転轍器

古き良き時代の鉄道情景

京浜東北線の73系 浦和便り

 南行桜木町」を掲げたクハ79はキャンバス押えに縦樋、ウインドシル・ヘッダー、運行窓枠・サボ受の輪郭がはっきりと出て顔がとても締まって見える。前照灯が屋根上にあるので年代を感じる。と、ここまでは単なる私の感想。実はこの顔のこの車輛、63形から73系に移行する際モハ63を電装解除して制御車化したもので、クハ79100~246(全て偶数車)がこのグループとのこと。 京浜東北線北浦和~与野 S46(1971)/4 写真:浦和長澤渡船さん

 箱サボ「大宮」を掲げた京浜東北線北行が2番線に入線する。8輛編成のうち、1輛めと3輛め以外はノーシル・ヘッダーで車高も異なり全金属車かもしれない。浦和駅は県庁所在地の駅だが、赤羽と大宮に挟まれて特急や急行は通過する。右側の列車線は上野を出ると尾久、赤羽に続いて3つめとなる。後方の高架線は東北貨物線と思われる。 浦和 S46(1971)/4/10 写真:浦和長澤渡船さん

 近代的なスタイルの全金属車はその後の新性能電車への過渡期の顔だろうか。前面窓・運行窓・方向窓のHゴムが鮮やかで「65B鶴見」行がくっきりと浮かぶ。埼玉県蕨市の地名を聞くと春の山菜“わらび・ぜんまい・こごみ”を連想する。 京浜東北線蕨 S46(1971)/4/10 写真:浦和長澤渡船さん

 北行大宮行8輛編成が3複線を行く。大宮操車場のヤードが広がる辺りで、かつては入換のキュウロクが姿を見せていたらしい。この時武蔵野線大宮支線は東北貨物上下線の間に分け入って地上へ出てくる建設工事真最中であった。 京浜東北線与野~大宮 S46(1971)/4/10 写真:浦和長澤渡船さん

 京浜東北線の73系は浦和〔北ウラ〕・下十条〔北モセ〕・蒲田〔南カマ〕・東神奈川〔南ヒナ〕の各電車区で運用されていた。ちなみに東京鉄道管理局が北・南・西の3局に分割されたのは昭和44年とのこと。北行大宮行8輛編成はパンタ車が4輛見えるので、手前北行←クハ79+モハ72+モハ72+サハ78+クハ79+クモハ73+モハ72+クハ79ではないかと推測する。3複線は手前から東北貨物線高崎線東北本線京浜東北線が並ぶ。 京浜東北線北浦和~与野 S46(1971)/4 写真:浦和長澤渡船さん

 川口駅から見た南行蒲田行はパンタ車が5輛見える。これも想像を膨らませると、手前からクモハ73+モハ72+クハ79+クモハ73+サハ78+モハ72+モハ72+クハ79→南行、となろうか。手前2輛めと6輛めが2段窓で後は3段窓のようだ。編成パターンはよくわからないが、北行南行両端にそれぞれクハ79・クモハ73の場合あり、5+3や3+5、8連貫通の組み方があるように思えた。
 京浜東北線は昭和46年4月に新性能化されたようで、浦和長澤渡船さんは惜別の思いを込めて記録されたものと思われる。長い時を経て届いた便りは、スカイブルーの京浜東北線しか知らない私を旧形国電元気な時代へと誘っていただきお礼を申しあげます。 京浜東北線赤羽~川口 S46(1971)/4 写真:浦和長澤渡船さん