電車
中央本線の165系急行“アルプス”12輛編成は下り方松本寄り先頭車のクハ165が連続して2輛連なっているのに興味を抱いていた。最初はクモハ+モハ+クハに多客時だけもう1輛クハをつないでいるのかと思っていた。しかし通年12輛編成と知り、まるで気動車キハ58…
EF10のラストナンバーであるEF1041〔豊〕が短い編成を連れて小坂井に入って来た。駅長が出迎えている。飯田線の貨物列車はEF10がED17・18・19を置換えて豊橋~飯田間を、飯田~辰野間はED61改造のED62が使われていた。 飯田線ではEF1020とEF1041の2輛と会っ…
豊橋発豊川行4輛編成が小坂井に入って来た。前寄り3輛は外観の異なる2扉車で、初めて見る飯田線の旧形国電はとても新鮮に映ったものだ。3扉や2扉車が混在する編成の組み方は通勤形や近郊形、急行形が入った気動車編成と似ていると思った。 飯田線小坂井 S51(…
早朝の東海道本線は貨物列車が次から次へとやって来る。EF65117〔稲二〕牽引の下り貨物が豊川放水路橋梁を渡る。 東海道本線豊橋~西小坂井 重量貨物の先頭に立つのはモンスターEH10が良く似合う。EH10 64輛は稲沢二区と吹田二区に配備されて東海道・山陽本…
「さんすうちい(347M)」と呼ばれた大垣夜行を下車、夜明前に着いたのがここ、豊橋から西へ数キロの所、東海道本線と飯田線が並んで豊川放水路を渡る場所であった。何とも不思議なことに飯田線の線路を名古屋鉄道の特急電車が走っているのには度肝を抜かれた…
「よよぎ」の響きは公園の名前もあって、集会やイベント・コンサートを連想させられる。また学生運動や予備校のイメージも浮かび独特な響きの感覚を抱いていた。代々木駅は山手線と中央本線緩行線が接する3面4線の配線で、緩行線と山手線内回りは同一ホーム…
南行「桜木町」を掲げたクハ79はキャンバス押えに縦樋、ウインドシル・ヘッダー、運行窓枠・サボ受の輪郭がはっきりと出て顔がとても締まって見える。前照灯が屋根上にあるので年代を感じる。と、ここまでは単なる私の感想。実はこの顔のこの車輛、63形から7…
クモハ73の顔はバラエティ豊かで楽しい。前面窓は形状と窓枠、傾斜の有無、前照灯の位置(幕板埋込み・屋根上)、方向幕・運行窓・通風器の有無、雨樋・パイピングと枚挙にいとまがない。この編成は両端クモハ73、中2輛がサハ78のようで、2輛めは3段窓の古いハ…
目黒付近の地形は都会とは思えない深い谷があった。わざわざ山手線の103系を撮りに来たのではなく、掘割のような低い位置を通る貨物列車が目当てであったが、うぐいす色の電車しかやって来なかった。目黒を出て恵比寿へ向かう編成は貨物線をオーバークロスす…
宇部・小野田線の旧形国電は105系によって新性能化されたことを趣味誌の便りで伝え聞いていた。小野田線の本山支線は単行運転が行われていたので両運転台のクモハ42が残っていたと思われる。所用で山口に行った帰り、宇部新川へ遠回りした甲斐があって運良く…
クモハ41024〔広ウヘ〕 小野田駅1番線に宇部新川往復のクモハ41+クハ55の2輛編成が待機していた。クモハ41は前面部分が緩やかなカーブを描く半流線形で、黄色の警戒色が良いアクセントとなっていた。側面はウインドシル・ヘッダーのリベットや運転席の扉、…
友人に誘われて旧形国電余命あとわずかとなった青梅線ハイクに出かけた。出会うのはスカイブルーの103系ばかりであったが、それでも深い谷を跨ぐ雄大な鉄橋の構図は貴重な記録となった。 青梅線二俣尾~軍畑 S52(1977)/12/2 「立川」の前サボを掲げたクモハ4…
東上するブルートレインのトップバッターは“出雲”。EF65539〔東〕が牽く20系12輛編成が通る。 2002レ 東海道本線品川~川崎 S49(1974)/10/24 再度訪れた時は“出雲”の編成は24系に変わっていた。 2002レ 東海道本線品川~川崎 S51(1976)/3/22 続いて西鹿児島…
東京では東京タワーの景色など当たり前であろうが、自分の撮った写真の後方にたまたま写っていたのは驚きであった。当時は東京タワーの存在の意識すらなく、往来するブルートレインや電車群を追いかけただけ、構図を考えるゆとりすらなかった。東京タワーが…
夕方のラッシュが始まる京浜東北線の大井町駅。国電の駅風景は私鉄沿線とはまたちがった雰囲気がある。北行は「大宮」、南行は「大船」を掲げたスカイブルーの103系が並んでいた。複々線の線路を跨ぐ陸橋を支える煉瓦積みの橋台や掘割の壁の造りは歴史の重み…
昭和53年3月の車輛配置表で大分のサハシ455は18輛(1~13・15・17・19・23・25)が配置されていた。昭和53年10月改正は475系の九州島内急行編成の統一化が行われている。ビュッフェが廃止されたサハシ455は基本編成6輛化に向けて編成から外されていったものと…
80系湘南電車が東海道本線を走っていた時に何度が乗車したことがある。乗車待ちのホームで迎えるオレンジとグリーンの中間車の車体は何故かぶどう色の客車を見るようで、ウインドシル・ウインドヘッダーが付いているとなおさらであった。車内が混みあってい…
上臼杵は臼杵川を渡ってR362の左曲線上に駅がある。国道のバイパスができたので少し高い位置からカーブした駅を俯瞰ぎみに見ることができた。地方都市のどこでも見られる中心駅近くは錆びれて新たな繁華街は郊外に広がる光景はここ臼杵でも同様で、市中心の…
吾妻線は上越線渋川から大前に至る55.6㎞の上州の温泉地帯を通るローカル線で、新前橋電車区の70系と40系が走っていた。きれいなスカ色4輌編成が吾妻川を渡る。70系は福山で福塩線を見ていたが写真に収めたのはこの時が最初で最後であった。 吾妻線祖母島~…
高円寺の緩行線ホームから快速線ホームを望む。御茶ノ水から三鷹までの複々線は線路のひねりが入った御茶ノ水が方向別でそれ以外は線路別複々線であった。ちょうど上り東京行と下り豊田行のオレンジバーミリオンの電車が並んだところであった。101系と103系…
「雨は降る降る、人馬は濡れる、越すに越されぬ田原坂♪」のメロディが浮かぶ田原坂は西南戦争の激戦地としてその名前はよく知られている。その歴史よりも鉄道名所「田原坂」に憧れて訪れてみた。峠越え難所のイメージを抱いていたが複線の近代的な路盤はなだ…
「西千葉」と聞くと気動車王国千葉県、千葉気動車区、コルゲート板を纏ったキハ35等が思い浮かぶ。千葉気動車区が見えるのではないかと立寄ったのかもしれない。気動車王国は既に過去の話となっていた。気動車区はこの当時、加古川・岡山・松山・徳島・直方…
日豊本線幸崎電化の昭和42年10月に特急“みどり”として華々しくデビューした581系は、その後50Hz・60Hz共用の583系となり全国各地で活躍するようになる。日豊本線を走ったのは1年だけであったが、新幹線博多開業の50年3月、今度は本領発揮の寝台特急としてカ…
昭和42年10月は日豊本線幸崎電化が開業した時である。当時私は汽車好きの小学校6年生、形式は後年知ることになるが、客車はドームがスマートな動輪3つの機関車(C57)、貨物はこぶが2つ、動輪4つの機関車(D50)の牽く列車を中津駅で見ていた。ある日それら…
153系はカワイモデルのカタログでしか知らなかったが、この時初めて実物を見る。検修線のクハ153には交番検査の旗が掲げられていた。列車番号標記にある312Mは下関発岡山行“山陽7号”で、急行“山陽”は下関・小郡・南岩国・広島と岡山を結ぶ8往復が設定されて…
東海道筋の2つ扉は80系と153系があって近郊形113系とは違った客車的な趣きがあって好感を持っていた。この年に80系は終焉を迎え、前面がオレンジ一色の153系が急行に各停に運用されていた。165系急行は中央本線や上越線のイメージがあったが三島で偶然見か…
クモハ40の顔はさまざまなタイプがあるらしいが、この青梅駅電留線で休むクモハ40061〔西トタ〕は丸妻半流の顔でシル・ヘッダーのリベットと深い屋根のカーブが重厚な面構えを醸し出している。 青梅線青梅 S52(1977)/12/2 左サイドは運転室扉横と運転室窓上…
青梅・五日市線の旧形国電が風前の灯ということを聞き、旧国ファンに連れられて多摩川の川原にやって来た。五日市線は豊田電車区のクモハ73+サハ78+モハ72+クハ79の4輛編成で運用されていた。朝夕のラッシュ時にはクモハ40が増結される。この時すでに103…
北海道の交流電車711系は昭和43年小樽~滝川間電化開業の際に登場している。試作の2輛ユニットからクハ711+モハ711+クハ711の3輛基本編成となり、421系と同じ塗色は近郊形のようで車内はデッキを備えた急行形の構造であった。小樽・札幌と旭川を結ぶ急行“…
前回掲載のEF15の記事でこの写真の説明を「押し込み形ベンチレーターが並ぶ80系湘南電車とすれちがうEF15102〔新〕」と記載した。いつも閲覧してくれる東京の線路端さんからこの電車のことでMAILをいただく。 『屋根がフラットに見えます。フラットの具合か…