明けて昭和48年新春、C57115が牽いて下る“日南51号”の折返し上りは何なのか。この時は夏の時刻表しか手元になく、駅の時刻表をめくって予測したのか、はたまた運転所の人に聞いたのか定かではないが、大学ノートの撮影記録帳には、「12月29日、“日南51号”蒸機牽引発見、“高千穂51号”運転日は1月3日~11日まで」と記入されていた。
昭和48年新春、自分の予測が本当か否か、大分駅東部上り場内信号機手前で獲物を待つ。この年末年始だけ走る“高千穂51号”の牽引機はDF50なのかC57115なのか、期待の膨らむ賭けであった。何としても蒸気機関車の牽く急行列車を見たかった。胸の鼓動が高鳴るその時、「来た!C57だ!」初めて見る蒸機牽引急行の感激の一瞬であった。スハ43系客車寄せ集め編成ではあるが、車体の号車札と「高千穂」の愛称サボ、「名古屋行」のサボで改めて急行編成であることを実感した。
西日を受けて光輝く急行“高千穂51号”。1輛目のスハフ42にはまぎれもない「高千穂」のサボが差し込まれている。 8512レ 日豊本線大分~高城 S48(1973)/1/4
大分運転所に残った唯1輛のC57115に、急行運用という大仕事がまわってきた。それも大分~宮崎間207Kmを通しで走りぬく日豊本線パシフィック機全盛期を思わせるロングラン運用であった。C57牽引の、臨時ではあるが日豊本線の栄えある「高千穂」をこの目で確かめられたのは筆舌に尽くしがたい喜びであった。C57115はこの急行運用を最後に昭和48年1月宮崎へ転属となり、同時に大分運転所蒸気機関車配置の歴史に幕を閉じることとなった。 大分運転所 S48(1973)/1/4
新春のC57115は大分から宮崎まで“日南51号”、宮崎から大分まで“高千穂51号”の運用が運転期間終了の1月11日まで行われたようである。 8512レ“高千穂51号” 日豊本線大分~高城 S48(1973)/1/9
“高千穂51号”の編成から離れて大分運転所へ入って来たC57115は入念な点検・整備を受けて夜半過ぎの“日南51号”牽引に備える。
架線注意標識はフロントの3箇所の他に、キャブの両サイドにも付けられているのに改めて気づく。デッキ上に油差しのバケツが置かれている。このまま給炭のため後退する。
給炭の後転車台に載って向きを下り方にする。右サイドのキャブに「大」の区名札が入っていない。
ぐるりと回って下り向きとなる。テンダは山盛りの石炭が積まれている。架線注意標識は両サイドともドームとボイラ踏板に付けられていた。
ゆっくりと桁から降りて機待線へ向かう。
夜半過ぎの“日南51号”牽引の準備完了。12系客車の先頭に立つC57115を撮りに行けなかったことが悔やまれる。 大分運転所 S48(1973)/1/4