったものだが記憶に残っていない。当時は国鉄線に興味があってこのような地方鉄道に…

甘木

甘木線は太刀洗の陸軍飛行場への物資輸送のため急きょ建設され、昭和14年4月に開業している。終点の甘木駅は軍事、工場物資の輸送で広大な構内が広がっていたと聞く。飛行場跡地はその後キリンビール福岡工場が建設され、原料と製品輸送で貨物輸送は活況を呈…

ED74 昭和44年

昭和44年は消えゆく蒸機ばかりに目が向き電機にカメラを向けることは稀であった。敦賀から6輛全機が大分に来て1年後の姿を捉えたカットは手ブレやピンボケの写真ばかりではあるが、自分としては貴重な記録となったので恥ずかしながらアルバムに貼ることとし…

豊州路の汽車電車

修学旅行シーズン到来。大分市内中学校の修学旅行は複数の学校ごとに分けて日程が組まれる。各グループの出発日は12系6連の臨時列車が仕立てられ、最寄りの駅へ回送される。この日の乗車駅は賀来と南大分で、各校連合の出発結団式が行われて生徒たちは希望の…

80系湘南電車の印象

80系湘南電車が東海道本線を走っていた時に何度が乗車したことがある。乗車待ちのホームで迎えるオレンジとグリーンの中間車の車体は何故かぶどう色の客車を見るようで、ウインドシル・ウインドヘッダーが付いているとなおさらであった。車内が混みあってい…

鎮西橋の電車通り 西鉄北九州本線

鎮西橋電停は併用軌道の国道3号線が県道に変わる地点で、国道3号線は関門トンネルに向かって右にそれ国道2号線と名前も変わる。電停位置に関門橋と中国自動車道への案内標識が建っていた。方向幕「門司」を掲げた615が鎮西橋で信号待ちをしている。はて、こ…

門司駅前 西鉄北九州本線

145は戦前製らしく前面は傾斜のついたいわゆる流線形のスタイルであった。以前の塗装の上回りクリーム、下回りオレンジの塗分けの時に会ってみたかった。方向幕は「幸町⇒門司」が掲出され、戸畑線で大門もしくは枝光線から中央町経由で来たものと思われる。…

手向山トンネル 西鉄北九州本線

所用で国道3号線を本州へと向かっていた。併用軌道の電車を気にかけながら、進行左側は鹿児島本線のヤードが続き、複雑な鉄道地帯のまっただ中に居るようで快適なドライブを楽しんでいた。路面電車のトンネルが珍しかったからか、車を停めてスナップしていた…

D5179

夕刻の上り門司(操)行貨物は2軸やボギーの不規則なジョイント音が延々と続く長い編成でD5179〔延〕が引っ張って来た。南延岡区のD51は昭和44年3月時点で14輌が配置され、その内9・12・79・93の4輌がなめくじであった。走行するD5179〔延〕はこの時一度…

西唐津

「西唐津」と「東唐津」は行きたい所ではあったが、非電化時代を見ることはかなわなかった。松浦川対岸に位置したかつての東唐津は「ヒカラ」3文字の標記が珍しい気動車区が置かれ、唐津湾に面した西唐津には煉瓦の3線矩形庫のあるキュウロクの基地があった…

D51482

見慣れたD5112〔延〕の隣りに現れたD51482はこの年の5月に熊本機関区から来た新参者であった。南延岡機関区のD51はオリジナルナンバーの廃車で他所からの転入車でメンバーチェンジが進んでいた。昭和47年夏の時点で9輌の廃車(79・93・341・880・949・1035・1…

上臼杵 717系200番台

上臼杵は臼杵川を渡ってR362の左曲線上に駅がある。国道のバイパスができたので少し高い位置からカーブした駅を俯瞰ぎみに見ることができた。地方都市のどこでも見られる中心駅近くは錆びれて新たな繁華街は郊外に広がる光景はここ臼杵でも同様で、市中心の…

デワ3041 昭和55年

その後のデワ3041の写真が早速東京都線路端さんから届いた。塗装が明るくなってあの五反田で見た車輌と同じであろうかと驚く。青ガエル5000系のさよなら運転を撮る際に偶然遭遇したとのこと。鉄道ファンNo.250(昭和57年2月号)掲載の「ショートヒストリー東…

デワ3041 昭和49年

日頃移動の足となる電車にカメラを向けることはなかったが、得体の知れない電車が入っていたのでとりあえず撮ったのがこの写真。池上線のグリーンとは違った、それよりも濃いグリーンの塗装といかにも古めかしい車体で印象に残っている。この車輌のことは随…

マニ44新製回送

EF58142〔宮〕が落成したばかりのマニ44を、しかもオールマニ44というきれいな編成を牽いて西へ向かっている。昭和53年10月改正は荷物輸送近代化の旗印としてパレット積荷物客車マニ44が投入されている。それと呼応するこの新製回送の記録は千載一遇の機会で…

マニ44

マニ44はパレット積荷物車のスニ41を20m級に伸ばし、高速貨車ワキ10000の外観を備えたような新鮮な印象があった。妻面は三角屋根の折妻風で貫通扉は無く、小さなくぐり戸が独特である。屋根はガーランドベンチレーターが配置され、乗務員室側の押込形通風器…

大分運転所 昭和47年6月11日

給炭線から転車台にかけてのSLゾーンは昭和47年5月31日をもって豊肥本線と下郡回送列車の無煙化が完了しC58と8620は姿を消してしまった。日豊本線佐伯往復の旅客列車もDL化され、蒸機で残るは日豊本線貨物運用だけで南延岡のD51が姿を見せるだけとなっていた…