転轍器

古き良き時代の鉄道情景

蒸気機関車

大嶺支線のD518

日本最大のカルスト台地といわれる秋吉台へ行く道中で、C58の牽く貨車1輛客車1輛の混合列車を目撃し、強烈な印象が残っていた。それは昭和41年頃の私はまだ小学生の時であった。当時の感覚は客車列車は少なくとも4輛はつないでいたし、ましてや客車と貨車を…

分鉄局の8620 配置と動向について

大分鉄道管理局の柳ヶ浦・大分・豊後森・南延岡に足跡を残した8620を、手元にある配置表からその動向を辿ってみる。全通前の日豊本線に8620が現れたのは大正9年頃でそれまでの8550・6760・5700等を置換えて、その後のパシフィック登場まで日豊本線の主力機と…

南延岡機関区の8620

均整のとれた美しい28627〔延〕が機関区に戻って来た。ランボード上の缶受けとフロントデッキのフレームのラインがとても優雅に映る。 南延岡機関区 S47(1972)/12/29 28627〔延〕は元松浦線の罐。昭和47年3月早岐機関区から転入、48年8月には若松機関区へ移…

58689

「日本蒸気機関車特集集成上巻」(鉄道図書刊行会/昭和53年5月刊)所収の「九州における8620・C50の系譜」(谷口良忠著)に大分鉄道管理局の8620の状況が記載されている。以下記事の抜粋。「豊後森の7輛は久大本線由布院以東の客貨列車に、大分の4輛は日豊本線幸…

58652

58652〔大〕は昭和45年1月に廃車されているので稼働中の写真は昭和44年に撮ったわずかばかりである。まともな写真が撮れないまま廃車となり残念であった。大分運転所側から牽き出してきた車輛は冷蔵車と客車が連結されて、前記事記載の入換区分「中入換」で…

78684 右運転台

大分構内の入換専用機78684〔大〕は動力逆転機を装備した右運転台に改造された機関車であった。G鉄グラフィティ藤田高士さんより、78684のことについて分鉄局OBの方に聞いた話からその詳細を知ることになった。G鉄グラフィティでは「ある機関士の独白」とし…

D5179

夕刻の上り門司(操)行貨物は2軸やボギーの不規則なジョイント音が延々と続く長い編成でD5179〔延〕が引っ張って来た。南延岡区のD51は昭和44年3月時点で14輌が配置され、その内9・12・79・93の4輌がなめくじであった。走行するD5179〔延〕はこの時一度…

D51482

見慣れたD5112〔延〕の隣りに現れたD51482はこの年の5月に熊本機関区から来た新参者であった。南延岡機関区のD51はオリジナルナンバーの廃車で他所からの転入車でメンバーチェンジが進んでいた。昭和47年夏の時点で9輌の廃車(79・93・341・880・949・1035・1…

D511032とD519の発電機

蒸機基地で撮った写真はどれも形式写真風の頭から尻尾まで収まった紋切形ばかりであるが、中には何を撮りたかったのか理解に苦しむ部分写真も存在していた。今振り返って見ると、同じD51でもキャブ右サイドの装備はそれぞれ個性があることに気づく。 D5110…

高鍋

早朝、夜行急行“みやざき”を高鍋で下車。憧れのハドソンC61の牽く貨物・旅客列車を撮ることはできたが、露出不足と突然の降雨で残念な釣果となった。高鍋を後にする時にやって来たのはこの日初めて会うC57であった。C57199〔宮〕は大分電化で南進した元大…

鹿児島電化 昭和45年10月1日

昭和45年10月1日、鹿児島本線熊本(操)~鹿児島間200.6kmの電化が完成し、鹿児島本線全線の電化が完了した。これで青森から鹿児島までが電化でつながることとなり、鹿児島鉄道管理局は「熊本~鹿児島電化記念・日本縦貫電化完成」と「さようなら蒸気機関車…

豊後竹田駐泊と豊後荻折返し運用について

昭和39年3月に豊肥本線はDC化が実施され、以後客車列車は熊本~宮地間に1往復、大分~豊後竹田間2往復が残るだけとなっていた。大分口朝夕2往復の客車列車は時刻表を見ると豊後荻の運用もあって豊後竹田~豊後荻間はC58が逆行運転となる場面があったと思われ…

回送3重連

午前8時台の大分駅東部貨物ヤードではD51の日豊本線下りと9600の豊肥本線上り貨物列車がたて続けに発車する。南延岡行は8:45発、熊本行は9:04発で撮影の効率はとても良かった。その貨物列車の発車を撮るつもりで構内の隅に立っていたら思わぬ電気機関車の3重…

おとぎ号 日本童話祭

日本のアンデルセンといわれた久留島武彦は大分県玖珠町出身で、久大本線豊後森駅が位置する玖珠盆地はメルヘン調のテーブルの形をした山々に囲まれて玖珠町は「童話の里」と呼ばれている。童話作家久留島武彦の功績をたたえ、昭和25年から毎年5月5日のこど…

D60の残留について

昭和45年10月ダイヤ改正は久大本線DL化達成で大分運転所のD60は新製DE101000番台車に置き換わる日であった。9月はD60の最後を記録しようと足しげく通うもののDE10が先頭でD60の顔は運転所に行かないと撮れなかった。D6065〔大〕は機関車線突端の停止位置から…

C57115とC5739について

大分運転所のC57はヨンサントオ以降17と53の2輌配置となって全盛期から見れば1割の数へと減じてしまった。53は昭和46年3月に若松へ、17は同年10月宮崎へ転じ、大分運転所C57終焉かと思われたが入れ替りに元大分に籍を置いたC57115が再び戻って来た。DF50の故…

行橋機関区のC11

昭和44年3月時点で門鉄のC11は門司・行橋・後藤寺・直方・鳥栖・早岐・佐々の7機関区に56輌が配置されていた。走行線区は日田彦山・田川・添田・伊田・糸田・後藤寺・宮田・上山田・甘木・矢部・松浦・佐世保と枚挙にいとまがない。 C11162〔行〕 438レ 行橋…

D51牽引の旅客列車

C58なき後の大分運転所はDF50の予備機としてC57115が残ったが、その後旅客列車を撮りに出かけることもなくなったので動静は定かではない。蒸機列車は南延岡機関区のD51が牽く貨物列車だけになったので貨物の通過時刻に線路端へ向かい客レを追うことはなくな…

C58最後の日 昭和47年5月31日

昭和47年春、新製DE10落成の都合で豊肥本線・日豊本線と大分入換の無煙化は2段階に分けて行われた。昭和47年3月15日改正は新幹線岡山開業の日、その前日が豊肥本線大分~豊後竹田間旅客列車牽引C58の最後の日であった。DE10が出揃って迎えた6月1日は日豊本線…

C57191との邂逅

東九州の要衝、大分運転所は電化前、日豊本線のC57を最大21輌擁したパシフィックの一大基地であった。そんな全盛期を彷彿させるような光景に出会い固唾を呑んで状況を理解しようと立ち止まった。撮影時C57は1次形2輌(17・53)だけの配置で、まるで形式が違…

熊本機関区の9600

豊肥本線は熊本と大分側から宮地軽便線、犬飼軽便線として建設が始まり、昭和3年12月に全線開業した。本線用の8620と9600が下級線区へ投入され始めた昭和9年頃、熊本機関区に9600が配備され、以後幹線筋から操配されたC58と共に豊肥本線での足取りが始まる。…

9600の旅客列車

昭和43年秋頃、中学校の部活を終えて帰る頃は辺りは暗闇に包まれていた。上り列車はちょうどその頃にやって来て、機関車のナンバーは「59670」や「79602」等「C」や「D」の付かない数字だけが並んだプレートを不思議に思っていた。汽車の雑誌を読むように…

豊肥本線のC58 昭和44年~47年の記録

辺りが暗くなり中学校の部活を終えて帰る頃、上り列車がやって来る。機関車は5桁数字が並ぶプレートを付けていたがある日アルファベットのCが付いたプレートを発見、以後この時間に現れる機関車はC58ということを知る。当時C58は105・112・115・124・224・22…

69616

夕方の宮地行の補機を務める69616〔熊〕が給炭線脇でスタンバイしている。石炭満載のテンダのプレートは形式入が付いている。テンダ輪郭の縁取りやキャブの屋根と下回りの曲線が優雅に見える。 熊本機関区 S47(1972)/3/29 熊本機関区の給炭設備はアメリカン…

D6071 旅立ちの日

いつものように大分運転所に行くと、日頃まず入ることのない電留線にD60がいるのに驚いた。近づいてみるとキャブの札差しに機関車の転属を告げる票が差し込まれていて、D60減少の現実に愕然とする。今夜半の貨物列車で北上するとのこと。「D6071よ、大分での…

夕暮れの水前寺

九州には「寺」のつく駅が6つある。日豊本線豊前善光寺、久大本線善導寺、日田彦山線後藤寺、筑肥線周船寺、宮原線宝泉寺、そして豊肥本線水前寺。ここ水前寺を訪れたのは9600重連の宮地行を撮るためである。水前寺の構内はとても広く隣りの南熊本とともに…

39680

39680〔熊〕が家畜車や無蓋車、石炭車の入った12輌の貨車を従えて米良川の土手に向かう上り勾配をゆっくりと進む。黒色の編成の中で石炭車の黄帯がひときわ引き立ち、上り場内と遠くに見える出発信号機の赤色もよくわかる。後方右手に農業倉庫が見える。 795…

69665

私が知っている熊本機関区のキュウロクのうち、69665と79602の唯2輌が門デフ装備車で目立つ存在であった。69665〔熊〕とは対面の確立が高く一番多く出会った機関車で思いもひとしおである。 貨物列車と旅客列車の交換に偶然出くわす。通常ダイヤであれば熊本…

幸崎小運転で使われた機関車

昭和44年当時、日豊本線大分~幸崎間に夕方1往復の貨物列車が設定されていた。「小運転」という用語は当時の趣味誌に国鉄マンが執筆した機関車の現況を伝える記事で目にし、短区間の運用は自然とそのように呼ぶようになった。国鉄に「小運転」の定義があった…

79653

豊肥本線の9600はねぐらを宮地機関から熊本機関区に移して同ナンバーが継続して使われていた。79653は当初のメンバーではなく廃車補充として昭和44年4月に香椎から転属して来た機関車であった。約4年間豊肥本線で働いた後、昭和48年の無煙化の際遠く北海道へ…