転轍器

古き良き時代の鉄道情景

美祢線 カラーフィルムの記憶

 昭和47年の夏休み、夜行列車に2泊して日豊本線筑豊本線美祢線をはや足で駆け巡った。借り物のカメラ2台にモノクロとカラーフィルムを装填して格好は良かったが、「二兎を追う者は一兎をも得ず」で慣れないことをしたおかげて出来上がった写真は皆中途半端な構図となった。

 下関からはぶどう色の旧形国電に乗車したような気がするが、夜行疲れで眠っていたのであろう、気づいたら厚狭に到着していた。厚狭で出迎えてくれたのはD51152〔厚〕の牽くセキ6000編成であった。 厚狭 S47(1972)/8/11

 当時美祢線の情報はほとんどなく、趣味誌に掲載された石灰石ピストン輸送ダイヤが魅力で未知の線へと誘われたように思う。大嶺支線が分岐する南大嶺に立ち寄ってみた。貴重なカラーフィルムをよく駅舎撮影に使ったなと我ながら感心する。願わくば船鉄バスのバス停看板を画面に入れて欲しかった。 南大嶺 S47(1972)/8/11

 屏風のような除煙板を持ったD511080〔厚〕の牽く編成はトラ・セラ・セキの列で、この時石炭輸送は終息していたが往時を彷彿とさせてくれる構図と思う。 重安発厚狭行780レ 南大嶺 S47(1972)/8/11

 機関車の向きは鉱山からの積車が正位で空車返送が逆向きなのは、同じ石灰石輸送の日田彦山線と同じであった。逆行運転の距離も日田彦山線の場合は外浜から石原町まで約30㌔、美祢線宇部港から美祢まで約35㌔とほぼ互角である。 宇部港発美祢行5687レ 美祢線四郎ヶ原~南大嶺 S47(1972)/8/11

 美祢線ローカルは厚狭~長門市間全線通し運用(下り1本のみ渋木~長門市)で厚狭機関区の気動車が運用されていた。仙崎までの直通運用が数往復あり、益田まで足を延ばすのもあった。宇部新川発仙崎行2735Dはキハ26+キハ30+キハ25+キハユニ15の4連で急行形と近郊形の塗色は山の緑と溶けあって眩しく映る。 美祢線 四郎ヶ原~南大嶺 S47(1972)/8/11

 蛇行する厚狭川と歩調を合せるように美祢線は右曲線から積車セキ6000の編成が姿を現した。 5690レ 美祢線四郎ヶ原~南大嶺 S47(1972)/8/11

 この区間で7本の専用貨物列車をやり過ごした。その中でただ1本だけDD51牽引があった。落成したばかりであろうピカピカのDD51が白い粉の付いたセキ6000の列を牽いて行った。 5689レ 美祢線四郎ヶ原~南大嶺 S47(1972)/8/11