転轍器

古き良き時代の鉄道情景

蒸気機関車

69616

夕方の宮地行の補機を務める69616〔熊〕が給炭線脇でスタンバイしている。石炭満載のテンダのプレートは形式入が付いている。テンダ輪郭の縁取りやキャブの屋根と下回りの曲線が優雅に見える。 熊本機関区 S47(1972)/3/29 熊本機関区の給炭設備はアメリカン…

D6071 旅立ちの日

いつものように大分運転所に行くと、日頃まず入ることのない電留線にD60がいるのに驚いた。近づいてみるとキャブの札差しに機関車の転属を告げる票が差し込まれていて、D60減少の現実に愕然とする。今夜半の貨物列車で北上するとのこと。「D6071よ、大分での…

夕暮れの水前寺

九州には「寺」のつく駅が6つある。日豊本線豊前善光寺、久大本線善導寺、日田彦山線後藤寺、筑肥線周船寺、宮原線宝泉寺、そして豊肥本線水前寺。ここ水前寺を訪れたのは9600重連の宮地行を撮るためである。水前寺の構内はとても広く隣りの南熊本とともに…

39680

39680〔熊〕が家畜車や無蓋車、石炭車の入った12輌の貨車を従えて米良川の土手に向かう上り勾配をゆっくりと進む。黒色の編成の中で石炭車の黄帯がひときわ引き立ち、上り場内と遠くに見える出発信号機の赤色もよくわかる。後方右手に農業倉庫が見える。 795…

69665

私が知っている熊本機関区のキュウロクのうち、69665と79602の唯2輌が門デフ装備車で目立つ存在であった。69665〔熊〕とは対面の確立が高く一番多く出会った機関車で思いもひとしおである。 貨物列車と旅客列車の交換に偶然出くわす。通常ダイヤであれば熊本…

幸崎小運転で使われた機関車

昭和44年当時、日豊本線大分~幸崎間に夕方1往復の貨物列車が設定されていた。「小運転」という用語は当時の趣味誌に国鉄マンが執筆した機関車の現況を伝える記事で目にし、短区間の運用は自然とそのように呼ぶようになった。国鉄に「小運転」の定義があった…

79653

豊肥本線の9600はねぐらを宮地機関から熊本機関区に移して同ナンバーが継続して使われていた。79653は当初のメンバーではなく廃車補充として昭和44年4月に香椎から転属して来た機関車であった。約4年間豊肥本線で働いた後、昭和48年の無煙化の際遠く北海道へ…

79608

小鳥のさえずるのどかな日、一面れんげ畑の向こうからお目当ての貨物列車はやって来た。石炭車とバラスト散布のホッパ車が編成にアクセントを添えてちょうどよい長さである。79608〔熊〕はコンプレッサーの排気音をリズミカルに鳴らして通り過ぎて行った。 7…

79602

79602は「蒸気機関車No.55(昭和53年5月号)」の9600番号順配置表によると、昭和8年鳥栖ー昭和22年佐賀ー昭和36年宮地と記載され、一貫して九州内を回っていたようだ。宮地機関区は昭和39年の豊肥本線DC化の際に熊本機関区に統合され、79602は昭和48年の無煙…

59670

阿蘇ドライブの途中の山腹に機関車が置かれているのに気づく。近寄ってみると何とついこの間まで貨物列車を牽っぱっていた熊本機関区の59670であった。とりあえず記念撮影をしてそのままになっていたネガを発見、忘れ去っていた高原の機関車のことを思い出し…

熊本機関区で出会ったC11達

熊本機関区のC11は伝統的に数多く配置され、矢部線・三角線と熊本・川尻・八代・大牟田・荒尾の入換運用に広く使われていた。昭和30年代は熊本機関区に荒尾と八代に機関支区が設けられて数輛のC11が配置されていた。またそれ以前は矢部線黒木にも駐泊所があ…

ヨンヨントオ前夜

汽車の写真を撮り始めて初の10月がやってきた。10月は国鉄のダイヤ改正の月、鉄道に対して何の情報もなかったあの時代、地元新聞の「蒸機また消えるー」の見出しに踊らされて昭和44年9月30日の放課後は一目散に蒸機基地へと自転車を走らせた。 【写真①】手前…

早朝の帯広

帯広5番線に停車しているのは広尾行の貨物列車のようだ。道外禁止の黄帯を巻いたワフ21000はステップの手摺りは白く塗られている。所属標記は釧オロと読める。後方に煙突が長い二段屋根の矩形庫が見える。 帯広 S49(1974)/9/18 朝もやのかかる広い空の下、6…

十勝平野の東

池田と北見を結ぶ池北線の起点は帯広から約24km、太平洋に注ぐ十勝川が作った十勝平野の東の端に位置している。十勝川と合流する利別川の中流域までさかのぼっても視界が広がる平地が広がっていた。池田発北見行の貨物列車をフロントデッキゼブラ塗りのキュ…

常紋越え

石北本線生田原~金華間15㎞は常紋信号場をサミットとした25‰の勾配が続く難所で常紋越えと呼ばれていた。本務機D51の貨物列車に9600が後押しで峠越えをしていたが、訪問時補機はDE10に置換えられていた。9600時代の補機は生田原~留辺蘂間で運用され、それ…

室蘭本線の駅から

■苫小牧 苫小牧のホームに立つと製紙・パルプ工業の巨大な煙突を背景に苫小牧機関区に並ぶ気動車や機関車群に圧倒される。下り列車に乗って窓の外を見ると広大な苫小牧操車場の真ん中にいるような魅惑の鉄道地帯が展開していた。室蘭発岩見沢行225レを牽くD5…

遠軽スケッチ

遠軽は石北本線と名寄本線の接続駅で、石北本線は新旭川方と網走方がスイッチバックしている。遠軽機関区は駅の裏手の岩山に遮られたわずかなスペースに扇形機関庫が配置されて駅の跨線橋から手を伸ばせば届きそうな距離に感じられた。客車とチップ積貨車の…

夕張線

雨上がりの紅葉山へ降り立つ。「安全第一」が掲げられた煤けて歴史を漂わせる跨線橋が出迎えてくれる。2輛編成のキハ22は追分発夕張行729D。後方はセキ6000が長蛇の列を連ねて待機している。本屋につながる上りホームは三々五々人が集まり始めた。駅長が上り…

勇払平野

日本地図帳の北海道を広げ、46年前に自分が立った位置を確認してみた。道央に広がる石狩平野は北は石狩湾から南は苫小牧沖の太平洋にかけて緑色で示されている。当時憧れた室蘭本線と千歳線が交差する場所は勇払平野と記されていた。室蘭本線を乗り越す千歳…

哀愁のデロクマル

汽車の写真を撮りに初めて大分運転所を訪れたのは昭和44年春。時すでに動力近代化の波は押し寄せ、日豊・豊肥・久大の各本線でかろうじて残った大分・熊本・南延岡の機関車達を見ることができた。なかでも久大本線はDL化目前の時でわずかな期間でD60を撮るこ…

69699

緑ナンバー69699〔熊〕が熊本からの貨物列車を豊肥本線全線走破して大分に到着した。到着後すぐ大分運転所に入って向きを変え給水・給炭の後、豊後竹田行748レの機関車となる。 795レ 大分 S44(1969)/3 69699〔熊〕が転車台で向きを上り方へ変え後退するとこ…

豊後竹田行

昭和44年春、豊肥本線の客車列車は大分~豊後竹田間2往復(内豊後荻発1本あり)と熊本~宮地間1往復が運転されていた。旅客列車のディーゼル化は昭和39年3月と早く、かろうじて朝夕の輸送力列車が客車で残されていた。6輛の客車の先頭に立つC58224〔大〕は…

鬼瀬

昭和45年夏、久大本線の蒸機列車は久留米口で6往復半、大分口で5往復が健在で大分運転所D60-8輛と豊後森機関区8620-5輛が運用されていた。10月のDL化を目前に落成したばかりのDE101000番台も運用に入ってきて、蒸機牽引列車は風前の灯となっていた。 鬼瀬は…

C6119

C61はD51のボイラにC574次形の足まわりを組み合わせ、従輪を2軸とした軸配置2C2のハドソンである。D51は見慣れているものの、下回りが高いからかボイラがやけに太く感じられる。C6119〔宮〕は青森時代の副灯の後が残り、フロントデッキの穴はスノープラウ装…

鹿児島発門操行貨物列車

どしゃ降りの雨の中、C57109〔宮〕牽引の鹿児島発門司(操)行貨物列車が中線に到着した。牽引機は宮崎からC61に交代し、南延岡から大分まではD51の担当となる。C57109はもと大分運転所所属機で、幸崎電化後も大分に残った7輛のうちの1輛である。昭和43年10…

C57127

客車入換をするC57127〔宮〕は昭和46年春の山陰本線京都口のDL化で梅小路機関区から転属してきた。宮崎機関区での在籍は短く、47年10月時点では鹿児島機関区の配置になっていた。 C57127〔宮〕 宮崎 S47(1972)/1/5

C612

昭和46年夏、趣味誌で報じられた「C61が日豊本線へ入線」に大きな驚きを覚える。奥羽本線秋田~青森間の電化完成で青森機関区のC61は昭和46年10月、宮崎機関区へ配置換えとなった。当初は宮崎~鹿児島間で運用と伝えられたものの、ストーカーの関係で南延岡…

第3只見川橋梁

学生時代、初めて同好の士と共に有名撮影地を訪ねる機会を得る。筑豊や日豊が本拠地の私は東日本の地は全くの門外漢で旅先案内人に連れられて「只見川第3鉄橋、SL撮影地、天狗岩」の看板が建つお立ち台に到達した。只見線は只見川沿いの深い峡谷を走り、数々…

C5717

全盛期21輛もの多きを擁した大分運転所のC57は、幸崎電化後は7輛に激減、ヨンサントオのED74転入時にはわずか2輛になっていた。残った2輛は17と53で、佐伯1往復の仕業であったので昼間はどちらかが必ず扇形庫で眠っていた。昭和43年夏に初めて買った「鉄道ピ…

大分運転所のC58

C58は丙線区向けの客貨両用の機関車として昭和20年代、久大本線と豊肥本線に投入されていた。久大本線は豊後森に、豊肥本線は宮地に配置されていたが運用の合理化で昭和24年大分へ集約されている。宮地のナンバーは21・33・34・47・48・423・424・426・427の9輛、…