転轍器

古き良き時代の鉄道情景

文通の写真から 汽車憧憬

 D51499〔福〕+C1232〔舞〕 福知山 S45(1970)/8/20 撮影:MURAさん 所蔵:転轍手
 後藤工場変形デフを持ったD51499はあまりにも有名でその存在は知っていた。C12を従えているので舞鶴線へ歩を進めるのであろうか。福知山は鉄道の要衝で、福知山機関区は山陰本線福知山線舞鶴線宮津線播但線の基地であった。

 C58322〔敦一〕 C12215〔舞〕 西舞鶴 S45(1970)/8/20 撮影:MURAさん 所蔵:転轍手
 京都府の東舞鶴福井県敦賀を結ぶ小浜線敦賀第一機関区のC58が活躍していた。時刻表を開くと山陰と北陸を結ぶルートとして福知山から敦賀まで山陰本線舞鶴線小浜線が連続して掲載され、優等列車も多く設定されていた。西舞鶴宮津線の起点で機関区も置かれC58・9600・C12が配置されていた。

 C56108〔木〕 備後落合 S46(1971)/4/2 撮影:MURAさん 所蔵:転轍手
 木次線管理所のC56が行く出雲坂根の3段式スイッチバックは有名だった。芸備線と接する備後落合はC58やC56が佇む矩形庫がある趣きのある駅で印象深い。短い貨物列車にローカル線には不似合いなワキ1000が連結されている。

 C58190〔奈〕 奈良線黄檗~宇治 S46(1971)/7/17 撮影:乙訓長岡さん 所蔵:転轍手
 宇治川橋梁をC58190〔奈〕の牽く下り貨物列車が渡っている。黄檗(おうばく)は難読駅名のひとつ。宇治は銘茶や清酒の製品輸送やユニチカ(旧日本レイヨン)の専用線があって貨物輸送は旺盛であったようだ。撮影時、奈良運転所には10輛のC58がいて奈良線関西本線で運用されていた。

 C56111〔長〕 飯山線上今井~替佐 S46(1971)/8/6 撮影:乙訓長岡さん 所蔵:転轍手
 飯山線信越本線豊野と上越線越後川口を結ぶ107.5Km(距離は長野から)の路線で、途中長野運転所の支所がある飯山、長野県境の森宮野原、転車台がある十日町の中継点がある。C56111〔長〕のプレートは自慢の形式入でとても大きく見える。長野・金沢管理局管内でのC56配置は長野(転)・中込・上諏訪糸魚川・七尾の各機関区で、飯山線小海線大糸線七尾線で運用されていた。

 C12230〔中〕 明知線岩村~花白 S47(1972)/7/22 撮影:HAYAさん 所蔵:転轍手
 明知線中央本線恵那と明知を結ぶ25.2Kmのローカル線でC12が貨物列車を牽いていた。下り明知行が正位、上り恵那行が逆行運転であったようだ。

 C5820〔俣〕 二俣線波田 S44(1969)/3/27 撮影:HAYAさん 所蔵:転轍手
 静岡県西部の掛川から遠江森、遠江二俣、金指、三ケ日を経て県境の新所原へ至るのが二俣線である。東海道本線の迂回線として使われることは無く、みかんや原木輸送に8620を引継いだC58がその任に当っていた。昭和46年3月にはDE10に置換えられている。

 C11の牽く上井発関金行425レ 倉吉線上井~上灘 S47(1972)/1/4 撮影:YAMAさん 所蔵:転轍手
 上井とは?撮影後の昭和47年2月14日に山陰本線上井は倉吉に改称され、同時に倉吉線倉吉は打吹に改称されている。下り列車はC11逆向きで走る。

 C11の牽く関金発上井行426レ 倉吉線上井~上灘 S47(1972)/1/4 撮影:YAMAさん 所蔵:転轍手
 関金折返しの上り列車が天神川を渡る。

 D51720〔山〕 小郡 S46(1971) 撮影:NOMUさん 所蔵:転轍手
 益田行723レが小郡を後にする。山口線管理所の11輛の集煙装置付D51山口線で働いていた。昭和48年10月でDL化されると、D51720は長門へ移動し活躍の場は山陰本線となった。

 C57134〔佐〕 佐倉 S44(1969)頃 撮影:中原街道さん 所蔵:転轍手
 千葉発銚子行325レが佐倉を出る。手前が総武本線、奥が成田線で撮影時佐倉機関区にはC57・C58・8620が配置されて、総武本線成田線・房総東西線東金線で運用されていた。