転轍器

古き良き時代の鉄道情景

南延岡のD51 前面3枚の架線注意標識を持つナンバー

 昭和44年3月現在、南延岡機関区のD51は次の14輛(9・12・79・93・341・485・880・949・1032・1035・1036・1081・1141・1142)が配置されていた。これらのナンバーは私が初めて接した南延岡のD51で、昭和45年に始まる他区からのメンバーチェンジ以前の、いわゆるオリジナルナンバーであった。これらの機関車は共通して前面に3枚の架線注意標識が取付けられていた。煙室扉、ナンバープレートの上とフロントデッキ上先台車担いバネカバーの両サイド、計3枚である。昭和45年以降に南延岡に転入して来た機関車とはちがう装備であった。

D519〔延〕 大分運転所 S44(1969)/10/4
 給炭槽の下で憩う南延岡唯一のひと桁ナンバー機。架線注意標識は前面3枚と蒸気ドームの両サイド、テンダ背面の昇降手摺の上にも付いていた。昭和44年3月時点の九州管内のD51は、門司20・直方10・鳥栖16・早岐5・熊本13・人吉8・南延岡14・出水17・吉松5の合計108輛が稼働していた。南延岡はオリジナルナンバーも昭和45年以降のメンバーチェンジ機も一部本州を除きほとんどが上記機関区からの転属車であった。

D5112〔延〕 大分運転所 S47(1972)/8
 担いバネカバーの上にコンクリートウエイトが載ったこの機関車は趣味誌上で度々採りあげられて有名になった。ナンバープレート上の架線注意標識は他機と違って前照灯の下に、またバネカバーは前寄りに付けられていた。前照灯から標識灯に煙室を伝う電線管が目立つ。

 右サイドも同様、バネカバー前寄りとドームに確認できる。 大分 S48(1973)/3/15

D5179〔延〕 大分運転所 S44(1969)/3
 D5112と同様、粘着力増強のためのコンクリートウエイトを積んでいる。架線注意標識はバネカバーではなくてその上のコンクリート両サイドに付けられていた。走行写真を見るとドームには付いていない。

D5193〔延〕 日豊本線徳浦(信)~津久見 S45(1970)/8
 本線上で一度だけ遭遇したナンバー。昭和45年12月に廃車となっている。

D51485〔延〕 大分 S47(1972)/5/3
 線路端では一番多く出会った罐だ。給水温め器と煙突に施された金帯の装飾と十字砲金製の煙室扉ハンドルが特ちょうで、電化まで稼働した南延岡機関区を代表する機関車であった。ドーム前寄りボイラ踏板に架線注意標識が付いている。

D51880〔延〕 大分電車区 S44(1969)/8/12
 下り貨物折返し間合いに単機で豊肥本線を走り下郡信号場へ足を延ばしたD51880と遭遇する。お盆の臨時急行編成の頭について大分までの回送を請け負っていた。この時一度だけの貴重な出会いであった。

D51949〔延〕 日豊本線高城~鶴崎 S46(1971)/9/19
 南延岡機関区唯一の門鉄デフ装備機。架線注意標識は前3箇所、右サイドはドーム前ボイラ踏板と発電機に確認できる。

D511032〔延〕 大分 S44(1969)/3/15
 変形ドームが特ちょうで、完全カマボコ形ではなく前端は丸みがかって遠目でもこの機関車というのが良くわかった。右サイドの架線注意標識は発電機の横に付けられていた。

 変形ドーム後方は角ばった形状をしている。左サイドの架線注意標識はボイラ踏板に確認できる。テンダは昇降手摺が定位置と思われる。 大分運転所 S46(1971)/8

D511035〔延〕 大分 S45(1970)/3
 カラーフィルムで撮った貴重なひとコマ。枕木で下回りが見えないのが残念。画面右に昭和44年にはなかった建物が建って転車台から放射状に広がる機留線は狭まっている。発電機に架線注意標識が取付けられているのがわかる。

D511036〔延〕 大分運転所 S44(1969)/12/31
 この機関車もドームの形状はD511032と似ていた。折返し下り運用まで時間のある罐は扇形庫横、転車台から延びる機留線に停まっていた。

D511081〔延〕 大分 S46(1971)/7/24
 給水温め器からの配管が飛び出しているように見える。担いバネカバーの奥まった位置に架線注意標識が付けられている。

D511141〔延〕 南延岡機関区 S47(1972)/1/5
 南延岡にD51が配置された昭和23年はD511141は大分に居て、その後南延岡に移り12・93・485・880・1081・1035・1036と共に初期ナンバーとして配置期間は長い。転車台から降りようとしているD511141のバネカバーの架線注意標識はD511081同様奥まった位置に付けられている。

D511142〔延〕 大分運転所 S45(1970)/5
 当初の8輛(12・93・485・880・1035・1036・1081・1141)に鳥栖から9、出水から79、新鶴見から341、柳ヶ浦から949、門司から1032、人吉から1142が加わって冒頭のオリジナルナンバー14輛が揃うことになる。

 南延岡機関区オリジナルナンバーと呼んだ昭和44年3月時点の14輛はD51341を除く13輛と会っていた。同じ昭和45年末までに廃車になった79・93・880とはかろうじて一度会うことができ幸運であった。撮影時は形態や装備の視点などはなく、後年の写真整理で少しばかり違いがわかるようになって、改めて南延岡機関区の流儀を思い知ることとなった。