日田彦山線撮影の帰り、日没まで少し時間があったので門司機関区へ立寄った。門司駅から機関区までは職員通路を辿るとヤード下の地下道となり、頭上は幾筋もの線路が並ぶ、まるで要塞の迷路を進むようであった。扇形庫から見た構内は下り本線と仕分線が広がり、後方は企救半島の稜線が見えている。
扇形庫には何れも昭和46年10月に早岐から来たD51182〔門〕と、鳥栖から来たD51924〔門〕がテンダを背に並んでいた。門司機関区D51の運用は、1)鹿児島本線外浜~東折尾、2)筑豊本線東折尾~直方、3)日豊本線小倉~行橋、4)日田彦山線城野~石原町~香春の4線区で、この時16輛が配置されていた。
扇形庫で佇むD51918〔門〕は昭和18年の新製時から門司に居る古参の罐である。門司機関区はD51-16・C11-1のSL計17輛/ED72-22・ED73-22・ED75300番台-11・ED76-8・EF30-22のEL計85輛/DD13-12・DD51-7・DE10-9・DE11-4のDL計22輛を擁する大所帯であった。
DD51の進出で長崎本線・佐世保線・大村線を走った鳥栖・早岐各機関区のD51は昭和46年10月改正時にわずかを残して一部は門司に移っていた。D51250〔門〕もその1輛で、この後南延岡へ行くことになる。
D51175〔門〕のシンダエプロンは裾に折り曲げがあって独特だ。標識灯の高さが左右で違う。砂撒管は3本が川の字状に並ぶ。
門司構内の古い写真を見るとこの給水栓の手前にコンクリートの巨大な給炭槽がそびえていた。鹿児島本線門司港~久留米間は昭和36年10月に電化されたが貨物列車は門司機関区21輛のD51が運用されていたようだ。時を同じくして日田彦山線の石灰石・セメント製品輸送に投入され最大27輛が配置されていた時期がある。 写真は全て:門司機関区 S48(1973)/3/29