転轍器

古き良き時代の鉄道情景

久大本線 筑紫平野を行くD60と8620

 久大本線の久留米側は広大な筑紫平野の東側を通る。東へ向かう線路は北に筑紫山地、南に耳納山地の山なみを望みながら、南久留米ー御井善導寺筑後草野ー田主丸ー筑後吉井筑後千足ー筑後大石と平坦線で進む。

 御井を出てラストスパートにかかるD6060〔大〕の美しいサイドビュー。機関助士の石炭かき寄せが見事に捉えられている。20立方米形テンダ後方の欠き取りがよくわかる。客車の台車のシルエットはTR11のようでオハフ61が続く。筑紫平野を行く躍動感溢れる構図に憧れる。 630レ 久大本線南久留米~御井 S44(1969)/3/21 写真提供:railbusさん

 ハチロクの牽く豊後森行軽量編成が稲作地帯を行く。筑紫平野に点在する駅は米を始めとしてそれぞれの地域特産の農産物や植木等の集散地として賑わっていたと思われる。 629レ 久大本線田主丸~筑後吉井 S44(1969)/7/25

 下り豊後森行を牽く78627〔森〕が力行で筑後吉井構内に入って来た。78627は58625・68623・68660・78625と共に豊後森機関区に最後まで残った5輛のメンバーである。 629レ 久大本線筑後吉井 S44(1969)/4/9

 2基の腕木式場内信号機が建つ駅構内入口の光景は良き時代の鉄道情景といえる。68660〔森〕が6輛編成の上り鳥栖行を従えて筑後吉井を後にする。豊後森機関区5輛の8620の内、68660と78625は少し幅の広い普通デフを付けていた。 626レ 久大本線筑後吉井 S44(1969)/3/31

 D602〔大〕は車体を震わせて一生懸命走っているようだ。客車の扉は振動で開いたり閉まったりしたのか中途半端な位置にある。テンダが震えているのか、それにつられて客車も傾いているのか、かつての乗車体験が画像から蘇る。テンダのリベット・プレート・前照灯、客車の渡り板がとても重々しく映る。

 ホームに建つ「筑後川温泉」の案内看板に目が留まる。温泉街は駅北側の筑後川沿いで少し離れている。D602〔大〕の牽く鳥栖行は右側通行、本屋寄りのホームに停車している。朝の鳥栖からの筑後大石折返しの通勤気動車列車が設定されていた関係で筑後大石上下線はどちらからも入れる配線と思われる。 626レ 久大本線筑後大石 S43(1968)/8/1

 バス窓の気動車から68623〔森〕の牽く下り貨物列車を撮る。機関助士が身を乗り出してタブレットを渡そうとしている。豊後森ハチロク鳥栖豊後森間で運用され、この列車は入換と退避を行いながらゆっくりと東進する。 693レ 久大本線善導寺 S43(1968)/8/1

 D603〔大〕の牽く鳥栖発大分行627レは筑後千足でD6062〔大〕の牽く日田発鳥栖行622レと交換する。駅員は受け取ったばかりのタブレットを肩にしょって上りの機関車へ近づく。 久大本線筑後千足 S43(1968)/8/1

 D6063〔大〕が西日を浴びて鹿児島本線を快走する。夕刻の鳥栖発大分行は9輛編成で日田で後部5輛を落して山を越える。大分のD60が架線下の鹿児島本線を走る構図は希少で貴重な記録である。後方、コンテナヤードに見える古いタイプの国鉄コンテナや日通トラックの独特なフォルムが懐かしい。 645レ 鹿児島本線肥前旭~久留米 S45(1970)/8/1

 パイプ煙突のD603〔大〕は前照灯を点灯させ5番ホームで待機している。1番列車筑後大石行気動車が出た後、2番列車として鳥栖を後にする。早朝の筑紫平野を進むと日田からのD60や8620の牽く上り列車と次々と交換する。残念ながらひと桁ナンバーのD602とD603は昭和43年9月に廃車されたので鳥栖での邂逅は千載一遇の機会ではなかっただろうか。 627レ 鳥栖 S43(1968)/8/1 以上9点 写真提供:小川秀三さん

 「昭和37年社会科中等地図」(三省堂)から
 広大な筑紫平野の中心に鉄道の要衝、鳥栖が位置している。D60と8620が走る久大本線は緑色が広がる筑紫平野の東側というのがわかる。地図を俯瞰すると同じ緑色の範囲の北に甘木線、南に矢部線、西側は長崎本線に沿って佐賀線、唐津線の一部がかかっている。D60と8620が走っていた同時期の各線の鉄道模様に思いを馳せる。表記の地名・町名は当時の名称で郷愁を誘う。