転轍器

古き良き時代の鉄道情景

蒸気機関車

熊本機関区で出会ったC11達

熊本機関区のC11は伝統的に数多く配置され、矢部線・三角線と熊本・川尻・八代・大牟田・荒尾の入換運用に広く使われていた。昭和30年代は熊本機関区に荒尾と八代に機関支区が設けられて数輛のC11が配置されていた。またそれ以前は矢部線黒木にも駐泊所があ…

ヨンヨントオ前夜

汽車の写真を撮り始めて初の10月がやってきた。10月は国鉄のダイヤ改正の月、鉄道に対して何の情報もなかったあの時代、地元新聞の「蒸機また消えるー」の見出しに踊らされて昭和44年9月30日の放課後は一目散に蒸機基地へと自転車を走らせた。 【写真①】手前…

早朝の帯広

帯広5番線に停車しているのは広尾行の貨物列車のようだ。道外禁止の黄帯を巻いたワフ21000はステップの手摺りは白く塗られている。所属標記は釧オロと読める。後方に煙突が長い二段屋根の矩形庫が見える。 帯広 S49(1974)/9/18 朝もやのかかる広い空の下、6…

十勝平野の東

池田と北見を結ぶ池北線の起点は帯広から約24km、太平洋に注ぐ十勝川が作った十勝平野の東の端に位置している。十勝川と合流する利別川の中流域までさかのぼっても視界が広がる平地が広がっていた。池田発北見行の貨物列車をフロントデッキゼブラ塗りのキュ…

常紋越え

石北本線生田原~金華間15㎞は常紋信号場をサミットとした25‰の勾配が続く難所で常紋越えと呼ばれていた。本務機D51の貨物列車に9600が後押しで峠越えをしていたが、訪問時補機はDE10に置換えられていた。9600時代の補機は生田原~留辺蘂間で運用され、それ…

室蘭本線の駅から

■苫小牧 苫小牧のホームに立つと製紙・パルプ工業の巨大な煙突を背景に苫小牧機関区に並ぶ気動車や機関車群に圧倒される。下り列車に乗って窓の外を見ると広大な苫小牧操車場の真ん中にいるような魅惑の鉄道地帯が展開していた。室蘭発岩見沢行225レを牽くD5…

遠軽スケッチ

遠軽は石北本線と名寄本線の接続駅で、石北本線は新旭川方と網走方がスイッチバックしている。遠軽機関区は駅の裏手の岩山に遮られたわずかなスペースに扇形機関庫が配置されて駅の跨線橋から手を伸ばせば届きそうな距離に感じられた。客車とチップ積貨車の…

夕張線

雨上がりの紅葉山へ降り立つ。「安全第一」が掲げられた煤けて歴史を漂わせる跨線橋が出迎えてくれる。2輛編成のキハ22は追分発夕張行729D。後方はセキ6000が長蛇の列を連ねて待機している。本屋につながる上りホームは三々五々人が集まり始めた。駅長が上り…

勇払平野

日本地図帳の北海道を広げ、46年前に自分が立った位置を確認してみた。道央に広がる石狩平野は北は石狩湾から南は苫小牧沖の太平洋にかけて緑色で示されている。当時憧れた室蘭本線と千歳線が交差する場所は勇払平野と記されていた。室蘭本線を乗り越す千歳…

哀愁のデロクマル

汽車の写真を撮りに初めて大分運転所を訪れたのは昭和44年春。時すでに動力近代化の波は押し寄せ、日豊・豊肥・久大の各本線でかろうじて残った大分・熊本・南延岡の機関車達を見ることができた。なかでも久大本線はDL化目前の時でわずかな期間でD60を撮るこ…

69699

緑ナンバー69699〔熊〕が熊本からの貨物列車を豊肥本線全線走破して大分に到着した。到着後すぐ大分運転所に入って向きを変え給水・給炭の後、豊後竹田行748レの機関車となる。 795レ 大分 S44(1969)/3 69699〔熊〕が転車台で向きを上り方へ変え後退するとこ…

豊後竹田行

昭和44年春、豊肥本線の客車列車は大分~豊後竹田間2往復(内豊後荻発1本あり)と熊本~宮地間1往復が運転されていた。旅客列車のディーゼル化は昭和39年3月と早く、かろうじて朝夕の輸送力列車が客車で残されていた。6輛の客車の先頭に立つC58224〔大〕は…

鬼瀬

昭和45年夏、久大本線の蒸機列車は久留米口で6往復半、大分口で5往復が健在で大分運転所D60-8輛と豊後森機関区8620-5輛が運用されていた。10月のDL化を目前に落成したばかりのDE101000番台も運用に入ってきて、蒸機牽引列車は風前の灯となっていた。 鬼瀬は…

C6119

C61はD51のボイラにC574次形の足まわりを組み合わせ、従輪を2軸とした軸配置2C2のハドソンである。D51は見慣れているものの、下回りが高いからかボイラがやけに太く感じられる。C6119〔宮〕は青森時代の副灯の後が残り、フロントデッキの穴はスノープラウ装…

鹿児島発門操行貨物列車

どしゃ降りの雨の中、C57109〔宮〕牽引の鹿児島発門司(操)行貨物列車が中線に到着した。牽引機は宮崎からC61に交代し、南延岡から大分まではD51の担当となる。C57109はもと大分運転所所属機で、幸崎電化後も大分に残った7輛のうちの1輛である。昭和43年10…

C57127

客車入換をするC57127〔宮〕は昭和46年春の山陰本線京都口のDL化で梅小路機関区から転属してきた。宮崎機関区での在籍は短く、47年10月時点では鹿児島機関区の配置になっていた。 C57127〔宮〕 宮崎 S47(1972)/1/5

C612

昭和46年夏、趣味誌で報じられた「C61が日豊本線へ入線」に大きな驚きを覚える。奥羽本線秋田~青森間の電化完成で青森機関区のC61は昭和46年10月、宮崎機関区へ配置換えとなった。当初は宮崎~鹿児島間で運用と伝えられたものの、ストーカーの関係で南延岡…

第3只見川橋梁

学生時代、初めて同好の士と共に有名撮影地を訪ねる機会を得る。筑豊や日豊が本拠地の私は東日本の地は全くの門外漢で旅先案内人に連れられて「只見川第3鉄橋、SL撮影地、天狗岩」の看板が建つお立ち台に到達した。只見線は只見川沿いの深い峡谷を走り、数々…

C5717

全盛期21輛もの多きを擁した大分運転所のC57は、幸崎電化後は7輛に激減、ヨンサントオのED74転入時にはわずか2輛になっていた。残った2輛は17と53で、佐伯1往復の仕業であったので昼間はどちらかが必ず扇形庫で眠っていた。昭和43年夏に初めて買った「鉄道ピ…

大分運転所のC58

C58は丙線区向けの客貨両用の機関車として昭和20年代、久大本線と豊肥本線に投入されていた。久大本線は豊後森に、豊肥本線は宮地に配置されていたが運用の合理化で昭和24年大分へ集約されている。宮地のナンバーは21・33・34・47・48・423・424・426・427の9輛、…

D60の配置と動向について

D60の分布と動向を手元にある配置表から辿ってみた。D50から改造された78輛のD60は昭和32年の時点で9箇所に配備され、根室本線、横黒線、磐越東線、紀勢本線、山口線、筑豊本線、日豊本線、久大本線で使われていたようだ。(北上線はこの時点では横黒線の…

大分運転所のD60

D60は幹線系で使用されたD50を丙線区へ投入すべく軸重軽減の改造が行われた機関車である。昭和20年代の久大本線はC58と8620の走行線区であったが、輸送力増強と速度向上のため昭和29年から30年にかけてD60が大分に配備された。これより久大本線D60の歴…

日中線

日中線は福島県喜多方と山形県米沢を結ぶ鉄道として計画されたが、他地域の建設予定線と同じように工事途上で建設中止された盲腸線である。喜多方ー会津村松ー上三宮ー会津加納ー熱塩16.5kmの路線で日に3往復が運転されていた。熱塩の駅舎は屋根の深いしゃれ…

78684

78684〔大〕は前照灯を装備しない入換専用機。機関車の系譜図4(臼井茂信著/交友社/昭和53年11月刊)に昭和42年当時のこの機関車の写真が掲載されている。煙突は美しい化粧煙突の姿で、パイプ煙突に交換されたのはこの後と思われる。前照灯はこの時すでに標…

D511032

由布市のホームページに湯布院中央児童公園に保存されているD511032の引取り希望者の募集案内が掲載されていた。以下ホームページから。「蒸気機関車D511032号は、これまで子どもたちを含む市民の方はじめ、観光客へ、鉄道の文化資源としてのPR効果と、…

D51272

本州の地で門デフ機を目撃。一瞬ここは九州?と錯覚した厚狭駅下車の第一印象である。予想通りD51272は元熊本の罐で、昭和45年10月の鹿児島本線全線電化開業時に厚狭機関区へ移動していた。厚狭機関区には昭和46年10月現在、D51-23・C58-8・C12-5の計36…

D511080

南大嶺で会ったD511080〔厚〕は美祢線の石灰石輸送で下回りが白っぽくなっていたのが印象に残っている。何か雰囲気が違って見えるのは板状に角ばった独特の形のデフが付いているからだろう。まるで模型機関車にオーバースケール気味の厚みのあるデフを装着…

宗谷本線

本線の旅客列車がこのような旅客2輛、郵便・荷物合せて4輛編成というのに驚く。今改めて最果ての輸送状況を案じる。撮影時はそんな事を思う間もなく、ただ牽引機がC55ではなくてC57が来たということだけはファインダーで認識することができた。宗谷本線は…

39680

39680の動向を手持ちの趣味誌で追ってみた。昭和8年3月津和野、昭和32年11月宮地、昭和36年4月宮地、昭和43年3月香椎、昭和44年3月香椎、昭和44年4月熊本と移動している。宮地機関区統合以降一時門鉄へ移るも、再び豊肥本線の罐として熊本へ転属、昭和47年11…

立野スイッチバック

立野スイッチバックの転向線に沿ったきつい坂道を登って立野駅方面を俯瞰する。中九州を横断する国道57号線が整備され、白川沿いの南郷谷が望める。宮地行1795レは瀬田からの急勾配を制して、一旦道路橋の奥に消え、最後尾のC12を開放、貨車入換の後再び道…